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基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

獣の奏者

先日(といっても二ヶ月ほど前だが)上橋菜穂子さんの『獣の奏者』が講談社文庫として4冊すべて出揃った。素晴らしい表紙で本屋に最初の2冊が並んでいた時から読みたかった。ついにこうして4冊揃い。読んでみたのである。ひとことで言えば、素晴らしいファンタジー作品だった。昨日読み始めたのだが、読むのが(世界に浸るのが)止まらなくて、ご飯を食べている時とトイレに行く時だけ現実に戻ってくるのだが「早くあの世界に戻りたい」とかきこんで急いで本に戻るという有様だった。読み終えた時は、涙が止まらなかった。

獣の奏者エリンは簡単に説明してしまえば、王獣と闘蛇と呼ばれる二つの特殊な生き物がいる世界の話だ。どちらもとても強く、特に闘蛇は人に使われ国を守護する兵器としての役割をになっている。対する王獣は闘蛇以上に強いが決してひとになつかず、笛の音で硬直させてからでないと近づくことさえできない。物語はこの決して人と馴れ合わないはずの王獣とエリンが、心を通わせることができた瞬間から大きな流れへと飲み込まれていく。

読んでいて驚いたのが、ファンタジーでありながら根底に流れているのは知的欲求と科学的な分析だったことだ。ファンタジーは一般的にいって「ファイヤー!」と答えたらマナを消費して火が出るんですよー、という「そういうものだ」っていう世界観で、「なぜそうなっているのか」は問題とされない。なぜドラゴンがいるのか。なぜドワーフがいるのか。知的生命とは何なのか。そうした問いかけがされることはない。

しかし本作においては闘蛇と呼ばれる特殊なドデカイ蛇や、王獣と呼ばれるファンタジー動物が「なぜ生まれたのか」「違いはなんなのか」「野生と人に飼われている状態で違いが出てしまうのはなぜなのか」という違いを認識し、分析的手法で世界の謎にせまっていく。ハリーポッターのハリーが偉大な両親の血を継いで勇者になったのとは別で、獣の奏者のエリンは自らの知的探究心と科学的な分析、実験のサイクルによって王獣を手懐けていくのである。

ファンタジーでありながら、SF小説的手法だと思った。これは著者の上橋さんが研究者であり、オーストラリアの先住民アボリジニを研究していたという経歴からもくるものであろう。現実をみつめ、そこに何らかの理路を見つけ出す。ファンタジーと相反するものであるように思っていたが、これが興奮しきってしまうほど素晴らしい。なぜ? なぜ? なぜ? と問いかけ、仮説を立て、実験・検証し、そして誰もが観たことのない場所へと到達していく。

エリンが「絶対に人になつかない」と言われている王獣と心を通わせていくシークエンスは、涙が止まらない。ここにはジレンマがあるからだ。王獣はその圧倒的強さもあって、「手懐けられる」と知られてしまえば破壊兵器として運用されてしまう「政治動物」でもある。エリンと王獣が仲良くなればなるほど、この物語は単なる獣と少女のふれあいだけを描くものではなく、否が応にも政治的闘争にまきこまれていくことになる。

いわゆるパンドラの箱もののような感じ。核兵器とかさ。強力すぎる力は一度産まれてしまうと、廃絶するのがほとんど不可能とさえ思える。しかもこの世界においてその兵器は、エリンと心を通わせた動物なのである。

やけに小さい話になってしまって恐縮だが、僕は犬を飼っているのでよくこんなことを思う(たぶん犬を飼っている人はみんな思うのではないか)。こんな狭い家に押し込められて、毎日散歩はしているもののめったに走ることもできなくて、いちおう毎日寝て幸せそうではあるものの、こいつは本当に幸せなのだろうかと。

もっと野原で犬として持たされている能力を自在に使いながら、自由に走り回っていたほうが幸せだったのかもしれない。もちろん犬が人間のペットになるという方向でここまで生き延びている以上、そんなことを考えてもしかたがないのかもしれないしそもそも強制的に家でペットとして飼っている人間が心配するようなことではないかもしれない。

けっきょく幸せかどうかなんて考えるのはこっちのエゴというか、勝手なんだろう。言葉が通じないからよくわからないし、そもそも動物に幸せという概念があるのかどうか。「なでてもらいたい」なんかはわかるけど具体的に「どうしたい」っていうことを聞くことはできない。でも幸せになってもらいたいと思っているのは本当だった。今年のはじめに15年飼っていた犬が死んだけれど、幸せだったと思いたい。

エリンもまた(というと恥ずかしいけど)、わからない言葉をわかろうとして王獣と心を通わせる。もちろんすべてが通うわけではないし、犬を野に解き放つわけに行かないように結局は人間の都合に沿わせてしまう。何をしたいのかも教えてもらうことはできない。だから王獣たちの為にしてやりたいということがあっても、それを彼らが本当に望んでいることなのかどうかなんてわからないのだ。

しかしその葛藤がとても美しかった。素晴らしかった。『わからない言葉を、わかろうとする、その気持が、きっと、道をひらくから……』本作の言葉だけど、この姿勢なんだよね、結局。そして本作はファンタジーではるものの、奇蹟で物事を解決したりしない。奇蹟の力が巻き起こって王獣が解き放たれたり、この世から戦争がなくなったりはしないのだ。しかしでもできることはある。

いくらわからない言葉をわかろうと、話し合いたいと思っても、一気には変わらないし、わかりあえるものではない。しかしちょっとずつ変わっていく。それが対話の本質だろう。そして人間は自分の短い一生を、次世代に継承させて少しずつ前に進んできたのだ。そのある意味現実的な姿勢を、ファンタジーとしての世界観でくるんだもの。それがこの『獣の奏者』という物語だったと思う。

この世界にいるのはとても幸福な時間だった。感謝、感謝。

獣の奏者 1闘蛇編 (講談社文庫)

獣の奏者 1闘蛇編 (講談社文庫)

獣の奏者 2王獣編 (講談社文庫)

獣の奏者 2王獣編 (講談社文庫)

獣の奏者 3探求編 (講談社文庫)

獣の奏者 3探求編 (講談社文庫)

獣の奏者 4完結編 (講談社文庫)

獣の奏者 4完結編 (講談社文庫)