基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

中谷 宇吉郎『科学の方法 (岩波新書 青版 313)』

50年以上前に書かれたものとは思えない、今でも色褪せない「科学の方法」について。今年読んだノンフィクションの中では最も感銘を受けた一冊。それ故にかなりの力を入れて紹介しようかとも思ったのだけど、既に本書を下敷きにして2つのエントリを書いているので、まとめるように、力を抜いて紹介しよう。
科学の存在理由、科学の目標とは - 基本読書
田崎晴明『やっかいな放射線と向き合って暮らしていくための基礎知識』 - 基本読書
前者のエントリでは科学の存在理由、科学の目標について『科学の方法』をもとに書いている。科学は自然の中に普遍的に存在するたった一つの真理を追求するかのように捉えてしまいがちだが、その実科学において根拠となる計量は「人間にとって役に立つ範囲」までしか行われない(単位は無限に細かくできるがそこまで細かくしてもしょうがない)。

さらには僕らは人間の目で世界を見るしかないように、科学は科学の目でみるしか自然をとらえられない。科学とは大雑把にいってしまえばあることをいう場合に「ほんとうか」「ほんとうじゃないか」ということをいう学問である。まさにそうした世界の分類の仕方が「科学の目でみるしかない」制約になっているのである、というような意味だ。

科学とは自然の中に唯一存在する真理を探しだすものではなく、人間の利益に役立つようにみた自然の姿が、結局のところ科学の見せてくれる自然の実態なのである。

後者のエントリでは本の感想の体をとっているが、その中では『科学の方法』の中で書かれている「科学の限界」について言及している。科学の限界とは科学が再現可能な問題を扱うところからくる。別々の人間が、何度観測しても同じ結果が出る。そのことをもって科学ではほんとうのことであるという。

だから、たとえば鳥の羽根がピサの斜塔からどんな軌道を持って堕ちてくるかは科学では解明することができない。何十年先の星の動きまで予測できるのに、身近な鳥の羽根の軌道がわからない。それが科学の限界なのだ。この『科学の方法』が50年の歳月を経てなおとても有用なのは、こうした原理原則が未だに変わっていないからなのだろう。

科学はさっきも書いたように「ほんとうか」「ほんとうじゃないか」を言う学問だといったが、現代のようにゴミのような情報が溢れかえって言葉の価値が著しく下がっているときこそ、ひとまず原理原則である「ほんとうか」「ほんとうじゃないか」に立ち返ってみることが必要なのだと思う。自分の足場・ものさしがないのはひどく人を不安定な気持ちにさせる。

そして当たり前の話だけど、自分のものさしについては限界と効力についてよく知っていなければいけないんだ。遊戯王カードで自分が召喚したモンスターの攻撃力防御力特殊能力がわかっていないと勝負にならないように、自分の判断基準となる「科学」についてもそれを盲信せずどこまでならそれが適用できるのかをよく把握しておかなくちゃいけない。

本書は科学というものさしの精度をと使い所を教えてくれる。とても大切な一冊だ。すべてはそこから始まる。

今日われわれは、科学はその頂点に達したように思いがちである。しかしいつの時代でも、そういう感じはしたのである。その時に、自然の深さと、科学の限界とを知っていた人たちが、つぎつぎと、新しい発見をして、科学に新聞やを拓いてきたのである。科学は、自然と人間の協同作品であるならば、これは永久に変貌しつづけ、かつ進化していくべきものであろう。

科学の方法 (岩波新書 青版 313)

科学の方法 (岩波新書 青版 313)