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JORGE JOESTAR:ノベライズではなく、コラボレーション

JOJO小説家プロジェクトもついに上遠野浩平西尾維新と続いてこの舞城王太郎で第三弾! 当たり前だが当たり前の、「JOJOですよー」というJOJOを書いてくる舞城王太郎ではなかった! まるでJOJOという世界観内での整合性を踏みにじって蹂躙してそのまま無視して走り去っていくような爆弾のような作品で、読んでいる内に「え、え、こ、これはいいのか……おお、おお……」と思わず声が出てしまうような展開が待っている。

書名の『JORGE JOESTAR』は原作JOJOでは第一部ジョナサン・ジョースターの息子であり第二部主人公ジョセフ・ジョースターの父にあたる人物で、当然時代も「その間でまとめるんだろう??」と思うだろうが前述の通りそんなことはない。枠という枠をとっぱらって疾走感とかおもしろさといった物語の根源を目指していく。

そもそもノベライズなんてーのは他人様の世界観を借りて作るわけで、いくら自分のうちだと思ってくつろいでくださいと言われてもなかなか自分家のようにくつろぐわけにはいかないのと同じように、どこか遠慮がちになるはずだ。その結果ノベライズではよくまとまった良い作品というのはあっても、長さという意味ではそこまで長くなることもないのだが、舞城王太郎はそんなことは気にしなかった*1(ああでも成田良悟は別ね。長くてもキッチリ人の作品を書いてくる。あれはすごい。)。

しかし舞城王太郎ジョージ・ジョースターに眼をつけたのは正直すごいよね。優れた作家ってのは想像力をふくらませることが出来る隙間を見つけてくるのがうまいんだよ。実質ジョージ・ジョースターに与えられた役割なんて、リサリサと結婚してジョセフ・ジョースターを孕ませればそれで万事OKなんだから。ジョージ・ジョースターの物語について、舞城王太郎はやりたい放題できるのだ。

ルパン三世でも「あのルパンの息子でルパン三世を育てたルパン二世はどんな凄いやつなんだよ」っていう疑問があったりするけれど、ジョナサン・ジョースターを父に持ち母親の胎内にいるときから棺桶で海を2日間漂流して、そしてジョセフ・ジョースターを産んだんだから。いったいどんな人間だったんだろうと不思議に思う。その人生が波乱に満ちていなかったわけがない。下記では面白さに触れてもらうために冒頭部を要約しているので注意されたし。

物語は2012年、西暁町(福井県の架空の町で、舞城王太郎作品ではおなじみだ)に存在する日本人のジョージ・ジョースタ(彼は名探偵だ)、を主役とする現代パート(それにしたって名探偵……)と1900年代のラ・パルマ島(スペイン)を舞台に「正しくJORGE JOESTAR」を書くJORGE JOESTARパートの二つが交互に入り乱れて進行する。名探偵、そして西暁町は舞城王太郎作品にとってはお馴染みのキーワード、世界観であって、JORGE JOESTAR率いるJOJOの面々と交錯するこれはノベライズとはいえず、「コラボレーション」といったほうが正確だろう。

1900年台のJORGE JOESTARというキャラクター造形も、従来のJOJOとは一線を画している。JOJOの歴代主人公たちはみな最初から勇気を持っていたわけではなかったが、早々に危機的状況に叩きこまれて「否が応にも」対応力とそして勇気を発揮させていく。しかし本作のJORGE JOESTARはいきなりイジメられている。イジメられ、ボコボコにされながら、兄弟のように育てられたリサリサに助けてもらうのだ。情けない。波紋を習得しないかと言われた時も、二度と怖い思いをしたくないからと拒否するような弱い状態から始まる。

そしてこの作品が舞城王太郎とのコラボレーションであることの証拠に、いじめられっ子のJORGE JOESTARが通う学校には美男子な東洋人、九十九十九がいる。奇しくも発売日は9月19日で、どう考えても狙っているよねえ。JOJOの作品なのに九十九十九になぞらえて出してくるとはどうかんがえても「これはまあ、俺の作品だからね」といった強気を思わせるがそもそも九十九十九の生みの親は清涼院流水であって、清涼院流水こそがこの本を支配していると言えなくもない。

