基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

スゴ本の方の書いた記事が面白いので分析して勉強する。

最近僕も少しは面白いブログを書くことを意識したほうがいいのではないかと思うようになってきた。特に何かがあったわけではないけれど、マンネリ化してきたこともある。まあ要するに今までどおりのやり方には少し飽きてきたので、ちょっと別のことも取り入れたくなってきた。

小説家の指南本などにはよく、好きな小説家の小説を細かく分解して、それぞれの要素を分析しろというようなことが書いてある。なるほど、それは確かに勉強になりそうだと思った。ただ僕は別に小説を書くつもりもないので、特に生かされることもなかった(だいたい小説って長いから、分析するのも面倒くさい気がする)

要するに僕は少し変化をしようと思い、小説家がうまくなる方法をやってみようと思った。そして思っただけではなく、好きなブログの書き手さんの文章をばらしてどのように書いているのか分析しようと思い、やってみました。

わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる』さんの最近読んで大変おもしろかった「貧乏人の経済学」はスゴ本: わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいるの記事から引用・分析させてもらっております。

気づかれた場合、もし何か問題があったら言ってください……。すぐに削除します……。

以下引用部分はすべて上記の記事からの引用になります。1.とかついているのが僕のコメントです。

「経済学者≒ソフィスト」と冷やかに観察しているが、本書は例外。

1,つかみ。数ある経済本の中でもその本だけが特別であることを最初に、端的に明かしている。

 なぜなら、後知恵の机上論を分かりよいストーリーに押し込んで一丁あがりにしないから。あらゆる問題を一般原理に還元し、紋切型に落とし込む発想を拒絶するから。解決策はランダム化対照試行(RCT:random control test)によって検証済のものだから。

2.つかみに対しての説明。ここでもあくまで全体の要約的に、この本の特色がどこにあるのかを説明している。

 紋切型の経済学者が唱える「銀の弾丸」はないものの、「こんな状況下でこういう対策を打つと、確かに効果が期待できる」といったシナリオは描ける。面白いことに、そのシナリオを支える理屈は、「いま」「ここ」にも適用できるセオリーであるところ。

3.さらに特別な部分の説明を先に進めている。この例で言えば、他の経済書との違いは「銀の弾丸」があるのではなく、確実に効果が期待できる手法にあることがわかる。そしてそれが「いま」に適用できるものとして、注意をひきつけている。

わたしが貧困の罠に陥っていない理由は、わたし個人の努力よりも、社会システムに依拠しているものが大であることが分かる。見えるもの(社会保険、公衆衛生、教育システム)だけでなく、そこからくる見えないもの(安心、安全)に二重三重に保護された「わたし」が見える。

4.「いま」にどのようにして適用されるのかの説明。本書で明かされた理論をまとめ的に解説しながら、「いま」の私達の状況を表している。今ここで読むと、少し唐突に感じるが後でつながってくる。

 「最貧者にもっとお金を」「外国援助が発展を潰す」「紛争解決を優先せよ」「自由市場に任せなさい」―――ほとんどスローガンのよう解決策は、あっちこっちでさんざん読まされてきた。それぞれの主義主張に沿ったエピソードが語られ、単純な図式による貧困からの脱出対策が描かれる。著者は、そうした「大経済学者」の一刀両断方式に対し、「単純な問題には単純な答えしか出てきません」と静かに返す。

5.「いま」から元々の主軸に戻る。元々の主軸とはようするに本書の特別な部分であり、ユニークポイントだ。読めばわかるが、非常にシンプルにまとめられている。この辺がやっぱり技術だよなあ。

 「大経済学者」サックスとイースタリーの主張の相違が象徴的だという。マラリア予防の蚊帳の無償で配るべきか否かといった、厳密な答えがあるはずの具体的な問題でさえ、まるで違った見解が出てくるのには、ちゃんと理由があるのだと。いささかカリカチュアライズされてはいるものの、それは、その人に固有の世界観に左右されることが多いというのだ。つまり、突き詰めると理論ではなく、「何を信じるか」に拠るのだ。

