基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

RDG レッドデータガール

意外なことにアニメ化もされて今絶賛放映中の本作。著者は樹上のゆりかごや西の善き魔女などで知られる荻原規子さん。この方の書かれる小説は、決して派手ではないものの誰もが持っているさまざまな思春期前後における葛藤の描写が丁寧で、とても楽しい。本作は一応六巻で完結しているので、よくあるライトノベルみたいにだらだらと話が終わらずに続いていくということもない。本当に、スパっと気持ちよく終わってくれるので、そうした意味でもオススメだ。

物語は引っ込み思案だけど、実はすごい力を持っているという女の子の元に、イケメンでなんでも上手にこなし、勉強だってよくできちゃう幼馴染が送り込まれてきて──という少女漫画的な導入から始まる。

世界遺産に認定された熊野古道、玉倉山にある玉倉神社。そこに住む泉水子は中学三年まで、麓の中学と家の往復だけの生活を送ってきた。しかし、高校進学は、幼なじみの深行とともに東京の鳳城学園へ入学するよう周囲に決められてしまう。互いに反発する二人だったが、修学旅行先の東京で、姫神と呼ばれる謎の存在が現れ、さらに恐ろしい事件が襲いかかる。一族には大きな秘密が──。

日本における歴史、幽霊奇譚、陰陽師や山伏や天狗に忍者といった日本文化的な流れが現代にきちっと継承されていて、そうしたものが実際に現代にも存在しているという設定なのだ。そしてそうした意味において、主人公の泉水子は他すべてを超越するような力を持っているのだけど、本人はそれにたいして自覚的ではないし、また普通の女の子になりたいとの願いから、特別な力をひどく忌み嫌っている。

イケメンの幼馴染はその超越した力を持っている泉水子に仕えなければいけないといった周囲の圧力の中にいて、そのことから二人はお互いに反発してしまう。ちなみにレッドデータガールとはレッドデータブックのもじり。レッドデーターブックは絶滅のおそれのある野生生物について記載したデータブックのことで、レッドデータガールはようするに絶滅危惧種女子ってところだろう。

類まれな能力とした意味でもそうだし、今時引っ込み思案でパソコンや携帯も触れず(触ると能力によって壊してしまう)、自分の生まれ育った環境を出ると悪いものにあてられて体調が悪くなってしまう貧弱ささとしての意味もあるのだろう。これだけうじうじしている主人公は、ちょっとあまり見ない。

たとえば高校進学時に同じような特殊能力もちが多少集まる高校に進学し、寮に入るのだけど、彼女は自分の部屋で「ベッドを自分が上を使うか、下を使うか」で相手の気持ちをおもんばかって悩みまくるのだ。特殊能力持ちが集う高校に進学して寮生活でしかも自分は超すごい能力持ちなんて、まるでハリーポッターじゃんとも思いたくなるけれど、その内面はまったく異なっている。

そして「何者にもなれないダメな自分」で悩むのが思春期といえなくもないだろう。思春期に限らずおっさんになってもそんな無力感を感じる人間だって居る。彼女の場合は「普通にどうしたってなれない自分」を受け入れていくまでの物語でもある。どちらにも共通しているのは「今の自分を受け入れられない」ということなのだろう。だから真逆のことのようにみえても、根底では通じているのである。

作中での時間経過は非常にゆるやかなものだ。六巻もかけて進んだ物語も、あまり多くないと思う。主人公である泉水子だって、何か大きな変化があったわけではない。悪の大王を倒すとか、そういう話ではないのだ。それでも小さな変化がいくつもあって、それを丁寧におっていく。

自分の本心を人に伝えられるようになり、自分で考えないで人のいったことをうのみにするのをやめようと決意し、友だちができて、男子ともそこそこ話ができるようになり、人前に着飾った姿を見せることができるようになり、そして何より恋をする。書いていて恥ずかしいが。でもそういう小さな変化が一個ずつ起こっていって、人っていつのまにか大きく変わっているものなのかもしれないな、とこの物語を追っていった今では思う。一巻の頃と六巻の頃では、別人だもの。

アニメでどう表現されているのかは知らないので原作の話だけになってしまうけれど、とても良い作品。舞いのシーンや泉水子が自分の力を発揮していく場面などは、荻原規子さんの盛り上がり過ぎない静謐な文章とあいまって特殊な雰囲気を生み出している。静謐な文章が一巻だけ読んでみようか、と思ったらついついこの土日で全部読んでしまったぐらい。いちおう全部Kindleで揃うのです。