基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

本を読んだら、自分を読め 年間1,000,000ページを血肉にする〝読自〟の技術:小飼弾

著:小飼弾さん。ぱらぱらぱらーーーっと一冊の本をあっという間に読んでしまう方なので「年間だとどれぐらい読んでいるのかなあ」と不思議だったんですが1,000,000ページですか。一冊多めに300ページ平均としたらうーん……3300冊ぐらい? 正直言って他の人とは桁が違うし、住んでいる次元が違う話ですよなあ。

僕も割と本は読んでいる方なので、読書術の本は「馬鹿言ってやがる」と思いながら読むことが多いんですが、本書はさすがにそういうこともほぼなく。本を読んだら、自分を読めというのは不思議なタイトルですけど、本を読むことで自分自身を発見し、改造し、自分で自分の道を見つけていくちう、そういう当たり前のことについて言っているんですよね。

けっきょく文字なんてものはただの記号なわけで。犬と書いてあったらそれは実際の犬ではなく、ただの犬っていう形をした何かとしか言い様がない。でも人間のなんだかそれなりにすごい能力によって僕らは犬って文字を見た時に頭のなかに実際の犬のイメージを投影、展開することができるわけです。

だからこれは本書で言っている意味とは少し違うのかもしれないけど、結局僕は「本を読む」っていうのは書き手の能力だけではなく読み手の能力に随分と依存していると思うんですよね。ある記号が書かれている時に、読み手がどれだけ大量に情報を展開できるのか。もしある本がどうしようもない、クズみたいな本だったとしてもそこから多大なイマジネーションを得ることが出来る人だっているわけなので。

さて──そういうわけでなかなか素晴らしい一冊なわけですけど、でもこれを書いている人(小飼弾さん)は特殊事情過ぎませんかねえとも思うんですよね。なにしろ年間1,000,000ページ読む人に「本代につぎ込んだお金は何倍にもなって返ってくる」とか「本を読めば着想が得られて稼ぐチャンスが増える」とかようするに「もっと読め! 金を注ぎ込め!」と言われても「それ自分をモデルケースにして言ってるだけじゃないですかね〜??」と疑問に思ってしまう。

何を隠そう僕が生活に困るぐらい本に金を注ぎ込んでいて今貯金もできずにたいへんつらい状況にあるからですが。そして小飼弾さんに言われたからやっているわけではないものの、彼がやると良いことがあると言っていることをほぼどれもやっている(本に金を注ぎ込み、ブログにアウトプットし、多読し)にも関わらず「これが最終的に投資になって未来に金が稼げるようになるなんて微塵も思えん」から。

だいたい僕が尊敬している人たちは対して本を読まない人達が多いしね〜。けっきょくのところ本を読むということをどれぐらい自分の中に情報を展開できるのかと考えると、たくさん読もうが少なく読もうが対して変わらないんじゃないのと思ってしまう。ようはどれだけ吸収するのかって話で。読む冊数は関係ないのではないか。

本を読んだら自分を読めってのはけっきょくそこに繋がるわけではないのか?? なので一方的に多読を推奨するのはどうにも違和感がある(僕自身の不出来も反省しつつ)。

また、1,000,000ページ読んで、人気No1書評ブロガーにまでなれればそりゃ収入にだって反映されるでしょうけど、人気No1書評ブロガーなんてものは一人しかおりませんからね。という単純な疑問でした。3000冊も一年間に読めばそりゃすごいことが起こるだろうけどさあ。あくまでもそれは自分の話でしょう。

それとも、本を大量に読むことと収入に相関関係とかあるのかなあ??

ネットで軽く検索してみたところでは「相関関係がある」と言っているというページがいくつもヒットするけどなんの数字も出てこないので正直よくわからない。統計の場合はそれがどうやってとられたものなのかまでみないとどの程度妥当性があるのかわからないんだが……。紙媒体で発表されたものなんて自分たちの売り物を貶める真似をするわけがないからなおさら。

あ、しかしここも含めて全体的にいい本でした(蛇足感)

本を読んだら、自分を読め 年間1,000,000ページを血肉にする?読自?の技術

本を読んだら、自分を読め 年間1,000,000ページを血肉にする?読自?の技術