基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

偶然の科学

『偶然』をテーマにした本だとたとえば『たまたま―日常に潜む「偶然」を科学する』はかなり面白かった。ほとんどの人が自分が成功した場合に「成功したのは自分の能力が高かったからだし自分のやり方が正しかったからだ」と思うが、しかし本当に能力によって成功か失敗かがわかれるのか? その中で偶然が果たしている役割はどれぐらいあるのか? といったことを追求していく本だった。

同テーマの本書も『偶然』をテーマとしてみた場合はだいたい同じ内容である。我々は常識に支配されている。個々の人間が複雑な影響を与える社会において市場にはランダムなダイナミクスがあり成功と失敗をわけるのは、(完全に優劣を消してしまうわけではないが)運の要素が大きい。そもそも多くの場合成功したものをみて「なぜ成功したのか」と分析を始めるがその時にいくらでも「これこれこういう理由だからだ」とあげることはできる。

この事についてひとつ面白い話が本書ではあった。60年近く前、社会学者のラザーズフェルドはアメリカの兵士についての大掛かりな研究報告書を分析していた。ラザーズフェルドは6つの結論をあげた。そのうちの第二の結論は、「軍隊生活では、一般に地方出身者のほうが都市出身者よりも士気が高い」というもの。

ラザーズフェルドはこれを読んだ人は「地方の人間は都市の人間よりも生活水準と肉体労働に慣れていたからだろう」というだろうと推測している。たしかに納得できるような内容だが、実はこの報告書の6つの結論はすべて事実と正反対のものであることを示す。ようするに第二の結論でいえば都市の人間の方が士気が高かったようだ。

もし結論が後者だったと示されていたらどうだろう。同じようにいくらでも理由が考えられないだろうか。たとえば「都市の人間は普段からおおぜいの人と協力したり厳しいルールや礼儀を守るのに慣れている」と。しかしどちらの場合でももっともらしく理由が言えるのだったらその議論自体にとてもおかしなところがある。

なぜ物事はこうなったのか、なぜ人々はこういう行動をとるのかといった疑問を思案するとき、われわれはいつだってもっともらしい答を見つけ出せる。自分の答を確信するあまり、どんな予測や説明にたどり着こうともそれらは自明に思える。

過去を分析しようとした時だいたいの場合は「起こったことしか見ない」だろう。起こったかもしれないことには想像が届かない。それらは無限にあるからだ。だから起こったことだけを見て、そこに因果関係を見つけ出そうとする。見つけ出そうとすると因果関係なんていくらでも見つかってしまうものだ。世の中の多くの物事はこうやって説明されていないだろうか?

まあ、ここまでは『たまたま―日常に潜む「偶然」を科学する』とほとんど同じだ。違うのはテーマの扱い方だ。日常は偶然で支配されていて、僕らはそこに因果関係を見意打倒して見い出せてしまうために正しく物事を把握できていない。問題だ。そしてこういった問題を調査する社会学者もまた同様の問題に陥っていないだろうか?

そこから始まっているところが本書の特徴だろう。ようするに社会科学を本当の科学にする時がきた、と主張する為に、偶然をだしにしている。社会科学が本当の科学である為には例に出したラザーズフェルド氏の6つの結論のように、偽りの因果関係でどこかおかしい議論を繰り返しているわけにはいかない。一番の解決策は再現性をその基礎とする科学的手法を取り入れることだが、社会科学の分野で扱うようなことは今までそういった分析をすることが難しかった。

たとえば3万人の人間をひとつのラボに入れて実験するようなことは仮に一度できたとしても二度三度と繰り返すのは無理だろう。人間や歴史を相手にする以上再現性を求めたり大規模で長期的な実験を行うのは不可能だったわけだ。だけど本書で繰り返し実験手法として出てくるのは「ネットを使った実験」で、今の大情報化時代で今までごくごく個人的であまり表に出てこなかった人間関係が可視化されてきている。

情報化によってFaceBook,Email、アンケートや3万人規模の実験も可能になった。物理学のような普遍的で変わらない法則が導き出せるわけではないが、過去よりもより「不確かな因果関係」に頼る部分がなくなる。ということで本書が主張しているのは「大情報化時代による、大社会科学時代の到来」なのである。

科学の本質はある特定の形をとることではなく、理論、観察、実験という科学的手順を踏んで、世界の謎を少しずつ確実に切り崩していくことであるはずだ。そして、この手順の目的は特定の法則を発見することではなく、物事を理解することであるはずだ──問題を解決するために。

なぜ都市部の貧困や経済発展や公教育といった社会問題の理解に必要な科学が、注目に値しないことになるのか。もっと注目に値するはずだ。必要なツールがないと言い張ることももうできない。望遠鏡の発明が天空の研究に革命をもたらしたように、携帯電話やウェブやインターネットを介したコミュニケーションなどの技術革命も、測定不能なものを測定可能にすることで、われわれの自分自身についての理解や交流の仕方に革命をもたらす力がある。

本書の原題はEverything is Obviousで直訳だとすべては明白だ、とかそんな感じだろうか。たしかに。今はまだ物理学にも人間社会にも謎は多い。しかし少しずつ謎は解明されていっているし、ここで述べてきたように社会科学においては加速しつつある。すべてが明白になる時は近いのかもしれない。

偶然の科学

偶然の科学