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基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

スカル・ブレーカ - The Skull Breaker


森博嗣さんによる侍の旅路を書くヴォイド・シェイパシリーズ第三弾。どれもハードカバーの装丁が美しく統一されている。一作目の『The Void Shaper』は青を基調とした山々の風景が表紙であり、二作目の『The Blood Scooper』は全面が緑の竹林で、三作目の『The Skull Breaker』は赤を基調とした楓が表紙になっている。どれも日本語が書名から排除されていて、その統一もかっこうがよい。過去二作の感想はこちら⇒ヴォイド・シェイパ - 基本読書 ブラッド・スクーパ - The Blood Scooper - 基本読書 

未読者の方がいたらうらやましく思う。剣の道を追い求めていく過程で、強やさ弱さ、勝つと負けるとはどういうことかといった言葉だけが存在している抽象的な観念についての思考を追い求めていくのも楽しいけれど、本シリーズの肝は変幻自在な文章だろう。斬り合いの場面は時間の流れがスローモーションになり、一つ一つの身体の動きが鮮明に想像できる。通常場面の描写は簡潔で淡々と表現されていくが、常日頃よく考える主人公なので、思考が延々と続く。

それが斬り合いになると情報の流れがぱたっと止まる。身体の動きとその場の状況判断が即座にくだされる。完全に無心というわけではなく、そこまでの思索が行動にあらわれているのも、一冊の本の中でシームレスにつながっていておもしろい。斬り合いが終わればまたその考察が始まる。静と動の両輪が回っている感覚。その落差が、おもしろい。

三作目なので話の筋を整理しておこう。『ヴォイド・シェイパ』は、主人公であるゼンが、社会的にも評価されていたが今は山にこもっているスズカ・カシュウという一流の侍と二人っきりで、山で十数年過ごした後、カシュウの死後山を降り、旅をはじめ様々な人と出会うというお話であった。ゼンは空っぽの器で、何も知らない。だからこそ常識を知らず、ルールを知らず、色々なことをしがらみなく考えることが出来る純粋さを持っている。

次作の『ブラッド・スクーパ』は戦いの一冊だ。野に降りて、はじめて自分の実力以上の相手と戦い、人と交わってさまざまなことを覚えていく。たとえば、人を騙すこととか。強くある、勝つとはどういうことなのか。死んだ人間が弱かったわけではない。最強の剣豪などといっても100年後にはもういない。武の目的のほとんどは生き延びるためにあるが、最終的には誰もが死ぬことには変わりがない。

そして三作目の『スカル・ブレーカ』。プロットのみに注目して言えば、三作目だけれどもつなぎの位置の一冊に思える。なぜ、ゼンはスズカ・カシュウに預けられていたのか。彼の生まれはいったいどのようなものなのかを解き明かしていく過程がこのシリーズには組み込まれているけれど、一作目では状況が提示され、二作目では情報がほのめかされ、三作目でついにそれが物語中でも確定した事実として本人に提示される。

ゼンの旅の目的はほとんど旅それ自体といってもいいようなものだが、それでも行く先々で人の縁と触れ合うし、戦いもある。毎作戦うことについてのいくつかの考えをゼンは得ていくことになるが、勝つか、負けるかといった話が本作では一番印象に残っている。ようは、勝っても負けても得るものもあれば失うものもあるということ。勝てば恨まれるやも知れぬ。負ければ馬鹿にされるかも知れぬが、場合によってはそれで終わりだ。

戦えば失われるものがある。戦わないですんで、結果的に何も変わらないのであればそれは重畳というものだろう。そうはいっても戦わねばならぬ場面というものはある。まさに襲われている瞬間であるとか、大切な人が傷つけられるときなど。ようは「いかにして戦いを避けるのか」という作法に、いくつものバリエーションがあるということ。

このゼンの旅で出会うさまざまなイベントは、彼がそうしたバリエーションをどんどんと体験していく旅でもある。勝ってみたら厄介なことに巻き込まれ、負けてみたら案外すんなりとことがおさまる。戦わねばならない場面では戦う。その時々で状況はまったく異なるのだから、その時々で考えるほか無い。

戦いを避けることにどんな理があって、戦うことにどんな理があるのか。唯一絶対の正解を追い求める過程というよりかは、戦いを避けるために戦う術を学ぶといったように矛盾した考えを求めていく過程なのだろう。本作でゼンは自分の弱さを知り、負けることの利を知り、そして自分の血筋についての情報を得た。

どこかで聞いた話によると、次だったかその次だったかでシリーズ完結作だとか。恐らく次はゼンは都にいくのだろう。そこで自分の血筋をめぐる旅が一段落するのはたしかだが、彼が追い求める武道の道にはいったいぜんたいどのような決着がつけられるものか。彼より強い武芸者はまだまだ存在している。そもそも終わりがあるようなものでもないけれど。