基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

ソードアート・オンライン

なんかアニメもやっているし読んでみようかなあと思って手にとってみたら、これが大当たり。一日2巻ペースを貫いてさっき最新の10巻まで読み終えてしまった。最新10巻までで、四部に構成がわかれており、ストーリーがそれぞれ一区切り、という形になっている。ちょうどアニメ化しているのはその第一部(あるいは第二部まで?)のところ。

あらすじを簡単に書いておくと、フルダイブ型オンラインゲーム(ヘッドギアみたいなのを装着して、身体の感覚をすべてオンラインゲームに再現する)が始動し、その初めてのゲームが正式サービスを開始したところから物語は始まる。しかしそこでソードアート・オンラインにログインした人間は、ゲームマスターから「ログインが不可能かつゲーム上での死が現実での死」に直結するデス・ゲームになったことを知らされてしまう。脱出し生還するためにはアイングラッドと呼ばれるダンジョンの100層ボスを倒さなければならない。

あまりみないオンラインゲーム物だが、それが現実の死に直結しているせいで緊張感のある物語になっている。僕も一時期オンラインゲーム(ラグナロクオンライン)をやっていて、ちょうどβテストからやっていたのですけど、あの頃のオンラインゲーマーの熱気というのは今思い出しても凄いものがあるんです。経験したことがない人にはわからないと思うけれど、まさに「誰も体験したことがない新しい時代を体験しているんだ」っていう感覚が、2000年ぐらいの頃MMORPGをプレイしていた人間には共通してあったと思う。

著者がこの物語を書き始めたのもちょうどそのオンラインゲームが興ってきたとき(僕が勝手にそう思っているだけ)に書かれているもののようです。ラグナロクオンラインプレイヤーでもあったようで、小説の中に経験者ならにやりとするような部分もあったり。あの頃すでにフルライブ型のオンラインゲーム、っていう構想で、これだけしっかりしたテーマで仮想現実を扱ってきたっていうのは、今こうして読んでいると凄いなあとおもいます。

テーマがね、結構いいんですよ。最近『ぼくらは都市を愛していた』という神林先生のSF小説を読んで、「将来的に現実と仮想現実の間に差はなくなる」「情報分散時代が終わり、情報独立時代がくる」ということを考えましたけど、この小説はそういうことをずっとやっているんですよね、もうちょっと個々のエピソードでは具体性を増すことで、掘り下げていくテーマは変えていくのですが。でも根っこのテーマは「仮想現実は現実なんだ」ってことでしょう。

最新刊の方ではAIの問題まで踏み込んでいて、すごい。テーマを更新し続けていく、拡張し続けられるっていうのは、凄いことだと思います。そもそも4巻ぐらいまで読んだところで、「もうネタ切れなんじゃないかなあ」って思ったんですよ。

というのも最初の敵が実は全巻通して最強の敵なのです。伊藤計劃さんのブログで知ったんですけど、こんな感じの悪役です。『ある物事を主人公たちに見せつけることそのものを目的とし、その見せ付ける過程が映画になってゆく、そんな悪役を「世界精神型」と呼ぶ。』まあようするに金や権力といったことに興味を示さず、純粋に自分の興味、楽しみだけでとんでもねー状況をこしらえてやろうとするやつってことでしょうか。

パトレイバー劇場版の悪役、冲方丁シュピーゲルシリーズの悪役、それからこれを書いた伊藤計劃さんの作品の悪役なんかは全部このタイプです。ソードアート・オンラインの最初の悪役もこのタイプでした。ただ弱点がひとつあると思っていて、なんというか「それ以上の悪役を持ってくる」のが難しいんですよね。どうしても「世界精神型」の悪役を観た後だと、金や権力を目当てにする悪役がちっちゃくみえちゃう。

ただソードアート・オンラインの場合は、最初の敵を倒したからといってそれで終わりになるわけではなく、ずっとこの世界観の中に根を下ろしているのがいいですね。それで世界観をまとめあげているといってもいい。なのでとっくに実体としてはいなくなっているのに、常にその影響を感じるような仕組みになっているんです。テーマの刷新もすべてそこから生まれている。

AIに踏み込むことの何が面白いかって言うと、今後の社会の在り方に関わってくる問題です。今後バーチャルリアリティっていう分野はどんどん伸びてくると思いますが、未来を考える時の問題は「どこまで仮想現実は現実を置き換えられるのか」ってところにある。たとえばすでに現時点で、ゲームをして友だちと遊ぶのにわざわざ友達の家にまで行く必要ってほとんどないわけです。

仮に仮想現実上でサッカーやテニス、買い物から何から何まで出来るようになったら、実体同士が遠い距離を暑い中歩いたり、電車にのったり、自転車にのったりして無駄なエネルギーを使う必要もなくなる。いずれ仮想現実が現実に近いか、それ以上の存在になったら仮想現実のほうが余程素晴らしい存在になる。

じゃあ──とその先を考えた時に、「遊ぶ相手は、本当に中身が人間である必要は、あるのか?」という疑問が湧いてきます。「自分の意のままに応諾してくれるAIじゃダメなのか?」と。もしコレに対する答が「それでなんにも問題ない」というのだったら、人間社会の未来はみんなが自分自身が選択した自分だけの現実に引きこもって、自分が作り上げた世界で悠々自適に遊ぶことかもしれない。

これから先も、このテーマを前進させてくれるのかまだわかりませんが、現時点では底が知れない作品であることは確かです。SF好きにも是非オススメしたいシリーズ。