基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

『最後のウィネベーゴ (河出文庫)』コニー・ウィリス

中短篇集。同名タイトルの文庫版で、つい最近出たばかり。単行本のときにくわえて『からさわぎ』なるシェイクスピアが表現の規制によってがしがしふにゃふにゃになっていく話が追加されている。どれも最高の出来で、まとまっていて、短篇集としては珠玉の出来。とんでもなく面白い長編を出すコニー・ウィリスだけど短編でもその実力が発揮されている。

長編の要素が、ぎゅっと詰まっている感じ。思わず一記事書いたりした。⇒コニー・ウィリスの書く忙しさ、行き違い、勘違い、すれ違い - 基本読書 

ここで書いたのはコニー・ウィリスが書く人間観の行き違いや現代の忙しさ、認識がいかにすれ違いやすいかといったコミュニケーション不全の問題からそれがぴったりと重なった瞬間の解放が快感のひとつになっているということだったけど、もちろんコニー・ウィリスの魅力とはそれだけではない。

たとえば本書の表題作にもなっている『最後のウィネベーゴ』という短編。ウィネベーゴはアメリカのRV社で、未来世界では現代にある当たり前のものがどんどん「最後の」ものになっていっている。動物はどんどん絶滅していって──。物語の焦点になるのはそうした失われていくものと、新たに出てきたもの、赦し、罪とは何か、監視社会、そしていい人物写真をとるコツ。

多くのトピックを扱うわりには、長々と登場人物が社会について状況をわざとらしく開設したりしない。そうやって事象が起こって、それに対応していく中心人物たちをみていくことで社会の現状がわかるようになっていく手管は見事だ。そしてまったく無関係に見えたばらばらのピースが、一箇所に集まっていく構成の見事さを味わうことが出来る。

そしてなんといっても動物が消えた世界の詩情、それから消え去ってしまったものへのノスタルジー。主人公はカメラマンなのだけど、かれの職業はまさにそうした消え去っていくものをいかにして残すのかといったところにある。しかし消え去っていくものをすべて写真に収めるkとはできない。それどころか、その「もっとも見事な、自然な一瞬」をとることは、なかなかうまくはいかないものだ。

でもだからこそそのうまくいかないことは物語の主題足り得る。この短編のラストは「撮れないまま消え去ってしまったものを撮るための方法」についてなのだと思う。とても感動的かつ技巧的な最後なので、たいへんオススメの短編である。他のも本当に粒ぞろい。こんな作家が現代にいるってのはまさに奇蹟だよ。