基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

もっと勉強しておけばよかったと思った話

『学力と階層』という、学力における階層差が存在するのかを分析した本を読みながら自分が受けてきた教育について考えていた。小学校のときは楽しかったような気がするが、中学高校と上がるにつれて嫌で嫌でしかたがないものになり、なんとかして避けるべきものになっていってしまった。

思えば誰もが「将来絶対勉強しておけばよかったと後悔するよ」とか「勉強はゲームだと思えばイイ! 楽しいぞ!」とかクソみたいな理屈で人に勉強をさせようとしてきたが、僕はその頃からすでに大半のゲームが嫌いだったし、「絶対将来勉強しておけばよかったなんて云わない!!」と激怒して適当に好きな本を読んでサボっていた。

しかし今こうして「もっとちゃんと勉強しておけばよかったなあ」と考えているのだから、そういうものなのだろうな。でも「将来後悔するから勉強しておいたほうがいいよ」とは人にはいわないようにしよう。そんなのわからないからね。

なぜ今更後悔しているのかといえば、まあたとえば本屋にいるところを想像してもらいたい。広い本屋だ。5階建てで分野に分かれて本が並んでいる。僕は1階にいって最近出た新刊で自分のお気に入りか、あるいは読みたかった本が出ていないかをチェックした後文庫売り場や新書売り場、話題書のコーナーで何か面白いものが出ていないかを探る。

そしてたまにはプログラミングで遊ぼうと思って技術書のコーナーにいったり、もう少し難しい実践的な経済学の本を読もうと思って行ったり、難解な哲学書のコーナーにいったり、あるいは数学のコーナーに迷いこむこともある。しかしそれぞれのコーナーに何百といった面白そうな本、読んでみたい本があるが僕はそこにアクセスできないのだ。

僕は読書が好きで、小説からノンフィクションまでだいたいなんでも読む。だからこそアクセス出来ない階層が本屋の中に存在しているというのは悲しい。楽しいゲームを遊んでいるのに、開放されない区画がいつまでも残っているのだ。しかもそれは僕が今まで読んできたものと負けず劣らず面白そう。でもそこにアクセスすることは出来ない。それを楽しめるだけの基礎が自分の中にできていないからだ。

知ることには終わりは今のところないようだが、その前に、知ることには順番と準備が必要なのだ。当たり前だけど。基礎知識をしっかりと勉強しておくというのは、楽しそうなところに、どこにでもアクセスできるようになる切符を手に入れることになる。僕は数学をろくに勉強してこなかったせいで楽しそうな数学書が読めないし、それは悲しいことだ。

もちろんいつだって遅いわけではないので、今から始めたっていい。というか、すでにはじめている。ただし基礎学力(特に数学のような分野は)は、学習に時間を必要とする。数冊本を読んでそれではい完璧というものではない。今となっては、ただただ時間がもっと欲しい。学生のとき熱心にやっておけばよかったなというのは、あれだけたくさんの時間を数学の為に持っていたのだからもったいなかったなとふと思った話でした。

あ、「だから勉強しといたほうがいいよね」という話ではない。「これこれこういう理由で勉強しなさい」という理屈で説得すると「じゃあそれはどうでもいいから勉強しない」という反論を許してしまうからである。何も云わず、ただ楽しそうに勉強していれば、自然とその姿をみた人間も勉強するものだと思う。そういえば僕に勉強をしろと言ってきた人は、誰一人として勉強なんてしていなかった。