基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

『海からの贈物 (新潮文庫)』アン・モロウ・リンドバーグ

一人の女性が浜辺で貝殻を拾いながら生きた生活を綴った、雑文集のようなものだ。著者はアン・モロウ・リンドバーグといい、飛行機乗りとして有名な方のようだが、この雑文集にはそうした自身の経歴のことは一切語られない。自分が何者であるか、社会的にどういう位置にいる人間なのか、まわりの人間についてもほぼ語られることはない。それは浜辺での生活が、そうした社会的な一切合財から距離をおいて、自分自身を深く見つめなおし何らかの内的な一致を得るための試みだったからである。

社会から遠く離れてどこかの浜辺であまり人とかかわらずに過ごしている、その生活を読むと僕らはなんて忙しい場所に住んでいるんだろうと思う。求められる能力だって半端なものではない。電車の時間を逐一把握して、巨大な人間関係の中にいる自分を想定して、その中であの人の誕生日プレゼントはこうで、あの人のお祝いはこうで、あの人との関係はこうで、と様々なことを考えて、仕事ではこうやって未来はこうなっていくだろうからこうしてと本当にありとあらゆることを考えて手を打っていかなければならない。

自分だけだったならまだマシだ。結婚して、配偶者や子どもが出来れば、食べさせて教育をしなければならない、家を持つことについて考えなければいかない、家族とのかかわり合いを考えなければいけない、子どもが出かけるバスの時間まで考えてやらなければいけない。僕達の生活というやつはとにかく気が散るようにできている。ひとつのことに集中できる時間など、そうそうとれるものではない。考えなくてはいけないことが、要求されていることがあまりにも多すぎるのだ。

この雑文集の中でアン・モロウ・リンドバーグが試みているのはそうしたやたらと気が散る世界の中で、いったいぜんたいどうすれば自分自身であることを失わずにいられるのか、どれだけ自分の機構に圧力がかかって、それで潰れずに住むのかということである。これにはしょうじきいって「こうすればうまくいく」という綺麗な解答は得られそうにない。彼女はこう書いている。

私にとっての解決は、この世を完全に捨てることにも、完全に受入れることにもなくて、その中間のどこかで釣り合いを取り、或いは、この両極端の間を往復する一つの律動を見付けなければならないのである。孤独と接触、退避と復帰の間に吊るされた振子になるのであって、今こうして世間を避けて一人でいる間に、世間での生活で役に立つことが何か学べるかも知れない。少なくとも、私は手始めにこれからの二週間、私の生活を表面だけでも簡易にする練習をすることができる。やってみて、その結果を待つことにしよう。ここの浜辺でならば、それができる。

こうしてアン・モロウ・リンドバーグは浜辺で暮らし始める。その生活はひたすら簡素で、とくにやらなければいけないこともなく、そして何より一人っきりなのだった。アン・モロウ・リンドバーグはそれこそが生活の中で必要な物だと考えているようだった。ようは、複雑な社会で生きるにあたって、簡素な生活を持つこと。孤独な時間、一人で物事をゆっくり考えて自分自身の本質と向き合うこと。

わずか100ページほどの、極々短い一冊だけれども、ふと立ち止まって、あれ、自分は今まで何をしていたんだろうか、と急にはっとさせてくれる素晴らしい作品だった。アン・モロウ・リンドバーグが僕の代わりにじっくりと考えてくれて、僕はそれをトレースして立ち止まったのだと思う。

私は島での自然な選択の代りに、ここにいる間にはっきりしてきた、今までとは違った価値の基準によるもっと意識的な選択の方法を採用しなければならない。それを私は島の教訓と呼んでもいいので、今までとは別な生活の仕方へのそれは指針なのである。それは、人生に対する感覚を鈍らせないために、なるべくいっそに生活すること、体と、知性と、精神の生活の間に平衡を保つこと、無理をせずに仕事をすること、意味と美しさに必要な空間を設けること、一人でいるために、また、二人だけでいるために時間を取っておくこと、精神的なものや、仕事や、人間的な関係からでき上がっている人間の生活の断続性を理解し、信用するために自然に努めて接近することなどであって、いわば、そういう幾つかの貝殻である。

海からの贈物 (新潮文庫)

海からの贈物 (新潮文庫)