話がそれた。九十九十九は元々は清涼院流水のJDCシリーズに出てきた、美貌のあまり顔を直視した人間がみんな気絶してしまう上に、情報さえ揃えばどんな難事件でもたちどころに解決してしまう名探偵だ。本作に出てくる九十九十九も役割は「名探偵」だ。美貌で人を気絶させたりはしないが、情報さえ揃えばたちどころに事件を解決してしまうのだ。銃が出てきたらそれは射たれなくてはならないと誰か有名な人がいったが、名探偵がいるんだったら事件は起きなければならない。しかもこれは舞JOJOなのだ。

だからこそ第一章『九十九十九』で、JORGE JOESTARは殺人事件に巻き込まれる。しかもそれはスタンドのようななんだかよくわからん現象が起こした事件であり、なんだかよくわからないうちに九十九十九と助手のようになったJORGE JOESTARは事件を解決する。スタンドと名探偵の初めての共同作業である。

その後、九十九十九は日本に向かう。しかし向かう途中の船が沈没し、なぜか2012年の日本、福井県西暁町に飛んでしまう。物語はたやすく現実的なルールを越境してそのままならば荒唐無稽で無秩序になるところを勢いと論理とわけのわからない概念構造と駄洒落みたいな言葉遊びで無理矢理まとめあげていく。

余談。清涼院流水もそうだけど、舞城王太郎の「言葉遊び」「語呂合わせ」「わけわからない事件同士の神話や聖書とのこじつけ」って単なる駄洒落ではなく、あの無茶苦茶な展開と驚かせたいだけのハッタリから、最低限整合性だけはとれている物語にする為の一つのツールだと思うんだよね。そしてだからこそ想像力を限界を超えて広げていくことが出来るのだ。

そこにいるのは日本人で名探偵のジョージ・ジョースターでここにもやっぱり名探偵がいっぱいいる。わんさかいる。ここは舞城王太郎のホームグラウンドなのだ。しかし舞台はすぐに2012年の杜王町にうつる。ここはJOJOファンにとってみれば言うまでもないが、杜王町は第四部の舞台であり吉良吉影岸辺露伴がいる街だ。

名探偵という「絶対に事件を正しく解決してしまう」ような存在が多数存在する世界では、物語はメタ的にならざるをえない。名探偵は情報がそろった時点で確実に事件の正解を言い当てるが、いい当て続けるが、人間は間違えるはずなのに間違えないこの名探偵という俺は何なのだ? あるいは名探偵が二人いて、どちらかが先に事件を解決したらもう一人は「もう名探偵ではないのか??」という物語であることに名探偵が気づいた時に、物語は動き始めます。

感動してしまうのが、このコラボレーションではかたやメタフィクションを主軸に据えた作風と、古風の吸血鬼や究極生命体などが出てくる超常のJOJOワールドの設定が奇妙に融合しているところなんですよねえ。それも自然に、JOJOの設定を引き出してまるで元々自分のものだったように使いこなしているように見える。九十九十九清涼院流水のものだったのに、いつのまにか舞城王太郎が使いこなしてしまっているように。

もっとも主役は常に「JOJOワールド」であり、そこからズレていくことはないので、JOJOファンでも楽しめる内容になっているはずだ。自分の好きなキャラクタが蹂躙されたり意味不明な「名探偵」が入り乱れる世界にいるのを読まされるのは嫌だという人には当然おすすめすることは出来ない。

スタンドに並行する概念としてビヨンドという舞城王太郎独自の概念が出てきたり、系譜としては九十九十九とか、ディスコ探偵水曜日系譜だ。舞城王太郎ファンにも(というか舞城王太郎ファンにこそ)読んでもらいたい一冊でもある……が、中身はガチガチのJOJOファン小説なので、僕のようなJOJO舞城王太郎を心の底から好きだと言える人間が、もっとも本作を楽しめるのである。

JORGE JOESTAR

JORGE JOESTAR

九十九十九 (講談社文庫)

九十九十九 (講談社文庫)

*1:具体的にページ数でいえば、『JORGE JOESTAR』は765ページ。