基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

恥知らずのパープルヘイズ −ジョジョの奇妙な冒険より−

あの上遠野浩平があのジョジョを小説化すると聞いて胸が沸き立たないファンがいるだろうか。
ましてや西尾維新がその後に続き、舞城王太郎が後詰で控えていると聞けば、僕のような全ての作家のファンである人間には嬉しくて仕方がない。

一方で心配もあった。過去に一度、乙一先生によってジョジョはノベライズされている。
乙一先生も大好きであった僕はこれも大変喜んだ。こんなこというのもなんだが、なんか微妙だった。
当然の話だがジョジョの魅力は絵やコマ割り、セリフまでを含めた総体として存在するのであって、小説で再現するのは不可能なのだ──と思わざるをえなかった。

しかしそうではなかったようだ(前ふりが長い)。
大変面白かった。素敵だった。絵がなくても、ちゃんとJOJOだった。
いや、正確に言うと絵はある。
各章の扉絵に新キャラクターの絵と、その最後に新スタンドの絵が描かれている。
表紙はおろか表紙をめくったところにも別の絵が描かれていて
装丁も本気であることが伺える。
パープルヘイズと付けられているように色調はすべて紫で整えられていて良い(しおり紐からページ、字の色まで全部紫で統一されている、凄い)。

扱った題材は「五部の半年後、フーゴの活躍」だ。
もちろん言うまでもないことだが、五部を読んでいることに越したことはないだろう。
しかし適度に回想が挟まり、読んでいない人にも楽しめるようになっている。
親切設計だ。

そしてジョジョ読者からすれば、フーゴには格別の思い入れがある分より楽しめる。
このフーゴだが、第五部という大ギャングのボスと闘いに赴く際、「来たいやつだけ来い、強制はしない」と言われてチームのみんなが行くことを選択したにも関わらず唯一「行かなかった」キャラクターなのだ。

ファンからは「強すぎる能力を荒木飛呂彦が扱い切れなくなったのでは」などという声が聞こえてくるが、僕はこれは必要な展開だったと思う。そこでフーゴまでもが行ってしまったら、結局のところ「有給絶対好きなだけ取れますよ〜☆」といっておきながらいざ入ってみたら「有給? まあ表向きはとれることになっているけど、実際この空気じゃそんなこと言い出せないよね……」という若干ブラックな会社を彷彿とさせてしまう。

というのは冗談だがとにかく「ブチャラティが選択を個人に任せる」ことが本気であることを示すためにも一人は残らなければならなかった。自分の人生を、自分で選択することは自立の一歩だ。ブチャラティはそれを求め、チームメンバーはそれに応えた。

フーゴを除いて。フーゴは確固たる考え、選択の元「行かない」ことを選択したわけではなかった。「普通行かないだろう?」という自分以外の人の意識、常識にしたがってその意見を日和見的に選択したに過ぎない。フーゴはいわば第五部という物語から取り残されたキャラクターであり、五部の傷のひとつになっていたのかもしれない。

一人取り残された世界でフーゴは試練に立ち向かう。
それは過去においつく為の行為であり、ブチャラティたちともう一度本当の仲間になるために必要な過程だ。「チームの絆」は第五部の大きな見どころ。本質といってもいいかもしれない。そうだとしたら第五部は今まさに、完成をみたのだ。

恥知らずのパープルヘイズ ?ジョジョの奇妙な冒険より?

恥知らずのパープルヘイズ ?ジョジョの奇妙な冒険より?