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基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

押井守のガールズアンドパンツァー語り

ガールズアンドパンツァーは素晴らしいアニメだった。

プロットはシンプルで、何よりも実際に戦車が動き、戦車ごとの特性が戦術、戦略に取り入れられ話が進んでいくのに感動した。そんな企画が通ったのもかわいい女の子しか出てこない「萌え」を配置した点があってのものだろうし、よかったなあ、そんな特殊文化がこの世には産まれていて、と無邪気に僕は思っていたのだが押井守さんの語りを読んでいたら、ずいぶんとそのことにとまどっているようだった。

一回もまともに見ていないと言い、「そもそも受け入れられる根拠がよくわからない」というその語りが面白い。よくも観てないのにこんなに語れるものだな、というぐらい語り尽くしている。ただそれだけアニメ文化の流れ、系譜というものを今までずっと分析してきたからこそ語れる内容でもある。しょうじき僕は全く詳しくないので、下記ロボットと兵器の区別など、安易なのではないかと思う区別もあるけれど特にツッコまずに要約していきます。

※下記すべて、引用元は押井守ブロマガ2013年5月号になります。
押井守さんは、そもそもロボットとは無人に向かうためのものであり、それがマジンガーZから人間が乗るものとして日本で表現されるようになったのはなぜなのかと問う。トランスフォーマーだって人工知能なので、言われてみればロボットというのは常に有人状態で動かさなければいけない理由は特にない。アイアンマンだって最初は人が入らなければいけなかったが、最新作では人が入らなくても働くことのできる存在として進化している。技術的な変化によって通常は無人に向かうはずなのだ。それがなぜ日本では「乗る」のが当然の「ロボット派」が生まれてきたのか?

押井:要するにロボットって、散々ブッちゃん(出渕裕)の話なんかでも言ったけどさ、少なくともアニメーションの世界におけるロボットって兵器じゃなくてキャラクターだったんだよ。人間が乗ろうがなにしようがね。『ガンダム』と言えども『(装甲騎兵)ボトムズ』と言えどもキャラクターだったんだよ。

押井守さんに言わせればそれはロボットは兵器なのではなくキャラクターなのだという。まあ、そうだよね、ここまでは極々当たり前に受容されてきた話だろう。ようはキャラクタの拡張的存在として、キャラクタの延長的存在としての存在がロボットなのであって、兵器なのではないと。ウルトラマンだってそういう意味で言うと、似たようなものかもしれない。押井守氏にいわせればそれはテクノロジー信仰というか、戦後テクノロジーが足りなかったから負けたという反動であるというが。

で、そのまま話が繋がるとガルパンもようはそれの延長線なんだと。身体の延長線上としてのロボットであるとすれば、それに美少女キャラクタが載っていてもよい。のっていてもよいから、それが全部美少女であってもよい。『で、その延長でなぜか回帰して、姉ちゃんが戦車を転がし始めたと。これは俺に言わせると末期的思想なんだよ。そう思って俺は舐めてたんだよ。「どうせマイナーで終わるんだ」と思ってたら、なんと! 模型業界が復活しちゃったんだよ(笑)。』

うーむなるほど。ここでよくわからないのは「末期的思想」とはなんのことを言っているのかということ。末期的思想? 兵器から身体の延長線上(キャラクタ)としてのロボットがうまれ、それがキャラクタであるがゆえに美少女が乗れるようになった(兵器ではないから)。ここまでの流れはわかる。そこで突然兵器に美少女が乗り始めたのが「末期的思想」ということのようだ。

ガルパンの新しさは「キャラクタの延長線上にない、純粋な兵器に美少女を乗せた」ところにあるのだろうが、これはロボットと美少女が受容されるに至ってきた歴史的な系譜から外れているし、だからこそ「ウケるわけがない」のに「ウケてしまった」からとまどっている、ということになるのだろうか。

俺からすれば『けいおん!』の戦車版とどこが違うんだよというさ(笑)。戦車転がすのは共同じゃないと無理で、砲手がいて、戦車長がいて、操縦士がいて、通信士がいてというチームでしか戦車は転がせません、というコンセプトを持ち込んだわけだ。そこにリーダーシップがあったりとか。それはそうとして、ともかく姉ちゃんがロボットじゃなくて戦車を転がしはじめたわけだ。いままでの戦闘機とかロケットとかもあったけど、みんなマイナーで終わったわけ。
――なのに戦車というリアルなものと結びついて、突然人気が爆発したのはなぜなんでしょうね?
押井:それがいまだにわからない。なぜそれが受け入れられたんだろ? 空想上の戦車じゃないんだよ? シールをペタペタ貼ってるとはいえ、第二次大戦のリアル戦車だからね? これのどこに根拠があるのかと思うよ。依然として俺のなかでは、ほかのものはだいたい仕掛けも系譜も見えるんだけどさ。それ単独でという企画はあり得ないから。必ず系譜があって、ホップ・ステップ・ジャンプがあって初めて成立する捨て石になる作品が必ずあるんだよ。『ガンダム』以前に山ほどあったように。

『けいおん!』の戦車版とどこが違うんだよというさ(笑) うーん、どこも違わないんじゃないかな。咲をみて視聴者が麻雀をやって、けいおんをみて視聴者が音楽を始めたように、楽器と麻雀が戦車に変わっただけではないか……。それじゃあ根拠としていかんのかなあといえば、ロボット物/兵器物の系譜として「そういうことはなかった」ということなのだろう。突然変異体というか。

兵器に美少女が乗るというのがこれほどまでに屈託なく受け入れられ、模型も売れているのは「これまでのロボット物/兵器物」の文脈でとらえると何の系譜にものっていないが、まったく別の文脈から言えばまったく不思議ではない──という落とし所になってしまうのではないか。ようはけいおんの戦車版であって、ガルパンを受容する理由として「けいおんの戦車版だから」以外の根拠は必要とされない。

「既に受け入れられているけいおん的世界観で戦車乗せた」というだけでは根拠にならないのだろうか。架空の世界とはいえ大洗という実在の街を舞台にしているわけで、存在している乗り物が「現実か、フィクショナルなものか」というのはそこまで大きな問題なのだろうか。メルマガではこのあと企画者が誰かという話になっていくんだけど、「なんでリアルな戦車を使うなんて企画が通ったんだよ」という話だったのかな。それだったら「たしかになんでなんだ」と疑問も沸く。

なんにせよ今回は「前編」と銘打たれているので「後編」が楽しみである。

コミュニケーションは、要らない (幻冬舎新書)

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