基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

本をたくさん読んでもまったく偉くならないし、凄くなるわけでもないし、金が稼げるわけでもない。

なぜか本を読んでいる人間が偉い。凄い。凄いやつになる。という言質が蔓延してると思いません? 1000冊読むと教養が〜とか本を読むことが強みに〜なんて。僕なんか3000冊は今までに読んでいますが まったく偉くないし、凄いことやってるわけでもないし、儲かっているわけではないし、もちろん人間的に素晴らしい点なんかほとんどないわけで。こんなんですよ(笑)。むしろどんどん馬鹿な頭でっかちになっている気さえする。

言葉・知識をいくらため込んだって、実体として幸福になるわけではありません。たとえば最近読んだ『やる気の科学』を読むとやる気を出すための方法論が書いてあるんですが、こんなもの読んで「そうかこうやってやる気を出すのか」とかうんうん言っている間にやりゃあいいんですよ(笑) 哲学だってもちろん理屈をこねくり回せばいくらでも良い点はあげられるけど、別に我思う故に我があったからっていって幸福になるわけじゃない。

言葉は単なる表象であって実体ではない。とまあインパクト重視でいってみたけれど、そりゃ読むことで良いこともあります。経済が単なる表象ではないけれど実体をやり取りするために役に立つように言葉も役に立つ。しかし1000冊読むと強みになるとか、「とにかくいっぱい読んでいればいい」という言質にはノーと言いたい。結局読書なんてのは、読む側がどれだけのものを読み取れたかによって変わる。

具体的な冊数の提言などしても無意味だ、というのが僕の考えであり、3000冊読んだ上での実感です。読書ってのは結局真の意味では自己変革なんですよ。読むことによって、変化を起こす。文字だけ追って自分の中に何も残さず、変化を起こさずにいたって本当の意味で読んだとは言わないんです。『やる気の科学』を読んで「へー」とだけ思っても、ほんと、しょうがないわけ(笑)

小説だって同じですよ。どれだけちゃんと読むのか? って問題なんです。さらさらさらーと文字だけ追ったらそりゃ速く読めるしたくさん読めます。でも場面を映像としてしっかりと想像して、ここで誰がどう考えたのかとか、この台詞の裏にはどれだけの意図が込められているのか、と情報を展開させていく読み方だってあるわけで、こっちは時間がかかる。僕は後者のほうが幸福な読者だと思う。

もちろん大半の人はそんなことわかっていると思うんだけどねえ。最近(まあいつもだけど……)「たくさん読んでいる人間は偉い! 凄い人間になる!!」という記事をたて続けに読んでしまったので反応してしまった。たくさん読むよりしっかり読んで、自分を変革させていくんだよ。役に立つとしたらそれしか無いと思う。そもそも役に立つ必要なんて無いんだけどさ。