基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

ラーメンと愛国

速水健朗さんの近著であるショッピングモールの本が面白かったので、気になっていたこちらも読んでみました。どうもね、「ラーメン」にまずそそられないし、「愛国」なんて言葉は見るのも嫌なのでなんとも微妙なタイトルだなあと思っていたのですが、読み終えてみればこれがめっぽう面白い。ショッピングモールといい、本書といい、ワンテーマの注目の仕方がうまいですね。

第一章 ラーメンとアメリカの小麦戦略
第二章 T型フォードとチキンラーメン
第三章 ラーメンと日本人のノスタルジー
第四章 国土開発とご当地ラーメン
第五章 ラーメンとナショナリズム

内容はラーメンをものさしとして見る日本文化といった感じ。日本の文化の移り変わりの要所要所でラーメンが果たしてきた役割と、変遷していく文化の中でラーメン自体がどう変わってきたのかをみていく。たとえば第一章『ラーメンとアメリカの小麦戦略』では、戦後アメリカの小麦農家が大量に余らせた小麦をヨーロッパへの食糧援助という形で利用し(それによりソビエト連邦への牽制とした)、その流れで日本への小麦支援も成った。

ここで面白いのが、米を主食とし江戸時代には税としてまで使っていたこともあって政治の在り方と結びついていたことだ。それが日本の戦後の食糧危機と、大量の小麦支援によって日本人の主食が米からパンに代わり、食文化への侵略という結果になった。とうぜんこれもアメリカ農務省の市場開拓を目的とした戦略だったわけだ。近年のGOPANの成功が食料自給率の問題などと絡められていることにもふれいて、ようは「食と政治の在り方」についての話が本章のおもしろいところだろう。

二章『T型フォードとチキンラーメン』ではT型フォードに代表される大量生産技術と、チキンラーメンを軸に語られるラーメンの大量生産史である。いつでも安価に食べられるラーメンを工業製品としてつくるというアイデアチキンラーメン創設者の頭にうかび、その後の展開はご存知の通り、大ヒットしてT型フォードに乗る人間が誰もいなくなっても未だに生産され続けている。

この話で印象的だったのが、創設者の安藤百福が2007年に逝去した時の日米間の反応の違いにある。日本ではチキンラーメンを発明し、インスタントラーメンという市場を創りだしたことにある業績が讃えられたが、ニューヨーク・タイムズでは百福を「労働者階級のための安くて、きちんとした食べもの」を独力でつくった人物として評した。ようするに起業家として評価するのか、大量生産技術を使って、安価な食べものを作るといった思想への評価だったのかという違いだろう。

三章は飛ばして四章『国土開発とご当地ラーメン』が一番興味深かったところ。日本全国にご当地ラーメンが広まっていったことと、戦後の国土開発をあわせて語っている。ご当地ラーメンて何? と思ったけど、札幌ラーメンとかのことをそういっているらしい。そうか、そういえばそうだな。札幌ラーメンとかはもうなんか、札幌という地名とは切り離された商品名のような気がしてしまっていた。

だってこの前沖縄にいったんですけど、そこに札幌ラーメンがありましたからね。「なんでだよ」と思ったけれど、ここを読むとまあそういうもんなのかな、っていう気がしてくる。ようするにご当地ラーメンは郷土料理ではないっていうのがこの章での主張なんですね。郷土料理の定義はよくわからないんですけど、地元の文化なり風習なり、歴史的経緯が染み付いた料理であることです。

それがたとえば札幌ラーメンでいえば、もともと伝来されてきたのはとんこつベースのものであり今で言うみそラーメンは偶然的に出てきたものが偶然的にヒットして他が真似していつのまにか札幌ラーメンといえば味噌ラーメンであるとして広まったのですね。地方が持つ個性としてではなく、観光向けの資源として捏造されてきたのがご当地ラーメンであるという話です。

ラーメンにナショナリズムパトリオティズム(郷土愛)、地産地消スローフードといった思想が入り込んでくるのも、一度壊れてしまった、流れが途切れてしまった歴史や伝統を、再び取り戻そうという意思なのだろう。

本書を読んでいるとラーメンがいかにして日本人に密着して生きてきたかということと、それと同時に今述べたような捏造された歴史をもってしてでも物語、伝統、それに文化を取り込み、ただ食べる為の「食」だけではない「文化としての食」のラーメンといったものが見えてくるようです。見かけないテーマなので、読むと新鮮ですよ。

ラーメンと愛国 (講談社現代新書)

ラーメンと愛国 (講談社現代新書)