6.ここから話題が転換して、本書の具体例がはじまる。具体例は問題をわかりやすく説明してくれる有益な方法だけど、タイミングと使いどころが難しいと思う。多すぎても読む気がしなくなるし、出すのが早すぎてもとっかかりがつかめなくて読む気がしなくなる(と個人的には思う)。ここはベストだと思う。

 やっぱりね、と頷きながら読む。経済学の理論の「客観性」に疑義をさしはさむと、脊髄反射される方がいらっしゃるが、「客観性」を支える前提条件やモデルを選ぶ主観は、確かに存在する(ばっさりイデオロギーと呼んでもいい)。そして、経済学の「正しさ」は、拠って立つモデルや前提条件の範囲で「正しい」といえる―――などと常々考えてきた。

7.著者の意見に対して、個人の意見、感想。ここもしっかりとした自分自身の論理が語られていて、ある意味書評の肝の部分。本の内容を要約しているだけだと、どうにも面白くないものだ。

 しかし、本書ではそうした前提やモデルのパラメータを変えて、複数の対照群に適用する。

8.しかし入りました! 自身の考え⇒それを補強、進展する形での本書の要約につなげていく。シームレスでとてもうまい。面白い

あたかも、新薬の実験で偽薬を飲ませる対照群を用意するように、経済施策でもプラセボを考慮するのだ。経済がほとんど成り立たない田舎に、突然セレブやらカメラやら補助金が押しかけたら、そりゃあ豊かにもなろうもの。だけどその「豊かさ」のどこまでがドーピングで、どこからが施策そのものの効果か、どうすれば見えるようになるか―――この疑問への解が、ランダム化対照試行なのだ。

9.ここで本書の肝であり特別な部分である「ランダム化対照施行」の説明をする。流れとしてとてもうまいと思う。

 もちろんこれも万能ではない。経済状況は流動的で、環境はどんどん変わるし、だいたいプラセボ(偽薬)のほう、要するに「援助なし」のほうは不公平ではいないかといった不満も出てくる。それでもめげずに根気よく実施する。そもそも「援助あり」は良い結果になると限らないから、必ずしも不公平にならないという信念(疑念?)とともに。

10.その新たな手法である「ランダム化対照試行」を単純に褒め上げるのではなく、限界も同時に指摘する。ただ限界を指摘しつつも、前向きな信念を語ることでネガティブな印象にならない。

 潔いのは、経済状況の複雑さを、対策がうまくいかない言い訳のために用いないところ。複雑なものは複雑なものとして扱い、費用対効果を睨みながら予想と結果のFit/Gapを淡々と分析する。得られる知見は驚くべきものだ。わたしのこれまでの「貧乏な国」に抱いている常識をうち破ったうえ、(わたしの日常に常識に照らしたうえで)納得できるのだ。

11.補足的な説明。ここまでで本書の筋の部分の説明は終わっており、後は肉付けをしていくターンであることがわかる。

* 飢えている人でもカロリーよりおいしいものやテレビを優先する
* 就学率が上がらないのは、学校がないからでない。むしろ子ども自身や親が学校に行きたがらない/行かせたがらないから
* 途上国に多い作りかけの家は、実は貯蓄手段
* 制服がある女子校と、その生徒の初性交の年齢に相関があるわけ
* 貧乏人が貯蓄をしないのは、貯蓄を「安心して」「半強制的に」できるシステムがないから(自制心のなさは、貧困国、富裕国似たり寄ったり)

12.肉付けの部分。本書で行なっている特別な手法から得られた、今までは知られていなかった特別な結果事例。ここはだらだらと長く書かずに、箇条書きで一気にまとめてしまう。なるほど。

 それぞれのストーリーは、必ずしも「効率的」「経済的」な便益を持つものではない。なぜ貧乏な人がさらに貧乏になる選択肢を積極的に取るのか、わたしの常識から見える。わたしの常識の「前提」や「モデル」を、貧困国のそれに置き換えてみるのだ。すると全く同じ動機にうごかされるだろう。「マラリア予防施策のオプション」と「フィットネスクラブに通うと保険金が安くなるオプション」は、同じ動機付けに支えられている。

