読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

全ての力を尽くして天冥の標シリーズをオススメする

この世にはたくさんの感動がある。山登りをする人間には、山を登っている時の空気の味、一歩一歩踏みしめていく時の感触といった他に代えがたい感動があるだろう。将棋をやっている人間には、将棋でしか味わえない読み合いが成立した一瞬、自分が知力の限りを尽くして考えた一手によって相手を乗り越えていった瞬間の感動のようなものがあるはずだ。背筋が凍りつき、今まで味わったこともないような、途方もない興奮を味わうことが出来れば、その人生は幸せだったといっていいのだと思う。何であれ、それぞれの領域にはそれぞれの戦慄がある。

僕にとってその戦慄を得る手段は、本を読むことだった。知らないことを知ること、まったく想像もしなかった世界を読み取ること。見たこともない光景を見ること。「ああ、生きてきてよかった」と心の底から思える瞬間が、今までたくさんの本を読んできて、幾度もあった。しかし当たり前だが、そう何度もあるわけではない。感覚は摩耗する、あるいは慣れていく。知識だけは増え余計なケチをつけ始める。過去に読んだ作品により優れたものがあれば、新たな物で感動できる道理もない。どこかで見たような物語、ただの劣化コピー。

かつてのハードルを超えて楽しむが為に、人生でそう何度もないであろう興奮を味わう為に、量を読めばその量が今度は邪魔になる。なんとも厄介だが人間の感覚は慣れるようにできている……だが安心してもらいたい。絶対確実、麻雀でたとえれば一手前の人間が出した安牌中の安牌。これさえあれば手軽にぶっ飛べること間違いなしの起爆剤が、ある。その起爆剤の名は、天冥の標という。

天冥の標は僕が今まで読んできた中で最高級の楽しさを提供してくれるシリーズだ。シリーズを読みながら僕は何度も背筋がぴんとはって、一瞬で頭がぐっちゃんぐっちゃんになって何も考えられなくなるような経験をしてきた。どんな分野であれ、そういう幸福な一瞬を味わうことが出来るというのは本当に重要なことなのだと思う。

作品から何を読み取るのかは、作品それ自体よりも読み取る側の能力に依存している。自分の琴線に触れたのなら、1000人中999人が駄作だといった作品でも、何かを読み取った一人にとっては傑作になる。恋空が駄作だって? しかしそこから真実の愛を読み取り、確かな愛を誰かと築けたなら誰が恋空で感動している人をバカにできる? だから誰もが納得する傑作などというものはこの世に存在しないし、その逆もまた然りということになる。しかし、そうはいっても質の高低は存在する。なぜなら読書は、作品と読者の相互作用だ。読者が自分勝手な超主観で勝手に上り詰められる快楽には、限界がある。作家が限界を尽くして創りあげた一つの世界を、読者もまた力の限りに読み尽くした時に、本を読むことによる快楽は最大になる。本シリーズは、その質をもっとも高めてくれる精緻な作品だ。

緻密に張り巡らされた設定・歴史、人間の時間を超越した時間スケール、種族としての人類の描写、人間を超越した生命体の拮抗……感染症の拡大を書いたパンデミックSFで一冊書いたかと思えば、スペース・オペラで一冊書き、性愛をテーマに一冊書かれて度肝を抜かれた後には宇宙農場がハードSFばりに描写され、そしてその先には未来と過去、そして人類と異性体すべてが関係していく戦争がある。億年のスケールで展開する歴史と、人類としてみた時の種族の歴史。そうしたあまりに大きな軸の中で展開される個人の一生の対比。億年から個人の恋愛感情、性愛に嫉妬に裏切りに暴動──およそ人間が生きていくうえでは避けて通ることの出来ない極々個人的なドラマが、人類の存亡をかけたストーリーと同時に語られていく。

人類はここまでたかだか数万年の歴史を紡いで、なんとか生き残ってきた脆弱な種族にすぎない。宇宙生命史というものがもし完成したのならば──そこで人類はどのような位置を占めることになるだろうか。拡散に成功した普遍的な生命システムの知性体か、あるいは辺境でほとんど外にでることも出来ずに朽ちていった短命の生物種か。本作はSFだ。未来を書いている。書かれていることは出来る限り科学的な合理性を持って書かれていく。ロボット、異星生命体、宇宙での戦艦バトル、パンデミック、SFっぽい要素はなんでも揃っている。

