基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

ぼくは上陸している

スティーブン・ジェイ・グールドの最後のエッセイ集。2002年に亡くなっている。

どうも割と有名な方らしいが本書で初めて知った。タイトルが印象的だった為、本書に手を出したのだ。もっと早く知っておけばよかった。生物学者で、生物の話を中心に展開するのだけど、科学者的な視点と文学を愛する芸術的な視点が交錯するユニークなエッセイ集だ。その方法として、昆虫学者としてのナボコフを取り上げるなど、「科学とそれを取り巻く人を語る」方へ向いているように感じた。

この印象的なタイトルはグールド氏の祖父がハンガリー移民としてニューヨークに上陸し、その一ヶ月半後にブルックリンの古書店で購入した英語文法入門に書き付けられた言葉からきている。一族の始まりを象徴しており、もうとっくに上陸しているにも関わらず「上陸している」という表現なのが面白い。

エッセイというと日本の物は身の回りの雑事から洞察を導き出す軽い読み物といった印象を受ける。しかしグールド氏のエッセイは一遍一遍に明確なテーマが設定されこのテーマを追求していく形で展開するので、一遍が重く、驚いた。たとえば18章『嫌われものの”E”で始まる言葉の意味やそもいかに』ではEvolutionすなわち「進化(論)」はどこから生み出された言葉なのかという疑問を追求していく。

実は進化論の起源であるダーウィンはこの画期的な考えを初めて発表した『種の起源』の初版ではエヴォリューションという言葉を一度も使っていないのだ。それは生物は「進化」と捉えるべき事象を起こしてきたわけではなく、「変遷」とか「転成」などで捉えられるべきだとダーウィンが考えていたからだ。

進化という言葉にはよりよい方向への向上といった意味がどうしても感じ取れてしまうが、システムとしての進化論が示しているのは向上というよりかは変化、変異であり、結果として残るか残らないかが決まるのであって「よりよい方向への向上」ではないのである。

話はここで終わらず天文学上で使われているエボリューションの定義(こちらは予測通りの歴史的展開をエボリューションと呼ぶ。たとえば太陽は今から50億年後に白色矮星となりその過程で地球を飲みこんで何者も住めない環境に変える。)と生物学上のエボリューションの定義を比較し意味の差を語っていく。

テーマの幅が広くとても紹介しきれないのだがそのどれもが専門のように掘り下げていてこの人の知識にそこはないのかと読んでいて呆れそうになる。それ以上におもちゃ箱のように話が色々な方向に展開するので(フロイトの理論がダーウィン以前の生命反復説を論理の基調としているという話は非常に面白かった)わくわくして仕方がない。

ぼくは上陸している (上): 進化をめぐる旅の始まりの終わり

ぼくは上陸している (上): 進化をめぐる旅の始まりの終わり

ぼくは上陸している (下): 進化をめぐる旅の始まりの終わり

ぼくは上陸している (下): 進化をめぐる旅の始まりの終わり