13.肉付けの部分の説明。「なぜこのような結果が出たのか?」という問いかけで、これらの事例にひとつの論理を与える。手法の説明(幹)⇒肉付け(手法によって得られた結果)⇒肉の解体(その結果は何を意味しているのかの分析)という感じで進んでいる。

 そこから得る結論は、自分の健康や安全について、正しい決断を責任をもって下せるほど忍耐強くも、知識もない「わたし」だ。情報不足、弱い信念、問題の先送りをしている「わたし」だ。これは貧乏な国に住む人となんら変わりはない。わたしの強みは、わたしが当然のように享受しているもの―――安全な水や食べ物、(おおむね)信頼できる医者や金融システム、保険制度や予防接種や、警察システム―――こうした後押しに支えられ・囲まれて生活していることなのだ。

14.最初に少しだけ本筋からそれた「いま」「わたし」の問題に立ち返ってくる。うまい伏線のようだ。面白い。

 システムに組み込まれた「安全」は、「安心」を支える。わたしがその日暮らしに陥らず、ある程度未来を見据えて予防的に動けるのは、この「安心」に拠るのだ。ちょっと自分の思ったとおりに動かないようにみえる行政に目くじら立てて、行政そのものを否定したり、こき下ろしたりする連中にならないように。これがダメなら全部ダメという二択の罠に陥らないためにも、本書の結論を引いておこう(p.349、p.101より、太字化はわたし)。

15.14で立ち返ってきた貧乏人の経済学が教える私達の経済システムの本質的な側面についての説明を先にすすめる。論全体がまとめに入っている。

貧乏な人は自分の人生のあまりに多くの側面について責任を背負い込んでいます。金持ちになればなるほど、だれかが「正しい」判断を代わりに下してくれます。貧乏人には水道がなく、地方政府が水道に入れてくれる塩素消毒の恩恵を受けられません。きれいな飲料水がほしければ、自分で浄水しなければならないのです。栄養満点の出来合い朝食シリアルは買えないので、自分や子どもが十分な栄養素を得ていることを、自分で確認しなくてはなりません。退職年金天引き制度や社会保障料天引きなど、自動的に貯蓄する方法もないので、自分が確実に貯金するような方法を考案しなければなりません。
こうした意思決定はだれにとってもむずかしいのです。いま考えたり、今日ちょっとした費用が必要で、その便益を回収できるのははるか将来のことだからです。だから、すぐに先送り傾向が邪魔になってきます。貧乏人たちにとっては、人生がすでにわたしたちよりずっと面倒なので、さらに事態は悪化します。
豊かな国に住む者こそ、そうした過干渉の絶え間ない受益者ではないでしょうか?ただそれがシステムにしっかり埋め込まれているため、気がついていないだけなのです。おかげで、自分で何もかも決断を下さなくてはいけない場合にくらべ、ずっと健康状態もよくなるばかりか、そういった問題に煩わされずにすむので、生活のほかのことに専念するだけの心のゆとりも生まれます。

16.本書からの引用で核心的な部分をまとめてしまう。「わたしたち」の社会の本質があらわになるのと同時に、わたしたちもまた貧乏人と本質的な部分では変わらないのだということがわかり、問題が身近になるだろう。

 訳者は例によって山形浩生氏、いつもの砕きまくりの翻訳ではなく、抑制した筆致で正確さを求める著者を代弁するかのような文章に仕立てている。本書を手にする方は、いつものように末尾の「訳者解説」から読み始めるのが吉。ちょっと毒を含んだいつもの山形氏ではない、(耳に痛いことを言われて)ちょっと背筋を延ばした訳者が見えるから。

17.まとめ、補足的説明。

18.僕のまとめ
なるほど。非常にうまいですね。とてもこうは書けない。つかみやその後の説明に行く構成的な流れは真似出来ても、要約の技術とか、適切なポイントで具体例を挙げるタイミング取りとか、簡単には真似できない。だからこそ人気ブログなのでしょうな。ちなみにdankogaiさんなどの書評は、構造とかいうよりかは自分自身の知識が全面に出てくるタイプなので、とても分析してどうにか出来るようなものではないと思いました。