と同時に本シリーズは一つの歴史物語でもある。人間は残念ながら死ぬ。しかし、子孫を残し智慧を残し、自分たちの代でかなわなかったことを後代にて叶えることができる「知性」を持っている。本作の第一部スタートは2800年、現代より800年ほどの後のことだ。物語はこの長大な歴史を紡いでいく。あの時の人物の子孫が、あるいは寿命が持たないが故にこの長大な歴史を一貫して眺めている種族が、そして地球以外に由来を持つ、人類よりも生存レベルの高い生命体が、一貫して歴史に関わり続け、人類種の交配システムを見守ってきた。

間抜けなヤツもいたし、危機などいくらでもあった。それでも世界はこの世界の可能性を信じて、それをできるかぎり引き出そうとした一握りの集団を中心に、叩かれてより強靭さを増して復活するようにして生き延びてきたのだ。これは人類の物語ではない。人類も、機械も、元は人類であったが既に道を違えてしまったものたちと、そもそも全く別のルーツを持つ生命体をとらえた「宇宙叙事詩」だ。各々の勢力は各々の生き残りをかけてこの宇宙を闊歩していく。生き延びるのはどの種族か、そしてとり得る選択は戦闘か、和平か、それとも全く別の宇宙史にかつてないような「新しい何か」なのか。

この物語にはすべてがある──なんて誇大広告を作者もいっていないのに勝手に打つわけにはいかない。しかしこの物語には著者である小川一水のすべてが込められている(と、これは作者が自分で書いている)。小川一水という名は本シリーズが出る前から有名で、大きなスケールの物から身近なスケールのものまで、はては長編から短編まで何を書いてもきっちりまとめきり、都度とんでもない舞台を設定してみせる凄まじい作家だった。時間を縦横無尽に移動するSFを書いたかと思えば、月を第六の大陸とするというとんでもない過程を、丹念に説得力豊かに書いてみせる(さらにはドラマさえも一級品で度肝を抜かれた。)。

はては恒星間のやり取りが盛んな科学力を持つ世界であえて「災害復興物」をやってみせたりもする。とんでもないことをやっているのに「誰もやらないから、自分がやったよ」と、なんでもないことをやってのけたかのように言わんばかりの平静なその態度は読んでいていつも安心感を感じたものだ。そんな小川一水という作家が「小川さん、次の話、できること全部やっちゃってください」「あ、はい」といって出てきたのがこの天冥の標シリーズなのだ。『それで、できることを全部数え上げたうえで、できるかどうかわからないことや、やったことのないことをさらに盛り込んで、この話にしたという次第です。』 あの小川一水ができることをやっちゃってくださいと言われて何が出てくるのか。

した、というと時制がおかしいな。これから、する、のだから。
でもこの話の終わりはすでに見えています。そのころにはこの話は、たいしたものになっています。ですので私は、安心して、それまで好き勝手やってこの話を盛りあげていくというわけです。

これが書かれた一巻の頃は、単なる「予感」でしかなかった。「これはなにか凄いものが始まったのではないか……」と。ただその実態はまだどのような形でも世の中に発表されていなかったし、読者としては小川一水の頭のなかにあるというその「たいしたもの」が何を意味しているのか、本当にたいしたものなのかどうか、把握できていなかった。しかし──巻数が進めば進むほど、あの時の小川一水の言葉は一つも間違ったものではなかったのだと、誇大広告ではなく、誇張なしで「たいしたものだった」ことが明らかになっていった。

天冥の標読者は今阿鼻叫喚の渦の中にいる。入念に積み上げられてきた世界は今まさにちゃぶ台をひっくり返し、豪快に火炎放射器で火をつけたかのような有り様でもうしっちゃかめっちゃかだ。宇宙スケールで展開する、理詰めの人類の悲劇にたいして目が離せない状況にある。第一部は「2800年代」を舞台にして書かれている。そこでは我々の常識に当てはまらない存在や、そこで語られる「歴史」があった。物語は第二部から2000年台の現代に戻り、「2800年まで、何が起こったのかを丹念におっていく」

