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貧乏人の経済学 - もういちど貧困問題を根っこから考える

非常に面白い一冊。読んでいて貧困問題に対しての当たり前だと思い込んでいた考え方がいくつも変更されたし、そもそも「問題の根っこがどこにあるのか」という本質を改めて問いなおした点が良い。言うまでもなく問題の根っこは現実に根ざしており、著者らのランダム化対照試行という方法論は一つ一つの具体的な策が実際どの程度の効果を上げるのか、またはあげないのかを検証する。そして、50年、100年といった時間がかかるかもしれないが確実に貧困をこの世から消していこうとする。

僕はこの根本的な考え方に賛成する。正義をなすには、大鉈的にひとつの正義論をふるえばいいわけではなく、この世に存在する不正義を、根気よくしかし確実に潰していくことが大事なのだといったのは本書の帯にも一文書いているアマルティア・センだ。貧困でも、あるいはもっと別の問題でもこの考え方は有効だ。一つ一つの策には状況を一変させる夢も希望もないが、積み重なった先にはそれがある。

抽象的な話ではじめてしまったけれど、たとえば大鉈的にふるわれるひとつの正義論とはなんなのか。貧困問題でいえば「援助は自主自立の精神を奪ってしまう為、無駄」とする立場と「とことん援助することによって貧困は解決する」という立場がある。しかし援助がよいか、悪いかを議論する前に考えなければいけない本質的な問題がある。「お金がどこからくるかではなく、お金をどこに向けるのか」だ。

たとえば何十億もの義援金があったとしても、これが適切なプロジェクトに振り分けられなければ、そのお金はまったくのムダになってしまうでしょう。こういった例をとりあげて援助無駄派は「それみたことか」という。援助は無駄なのだと。でも問題はそこにはないわけです。プロジェクトの性質の問題なのですから。

著者の二人が行うのはプロジェクトの比較対象実験(似たような貧困状態にある村Aと村Bがあった場合、片方だけに援助を行い結果の差を見る)であり、個別のプロジェクトが具体的にどの程度効果的なのか、あるいは効果がないのかといったことを検証していきます。最初に述べたランダム化対照試行というのがこれです。この地道な実験を通して、貧困に対して驚くような事実が浮かび上がってきます。

毎年5歳前に死ぬ9億人の子供たちのうち、約5人に1人は下痢で死にます。しかしその薬は援助組織の援護によって安価で手に入れられ、誰もがそのコストを負担できるはずです。でも下痢で死ぬ。またある貧困部では、すぐ近くに援助で成り立っている無料の診療所があるのに遠くの私立病院へと向かいます。

問題は一つではありません。たとえば無料の診療所はなぜか看護師が欠勤しまくり、出勤してきません。当然病院はしょっちゅう締まっていて、いつやっているのか誰もわかりません。また人は自分の納得できることを基に初めて判断を下せますが、そもそも貧困状況の多くの人には高校の基礎生物学程度の知識もなく、病気を治すための誤った知識を信じ込んでいたら、この間違いを自覚できるチャンスはほとんどありません。

予防注射は非常に有効な防御手段ですが、これはわずか数種類の病気を予防するだけで、予防注射を受けたのに別の病気になったら騙されたと思って二度と予防接種を受けなくなってしまいます。100円で何人の命が救えます、といったコンセプトがよく寄付をする際のキャッチコピーとして使われますが、実際にはそれを行き渡らせなければならないのです。

具体例として健康の現場を取り上げましたが、本書では全十章、それぞれ①飢えについて。②健康について。③教育について。④大家族について。⑤保険について。⑥金貸しについて。⑦貯蓄について。⑧起業について。⑨政策・政治について、それぞれ問題点と、具体的な改善策を検討しています。非常に地道ですが、空想に頼るでもなく、魔法の杖に頼るのでもなく、真摯で誠実です。

あと面白かったのが、貧乏人について話しているはずなのに、日本の状況とも当てはまるところが多々あることです。たとえば貧困国のほとんどの人が将来の夢を「公務員」と答えるとか、投票する時に有権者たちは投票時以外候補者にあったこともなく、似たような公約を並べ、ようするによくわからないから適当に選びます(だからすぐに意見を変える)。

日本が貧困国化しているという見方もできそうですが、貧困国の人達も、いわゆる先進国の人達と何ら変わらないということなんだと思います。先進国では貧困国で問題になっている諸問題が、「システムによって気づかないうちに解決されている」だけなのです。だから貧困国の問題は僕達の問題に直結しているのです。

貧乏人の経済学 - もういちど貧困問題を根っこから考える

貧乏人の経済学 - もういちど貧困問題を根っこから考える