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世界で勝負する仕事術 最先端ITに挑むエンジニアの激走記

まるで上質な物語のようだ。挫折、挑戦、転機、どん底、そこからの復活──。

本書『世界で勝負する仕事術 最先端ITに挑むエンジニアの激走記』は、東芝で長年フラッシュメモリ事業の製品開発に携わり、現在は東京大学大学院で准教授をやっている竹内健さんの自伝的な内容を扱っています。タイトルにあるように「最先端」に挑む続けるその姿勢のせいで、数々の悩みにぶち当たるが、アイディアと努力で解決していく。

ただの自伝ではなくて、エンジニアとしてどう生きていけばいいのかという指針、仕事術を自らがやってきたことをもって示しているところが面白いです。まあ大抵「自分の経験からくる仕事術」みたいなものは、その人にしか適用できないものが多い(抽象化されていない)からあまり真に受けてもしかたがないのですが、エンジニアとして行動してきた人の言葉はやはり少し違う。

いやあ、それにしても竹内さんはよくできたプロットのような人生の方です。最初は研究者になるつもりでいたのが、カリスマ的技術者だったフラッシュメモリの発明者舛岡さんの熱に魅了され東芝に入社。しかし入ってみればフラッシュメモリは社内の技術者からも将来性がないと思われている分野でした。

元々バブル時代で、事業の多角化として進められていた分野だったそうですが、竹内さんが参加した頃はバブルがはじけた後で、見込みのない部門はどんどん縮小・閉鎖されていく状況でした。しかし今だからこそ言えることですが、一見無駄にも見える「事業の多角化」というのは本当に重要ですね。この頃は見込みがないと思われていたフラッシュメモリが、今やメインストリームになり、何千億もの売上をあげるようになっているんですから。

もちろん資金が潤沢でないと出来ないことですが、「何があるかわからない将来に備える」という意味で、どんな時でもチャレンジが出来る仕組みが必要だと思いました。だいたい僕は「調子が良い時」の原因というのは大抵「すべては過去の下準備である」と考えています。だから「調子が良い時」に調子が良いからといって未来への下準備を怠るから、世の中の多くの失敗や失墜が起こっているのではないでしょうか。

話がそれました。竹内さんはフラッシュメモリなんかまったく知らなかったので、単純な作業をしながら仕組みを覚えて、アイディアを出せるようになっていきます。しかし3年目にしてついに、研究所の閉鎖が決定されてしまいます。このころ「多植フラッシュメモリ」という技術の開発を進めており、手応えがあったそうです。

しかし竹内さんは「会社が認めないなら、世界で認めさせてやる」と陰で当時の研究所の先輩たちと多植フラッシュメモリの開発を続け、論文を国際学会で発表、特許をとり現在はこの技術が主流となってほとんどのフラッシュメモリで使われているそうです。上司の目を盗んで会社に内緒で作り上げた技術でした。

最近よく「未来を確信をもって予測できるものかなあ」とぼんやり考えています。たとえばこの竹内さんの例なんかを見ると、かなり明確にフラッシュメモリがくると予測し、そして多植フラッシュメモリが使い物になるという手応えを感じています。そういうのはどうやって得られるんだろう、と考えてしまいます。

それさえわかればこの不安定な時代でも、もう少し確信をもって進んでいけるのになあ。前述の舛岡さんしかり、竹内さんしかり、確かな技術に下から支えていれば自ずとわかってくるものなのでしょうか?

竹内さんの話に戻ります。そのままフラッシュメモリを作り続けていれば普通に一生安泰だと思うのですが、その後MBA(経営学修士)を取得するためにスタンフォード大学に飛びます。会社とかなりもめたようですが、押し切っていったようです。その時の論理もまた面白い。『よい技術を開発しても商品化できないのはなぜなのか。これは技術者なら誰もが直面する問題です。これは技術そのものではなく、マネジメントの問題ではないのか。だったらMBAだ。そう考えたのです。』p36-37

たしかに。いくら優れた技術があっても、ただ承認欲求が欲しいわけでもないならば、それが売れなければ意味がありません。もっともこの問題に関して言えば、受け手側の問題、送り手側の問題どちらもあるはずです。でも、マネジメント的な解決法が一番王道だなあ、それこそがマネジメントなんだ、とここを読んでいて思いました。それを思いついただけでなく、実際に実行してしまったのが凄いですね。

で、スタンフォードで非常に重視されていたという組織論の話が面白いです。組織の問題点を突き詰めて考え、「なぜ部下は働かなくなるのだろう」「なぜ経営者は間違った判断を下すのだろう」とすすめていき、「人間とはなんだろう」とさらに深いところまで考えていくそうです。「人間とはなんだろう」は経営に必要なのか? と思ってしまいますが、

実際の経営的な問題を見ていくと「理詰めで考えていけば誰もがとるであろう選択が、常にとれるわけではない」という問題の本質が見えてくる。なぜ「わかっていたのに避けれなかったのか」などという問題を突き詰めて考えていくと、心理学や哲学の分野に踏み込んでいくことにるんですね。なんか、自分の思い描いていたものとだいぶ違うので、受けてみたくなりました。

無事MBAも取得して、さあ今度こそ東芝で働き続けるんだろうなと思いきや、今度は東大の准教授になってしまいます。ここでも予算が何もつかなかったり、すべてを一人でバックアップなしでこなさなくてはならなくなったり、問題が山積みです。しかしここから新たに始めることも面白い。

大学では「大学に蓄積された研究成果を企業の技術と統合し、新しいアプリケーションを開拓する」手法を進め、長年大企業でつとめてきたこともあって、企業がやりたくてもできないことを熟知し、国の金であることを生かしてリスクをとっていきます。「他の人にはできない、自分だけにしかできないことは何か」というのを考えて、それで成功しているように見える。

挑戦、挑戦、また挑戦の連続で、ひたすらリスクをとり上記に書いたように「誰もやったことがないことをやる」姿勢が読んでいてとても勉強になるし、思考のきっかけになります。今や一介のサラリーマンでもグローバル化が進んで、これから先は直接的にもっと人生が左右されるようになるでしょう。未知の、しかし需要が見込める分野への挑戦しかないのかな。

このような竹内さんスタイルは、本人によれば「走りながら考える」だと書かれています。まず走ってみて、失敗したらもう一度やり直してみる。まず行動してみる、というのが原理にある。で、ばりばりの技術者としてやってきて、MBAまで取得しているのに言うことが随分と人情的だなあと思いつつも、なるほどなあと感心してしまった箇所を引用しましょう。
「走りながら考える」スタイルでいくには、いざ失敗したとき、自分を支えてくれる人が必要です。実際、私も東芝では、研究所時代の先輩、MBAの仲間、舛岡さん、小林さんや古山さんなど、多くの人に助けてもらいました。自分が突っ走って、途中で転んでも守ってくれる人がいる。だからこそ、自由に好きなことができました。(中略)
いざというとき誰かに助けてもらうためには、自分はいつも最大限の努力をしていなければなりません。熱意をもってコツコツとがんばっていれば、それを見ていてくれる人は必ずいます。そして他人の善意を信頼し、自分も他人の信頼を裏切らないこと。性善説で他人に接することで、人は、その良い面を向けてくれるのではないでしょうか。
やはり、人ですね。自分が転んでも大丈夫なように、自分の支えてくれる人を作る。その為に、コツコツと最大限の努力をする。楽観的な根性論そのものですが、でも本当、そうだといいなあと頷いてしまいました。まさに『激走記』。

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