当然ながら世代は変わるし、そこまでに様々な出来事が起こる。我々は800年の歴史を物語りと共に歩み、人間の移り変わりを眼にし、そして「我々が見た第一部で本当は何が起こっていたのか」を一つ一つ丹念に拾い上げていく。第一部を読んだときは「なんじゃこりゃあ!」と驚きの声をあげ、意味もわからずに楽しんでいた要素のどれもに800年以上の歴史がこめられており、物事は予想以上に複雑に構築されてきたことを知る。あらゆる種族が入り乱れる戦場で、我々は十巻以上の物語を通して各勢力の思いと、それぞれが必死に生きようとする戦いをみてきた。我々は宇宙叙事詩を神の視点で眺めているのだ。

いったん入り込めば途方もない世界に唖然とし、そして細やかに書き込まれたディティールに目がくらむ。あまり取り上げられることはないが、このシリーズでさりげなく導入されていくSF的大ネタの数々はハードSFのレベルに達しているにも関わらずその読み味を損ねていない。何度も再読して人間の繋がりを確認し、発見が尽きないこの作品はひとつの宇宙だ。そこで物語を演じているキャストは、たとえ1000年に渡る物語でも一人一人十全に描写され、愛しく思える。たとえ死んでも、その子孫が。子孫がいなくとも、その意志を継いだ人間が。入れ替わり立ち代わり歴史の中に現れてくる。それが小川一水の創りあげつつある世界なのだ。

人類って、今後どうなっていくんだろう? もし機械が知性を持って、自分の道を模索しはじめたらどうなっちゃうんだろう? 世界がもし、とんでもない致死性かつ感染力の強い病気におかされたらどうなるんだろう? 宇宙にその住処を広げ、更にその先へと意志を新たにする人類がいたとしたら、それはどのような形がありえるんだろう? 何千年もあとの人類──というより、宇宙の生命史はどうなっているんだろう? 日常を過ごしているうちには想像しえないことを想像するのがSFだとしたら、それはここにある。

ならば、読もう。以下各巻のあまりネタバレをしない解説。八部追記済み。

シリーズの第一巻は西暦2803年、植民星メニー・メニー・シープを舞台にした、革命の物語。小川一水のワンピース!!(全力を注ぎこんだ的な意味で)──天冥の標〈1〉―メニー・メニー・シープ - 基本読書植民星といっても、科学技術は植民した当初からロストテクノロジー化しており、生活水準はそれ程高くない。現在のわたし達よりも、低いぐらいかもしれない。でもロストテクノロジーはそこらじゅうにあふれており、人間の奴隷として使役される「石工」であったり、

身体を入れ替えることによりほぼ永遠の命を持っている「恋人たち」がいたり、身体が人間とは変化している<<海の一統>>がいたりと魅力的な設定の数々にわくわくがとまらない。その地を統括する領主が、民に対する電力供給を制限してしまう事から始まる民の反乱が、一巻のお話の軸になる。

至極まっとうなSFである。種族はわんさか出てきて、なぜ人類がそこに植民をしたのかの理由がよくわからなかったり、スーパーアイテムが出てきたりとわんさか謎が残る。何が起こったのか? どうしてこうなったのか? 何もわからない。だがそこが人類の行き着いた一点であり、長年の平穏を保ってきたことだけはわかる。そして物語は動き出す──。

人類はどうやってそこにたどり着いたのか……。天冥の標 2 救世群 - 基本読書二巻では人類の運命を変えた始まりの物語が語られる。201X年、謎の疫病が流行り感染源も不明なまま致命的な致死率をもったパンデミックが大流行する──。ここからの物語は人類がいかに『植民性メニー・メニー・シープ』にたどり着いたのかの物語だ。そもそもの始まりはここにある。すべての物語が動き出す場所。グラウンド・ゼロ。

歴史を目撃せよ──天冥の標 3 アウレーリア一統/小川一水 - 基本読書 ここで傑作だという確信は、ひょっとしたら過小評価だったのではないかと気がつくことになる。単なる傑作ではなく、歴史的な傑作なのではないか?? 点と点だった1巻と2巻が、ついに3巻で線としてつながることになる。その時の興奮はいわく言いがたい。

「ああ、これがあれかぁ!」「あの人たちはこうやって生まれたのか……!」「こいつはあの時のあいつの子孫か!!」「こいつはあの時出てきたあいつじゃないかーー!!!」と、本筋の物語+別の大きな物語へと繋がっていく快感がここから生まれてくる。三巻の見どころは酸素いらずと呼ばれる種族が、その特性を生かした突貫艦隊戦を行う所で、手に汗にぎり興奮が止まらない!

