基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

僕たちのゲーム史

ゲームの話はおもしろい。ゲームをしているのと同じぐらいゲームについての話をしているのもおもしろい。ゲームは独自にルールを設定することなので(全く別の世界を作ることでもある)発想をある程度自由にさせるし、遊びっていう楽しさの原理にいちばん関わっているからだろう。だからこそゲーム自体は最近はじまった物ではない。

ヘロドトスが書いた『歴史』にはリディア人が食糧不足をいかにして乗り切ったかが書かれている。膨大な食糧不足が国を襲ったさい、この飢饉を乗り切るための計画として、一日はゲームに没頭して空腹を紛らわせ、その翌日は食事をしてゲームを控えることにした。この方策で18年の飢饉を乗り越え、サイコロとお手玉、ボールといった現代に通じるゲームを考案した。

ゲームの歴史自体はこれだけ長い。というわけでもし本気でゲーム史を創ろうと思ったら何百年も遡らなければならないだろうが、本書はTVゲームを中心としたゲーム史である。まさに今生きている「僕たちの」ゲーム史だ。ゲームについて語るのはおもしろいと最初に書いたように、仮にそれがどんな内容であんまり新規性がなかったとしても、ゲームについてかかれた文章は大抵、おもしろいのだ。

といって本書が新規性がないかといえばそんなことはなく。目の付け所がおもしろかった。たかだか数十年程度のゲーム史とはいうものの、中は変化変化変化の連続でとにかくイベント数と分かれ目となった転換点が多い。実際どこを転換点とするかで、一大議論が真希起こってしまうぐらいではないか? 知らないけど。

当然そのひとつひとつを何の脈絡もなく取り上げていたらまとまりに欠けてしまうのは火を見るより明らかなわけで。そこで本書が軸にしているのは『だから僕はゲームの歴史を調べて、ゲームの昔から変わらない部分と、変わっていく部分を探り出すことにしたのです。』という部分だ。

最初にゲームの変わらない「定義」を打ち出し、その定義されたゲームが実際どのようにして変わっていくのかをみよう、というのが本書の趣向である。で、先に核心的な部分を書いてしまえば、変わらないゲームの定義とは「ボタンを押すと反応すること」であり変わっていく部分とは「物語をどのように扱うか」であると、本書では結論付けている。

さっき書いた目の付け所が面白かった、と書いたのは物語をどのように扱うか、という視点だ。たしかにゲームの歴史は物語の扱いの変化の時代だったとも言える。物語などまったくないシンプルなポンのようなゲーム、あるいはテトリスからはじまって今のゲームでは物語があるのが当たり前になった(もちろん無いやつもあるよ)。

物語が当たり前になったからといってそれだけで終わりではなく、「扱われ方」の変化が存在するのだ。

ゲームの外での考察が盛んに行われることによってゲームとなりえたひぐらしとか(といってもリアルタイムで追っかけていた身からすれば、考察をしていた人間なんか極わずかだったような気もするが)ムービーゲーに舵をきったMGSシリーズ、FFシリーズ、コミュニケーションに重点をおいたポケットモンスターモンスターハンターソーシャルゲームの流れなど、過去から現在に至るまでの変化がある。

そのような「物語の変化」に注目することですっきりとしたゲーム史になっている。素敵だ。

あと良い点がもう一個あって、「その時の状況」をリアルタイム調で教えてくれるのが良い。たとえば794うぐいす平安京とかいったってなんにも感慨が湧いてこないのはその時そこで暮らしていた人達がどういう気持でそれを迎え、それがいったいどんな意味を持っていたのかという具体的なところが何もわからないからである。逆に言えば歴史小説はそこを妄想で補完していくからおもしろいのである。

たとえばゲーム史に関して言えば、スーパーマリオが発売された当時のことを覚えている人はいくらでもいるのである。僕はよく覚えてないけど。で、そういう僕からすると当時のゲーム雑誌などの反応から「あ〜スーパーマリオは最初はアクションゲームじゃなくてアドベンチャーゲームとして売りだされたのかー」とかの当時の「売り出し方」とか「当時の新規性」など目からうろこの連続であった。

いまとなっては「名作」と呼ばれている作品だって発表された当時は「なんだこれは」「クソだぞ」と言われている例が枚挙にいとまがないように、作品が発表された「当時の反応」というのは実際に体験した人でもあんまり調べてなかったり、そもそも忘れてたりして資料に当たらないと推測が難しいわけで、それをやってくれたのが嬉しかった。

結局本書の結論として、モンハンやソーシャルゲームラブプラスを例にあげながら、ゲームと現実は融合、寄り添いつつあるとしている。これもたしかに、と思った。ソーシャルゲームも現実時間換算で体力が回復するしね。上に挙げた例は特異すぎるような気もするけれど、たとえばゲームが年代を問わず幅広く楽しまれるようになっているのは他の例からもひとつの傾向として存在していることがわかる。

米国では自分たちの生活にゲーム要素を取り入れて、楽しく日々を過ごしたり、世界的な問題を解決したりする(たとえば家の掃除に点数をつけて家庭内で掃除ゲームをするとか、あるいは地球規模の問題を設定してそれに対して良い提案をできたらポイントが与えられるゲームとか)試みが広く行われている。またVR技術の進歩から現実とゲーム空間の境目というのはこれからどんどんなくなっていくのかもしれない。

どうにも締まらない感じになってしまったが、ゲームについていろいろ考える起点になる良い一冊だったと思う。ゲーム史はほんとに切り口がいっぱいあるので、他にもいっぱい出たらいいなと思うところである。

僕たちのゲーム史 (星海社新書)

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教養としてのゲーム史 (ちくま新書)

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