基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

並列的に読む方法とその利点

本の読み方を聞かれて改めて思い返してみたら割とシステマチックに多数の本を同時に読み進めていたのでいったんまとめておく。自分が少しでもたくさん、そして楽に読むためにやっていたらいつのまにかこの方法になっていた、というだけの話で、こうすることでたくさん読めるようになる話ではない。そもそもたくさん読むことに、意味は無いと思うべきであると思う。たくさん読むことがいいことだと言うのは大抵本を出す側の人間である。

さて、僕はいろんな本を同時に読み進めている。最近はKindleも加わったのでその傾向はさらに強まった。おそらく僕以外の人でも、同時に何冊もの本を持ち運んでも重さが変わらない電子書籍によって、並列的に本を読み進めることが増えるのではないか。増えないかもしれないが、しかし同時に読み進めることでいくつかの利点が生まれるように思える。

1.同分野であれ異分野であれ、それぞれの本がそれぞれの内容にセレンディビティ的な効果を与える。2.飽きることなく読み進めることが出来る。3.物理的な要因でわけることによって電車にハードカバーを持っていくなどの無駄を省ける。4.心理的、状況的要因からその場にあった最適の本を読むことが出来る。

1について。これがけっこう大きいかもしれない。何か適当なテーマを決めて本を読んでいることもあれば(競争と個性とか、民主主義の限界についてとか)ただ単に好きな小説をざっくばらんに読んでいることもあるが、その都度別に読んでいる本によって、理解が深まったり不可思議なつながり方をしておもしろい発想が浮かんだりする。

たとえばレッシングのCODE VERSION2,0を読んでいる途中でノーゲーム・ノーライフというライトノベルを読んでいたのだが、ノーゲーム・ノーライフにおけるゲームが全てを支配する=ルールが全てをせかいする支配はCODEが規定するところの、インターネットの世界は無作法地帯ではなくCODEが制約を規定する話と通じるな、と発想がつながったりする。

3.について。僕の場合、基本的には物理的要因によって読む本を決めている。ハードカバーは家で読み、外では文庫を持っていき、満員電車の中では片手で操作できるiPhoneKindle端末を使って電子書籍を読む。トイレにはほんの一瞬で読める辞書のような短い単位で読める本を置いて読む。

そこに心理的要因が絡むともう少し複雑になる。たとえば朝の満員電車はたいへんつらいものがある。満員電車に揺られていると人は人でなくなる。というより、人のままでいると耐えられなくなる。精神をどこかに飛ばすか、もしくは自分は人間ではないと思い込まねばやっていられない。そんな時にたとえばiPhoneでマンキューマクロ経済学を読めと言われても無理な話だ。だからそういう時は軽いものを読む。軽ければ軽いほどいい。

僕にとって一番落ち着いて本が読めるのはお風呂の中だ。ありとあらゆる情報機器からシャットアウトされ、ただ黙々と本と向き合うことが出来る。だからお風呂に入るときの本ではできるかぎり集中して読みたい本を持ち込むことが多い。また「読む」という行為で重要なのは実はいちばんさいしょの部分である。

人は文字を読み取って情報を受け取って意味を自分の中に展開してはじめて「読む」といえるが、文字を読み取る前に僕たちは「文脈」をすでに読み取っている。『思考の「型」を身につけよう』というタイトルの本だったら、いきなり原始人が出てきて山を走り回っている描写でフィクションが始まるとは思わない。

なにが言いたいのかわからなくなってきているだろうが、言いたいのはようするにこういうことである。文脈をとるには最初が肝心で、だから本を読みはじめる時はひとまず自分がいちばん集中できるところではじめたほうがいい。僕はそれがお風呂だというだけの話である。

心理的要因も物理的要因もある。さらにいえば地理的要因もあるだろう。旅行に行くときはやはり旅の素晴らしさを謳い上げるような本と一緒に行きたいものだ。様々な環境情報に左右されてその時々で最適の本を選びとるのが僕にとっての並列的に本を読む方法論である。身も蓋もないが、ようは自分の好きなように勝手にやってくださいってところだろうか。