基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

ピダハン―― 「言語本能」を超える文化と世界観

まったく異なる文化について知ることは楽しい。人生に対する考え方や、自分が人間としての常識だと思って当たり前のことがさまざまな違った道のひとつでしかないことを教えてくれる。本書はピダハンという特殊なアマゾンの一部族についての分析の本だ。彼らは現在ピダハン語と呼ばれる言語を喋り、現在約400人ほどが生存している。

著者のダニエル・L・エヴェレットは、ピダハンの村で30年近くを過ごし(ずっといるわけではないが)最初は彼らに宗教を伝える伝道師兼言語学研究者として論文を書いていたが、本書が初の一般向けのピダハン本になる。第一部と第二部で分かれており、一部めが「ピダハンってどんな人達なの」という部分で2つ目が「ピダハン語の特異性について」のようにわかれている。

ピダハン族の生活というのは、読んでいて驚くことばかりだ。調査におもむいているダニエルさんも、1970年の鷹揚な(別の言葉で言えば結構乱雑で適当な)方針もと、ピダハンにキリスト文化を伝えようとして、ピダハン語に聖書を翻訳するために彼らと一緒に過ごす。ピダハンの文化には右・左の概念がなく、数の概念もないし色の名前も存在しない。

ピダハンはそして、とても幸せそうだ。ピダハン語には「心配する」に相当する言語もない。しかしアマゾンで狩りをして過ごしているのだから、決して楽な生活ではない。マラリアもあるし、感染症やウィルス、アナコンダがそこらじゅうにいるから彼らは長い時間熟睡しない。しかし彼らは決して慌てないのだ。そうした一つ一つの事象が読んでいてとても興味深かった。

たとえば面白いのはピダハンの子育てについての話である。ピダハンの社会では子どもも一人の人間出会って、成人した大人と同等に尊重される。それは同時に同じだけの責任を負わされているということで、その子育てはかなり過酷だ。

こんな話がある。二歳児ぐらいのよちよち歩きの幼児が、刃渡り20センチあまりの鋭い包丁をもてあそんでいる。普通ならば血相をかえて取り上げるところだが、ピダハンは干渉しない。それどころか、幼児が包丁を落とすと、母親は何気なく包丁を幼児に手渡す。当然幼児は怪我をする場合もあるが、二歳の時点ですでに自己責任なのだ。

そうやって子どもはすべてが自己責任の世界で育っていく。三歳になった頃から、母親に乳をもらえなくなり強制的に自立させられる。腹が減っても、自分が働かなかったら誰も何も食わせてはもらえない。そうするとだいたい頑固になったりするが、最終的には親のやり方を真似していくのがよいと気づく(そうしないと死ぬから)。

あともうひとつ、家族以外の部分で面白かったのが、ピダハン部族の結びつきだ。というより関係性というのか。こんな話がある。ある日著者がピダハン語を教えてくれる先生のところに行くと、先生の兄弟が酒を飲んでいた。彼のかたわらには先生の犬が兄弟はワンワン吠えていて、吠えるのをやめろと言っている。

著者がさらに近づいたところで、兄弟はショットガンで犬の腹を撃ちぬいて殺してしまった(ひどいことをするもんだ)。子犬は地面にたおれこんで、虫の息に。死んでいく犬をみて、先生は泣く。大事な犬を殺されたのだ。当然復讐か、何らかの代償を払わせるだろう、と思う。復讐しないのか、と尋ねる著者に対して、先生はこう答える。

何もしない。兄弟を痛めつけたりはしない、と。当然あいつは間違っていたと認識はするが、しかしそれでもおとがめなしだ。強烈な自己責任社会だが、彼らはだからこそ他人に指示したりしない。困っていて助けられそうなら絶対に助け合うが、決してケンカはしない。

ピダハンの文化は極端に保守的で、彼らは満たされているが故に自分たち以外の文化を決して受け入れようとしない。著者が数を教えようとがんばったときも決して憶えなかったし、カヌーを作るといった実際に役に立つ技術さえも受け入れようとしなかった。面白いのが、彼らが口にするのは絶対に「現実に起こったこと」だけなのだ。

たとえば彼らはイエスの物語を信じない。必死に伝道しようとする著者に対して、「そんな昔のこと、誰がみたっていうんだ?」と笑うだけだ。ピダハンは自分たちが観たことしか離さないし、自分たちの時間以外に言及することはない。だから一般的にみられる創世神話もないしこの文化のせいで彼らの言語の文法は規定されている(その辺の話は第二部で重要になる)

ピダハンは深淵なる真実を望まない。そのような考え方は彼らの価値観に入る余地がないのだ。ピダハンにとって真実とは、魚を獲ること、カヌーを漕ぐこと、子どもたちと笑い合うこと、兄弟を愛すること、マラリアで死ぬことだ。そういう彼らは原始的な存在だろうか? 人類学ではそのように考え、だからこそピダハンが神や世界、創世をどのように見ているか懸命に探ろうとする。

だが彼らが満たされ不安から解放されているのだとしたら、彼らのほうがより先に進んでいるといえるのかもしれない。彼らの文化が魅力的なのは、それが既に完成しているからなんだろうなあ。彼らは何も取り入れようとしないし、変化しようとしないけど、それはすでに充分満たされているからなんだもの。

しあわせってなんなんだろうね。ふと思ったのは、未来のことを考えることは不安につながるのかな。何しろ未来については絶対の予測なんてつかないし、かといって宝くじがあたって〜みたいな楽観的な予測もできはしない。未来の予測は基本的にネガティブなものだ(もちろんその方が生存に有利だったからだ)。

自殺をする人がなぜ自殺をするのかといえば、未来に希望が持てないからだろう。これから先もずっとこんな生活が続く、あるいは未来は悲惨でしかないという絶望が人を殺すし不安にさせる。妄想にとらわれないで、「いま・ここ」だけ楽しく生きることに注目してみれば、楽しく生きるのも難しくないのかもしれない。たとえ次の日に死んでしまうとしても。

ピダハン―― 「言語本能」を超える文化と世界観

ピダハン―― 「言語本能」を超える文化と世界観