天冥の標Ⅳ: 機械じかけの子息たち - 基本読書 四巻はまるごとセックス!主人公達は、至高のセックスと呼ばれる「マージ」を目指す。その為には、独りよがりではいけない。必ず、二人が共に快楽を追求したはてに、それはある。読書も同じだ、と僕は思う。そこに書かれた文章が、どれだけ読者のことを思って書かれていたとしても、読み手側がそもそも非協力的な態度だったり、「こんなジャンルは嫌いだ」という先入観があっては、良い読書にはならない。

小川一水は全力を尽くしこのシリーズを書き、読者は全力を尽くして読む。現在の読者はこれを、ある意味では追体験している。シリーズを待つという行為によって。

天冥の標Ⅴ: 羊と猿と百掬(ひゃっきく)の銀河 - 基本読書 五巻は宇宙農家の物語。今まで書かれてきたSFはなんかよくわからん合成の食材っぽいものを機械がウィーンガシャと出してくるイメージしか無かった。まあ二人とか三人の月ミッションなどならそれでいいのかもしれないが人が永続的に宇宙で自立してやっていこうとしたら宇宙農家の存在は不可欠だ。宇宙農家を書くことは、最も宇宙SFの本質、根っこをついていると言える。億年のスケールと個人の一生の対比を書いていく本シリーズにおいて、生存の根っこである宇宙空間での食料生産は書かなければいけないポイントだったのだろう。

天冥の標6 宿怨 PART1 - 基本読書天冥の標6 宿怨 PART 2:小川一水は人間が想像したことのない世界へ走り出してしまった - 基本読書さようなら、みんな『天冥の標 6 宿怨 PART3』:小川一水 - 基本読書ここでついに物語は前半の山場に。物語の始まりと、そして物語の終わりの始まりであるメニー・メニー・シープへとつながる大規模なイベントが始まる。

思惑は入り乱れ力関係は均衡し、ほんの僅かな思い違いがあまりにも大きな悲劇を生む。被害者は被害者であることをたてに加害者へと転じ、加害者は加害者で自分たちにその字画もないままに被害者を虐げる。加害者と被害者はこのシリーズの大きなテーマなのだという。それが大きく提示されるのはこの六部だ。ここまで読めば、このシリーズが途方も無い絵図を書こうとすることが誰にでもわかる。

天冥の標VII 新世界ハーブC (ハヤカワ文庫 JA オ 6-21) by 小川一水 - 基本読書 ここまできたらもう説明は不要だ。後はこの世界にとことん付き合っていくしかない。残存人類という不穏な言葉が踊る小川一水が描く終末SF、孤島物、五万人で蝿の王をやるといった大茶番が膜をあける。

何百年経とうが人間の本質的な部分は変わらない。受け継がれていくものもある。小川一水作品に流れるのは、宇宙へ伸びてもまだ突きない好奇心、興味の連鎖、どこまでも生き延びてみせるという人類への惜しみない賛歌だ。変わらなかった流れを、諦めずに変えようとする人間もいる。勢力の拮抗が未来につながっていく。この世界に、この先何が起こるのか。

天冥の標VIII ジャイアント・アークPART1 by 小川一水 - 基本読書
Ⅷまで至って我々はようやくあの場所にまで戻ってきた。勢力は出揃い、思惑もだいたい出しきり、あとは各勢力の完全な力比べだ。まったく同じ事象を描いても、見る種族の時間認識、目的意識、種族としての主観、情報格差によって感じ方はまったくことなってくる。複数の世界認識を持つ種族が多様に入り乱れて芳醇な世界を創りあげていく、このどうしようもなくSF的想像力を発揮させられる世界に強気引き寄せられるんだ。

天冥の標VIII ジャイアント・アーク PART2 by 小川一水 - 基本読書
描かれてきた一大宇宙叙事詩、そして物語は第八部のPART2に至ってようやく「その先へ」進みはじめた。人類は互いに争い、時に和解し、くっついたり離れたりしながら前に進んできた。人間は、そこに新たなパターンを構築することができるのか。

まあ、まずは一巻から。

天冥の標〈1〉―メニー・メニー・シープ〈上〉 (ハヤカワ文庫JA)

天冥の標〈1〉―メニー・メニー・シープ〈上〉 (ハヤカワ文庫JA)

天冥の標〈1〉―メニー・メニー・シープ〈下〉 (ハヤカワ文庫JA)

天冥の標〈1〉―メニー・メニー・シープ〈下〉 (ハヤカワ文庫JA)