基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

「いいね」時代の繋がり―Webで心は充たせるか?

著者ははてなダイアリーで有名なお方でお名前をシロクマ殿という。言及される時はたいていシロクマ先生(精神科医なので)と呼ばれているようなので、以下それにならう。

本書はネットの、心理学的側面について書かれた電子書籍になる。なんとなく話題になっているのを観たので読んでみた。誰にとっても必要な、「ネットの取扱説明書」たりえる一冊で、たいへんおもしろく、他にあまりみない本なので読んでいる間にいろんな人にオススメしたくなった。

まあ単にネットの取扱説明書といっても、意味を取り込み過ぎるので語弊をまねく。もう少し具体的にいえば、インターネットの関係性に依存してしまったり、インターネットを使ったゲーム、表現手段にハマりすぎるあまり、過剰な自己露出の果てに炎上案件に巻き込まれたり、現実が視えなくなってしまったりといった身近な「ネットと心理」問題について我々がどうやって付き合っていけばよいのか、の取扱説明書になる。

たとえばネットコミュニケーションでは評判や評価、どれだけ褒められて認められているのかといったことが厳密に数字として可視化されてしまう。ブログだってそうだし、Twitterのfollower数だってそうだし、ニコニコ動画だったら再生数でもそうで。本来なら可視化されるはずのないような個々人の「評判」が目に見えてしまうことによってプレッシャーや競争心や充足感への欲求がエスカレートしていくという。

で、それが何か問題なのかといえば、そもそも僕らは現実ではあんまり褒められたり、応援してもらったりしないわけですよ。「きみ、いいね!」なんて言われたことないもの。あったこともあるかもしれないけど若干引き気味だったりするし、あるいはセールストーク見え見えだったりするのでなかなか「褒められたい」という欲求が満足させられることって無いのだと思う。

デール・カーネギーも『人を動かす』の中で(もう読んだのが10年ぐらいまえだからあまり信じないでほしいが)、「みんな褒められたがっているけど、なかなかほめられることなんてないから褒めると喜ぶしいうことをきいてくれるよ。でも重要なのは、嘘で褒めるんじゃなく心の底から褒められるようなところを褒めるんだよ(意訳)」といっていてはーそういうものなのかーと子供心に納得したことがある。

問題の話の戻るが、自分自身の評判(以下自己愛)*1が足りていないと、簡単な手段で自己愛を満足させることのできる手段がネット上には存在しているということが問題なのだ。若い女の子だったら何の技能もなくてもとりあえずニコ生で脱いどきゃ人があつまんだろーみたいな最終兵器的な物からTwitterに一日中張り付いて人とやりとりをしてみたり、ネットゲームに時間を注ぎ込んで評価を得てみたり。

正直言ってテクノロジーにはそうした自己愛充足的な側面にくわえ、人の認知をついて「ハマリこませる」仕組みが出来上がっているので、そちらのせいで「依存症」じみたことになってしまっている状況もある。⇒毒になるテクノロジー iDisorder - 基本読書 たとえば脳は情報を継続的に、小出しにされるとついついそこに意識が向いてしまう。Twitterなんかはまさにそこをついているわけだ。デール・カーネギー先生の教えをインターネット企業は忠実に実践しているといえるのかもしれない。

余談だった。実際問題ネットで自己愛を満足させようとするといろいろな弊害がある。ずっとネトゲTwitter等に時間を費やしていると、現実のスキルが育たない。悲しきかな、いくらネトゲで強くなっても、Twitterでfollowerがたくさんいたとしても、給料がもらえるわけではない。*2現実の人間とは付き合っていかねばならないし、現実の接触では否が応にもブロックできない摩擦がおこる。

シロクマ先生が頼もしいのは、先生自身がかなりネットに耽溺している人間であるので、そうしたものを「毒であり、依存症であるから、やめるべし」というのではなく、そうしたネットの自己愛充当のメリットも伝えてくれ、うまーく付き合っていくべきであるという立場でいろいろ考えてくれるところだ。実際ネットは使い方さえ間違えなければ、自己愛を充当させるにはことかかない。

不勉強だからかもしれないが、テクノロジーが毒として機能し、ネットによって注意力が散漫になるといった提言はあれど、いままでこうした「自己愛充当手段としてのネット」に警告を発してくれる本を読んだことがない。そして今のネットにはそうした「自己愛充当手段」が手ぐすねひいてあちこちで待ち構えているような状況で、恐ろしいことこの上ない。そういう意味で本書は貴重だ。

褒められたいという欲求は至極当然のものだが、ネットでそれを満たすにはメリットもデメリットもどちらも存在しているのだ。最初にこうした「取扱説明書」を読んで自分が滞在しているのはどのような場所で、自分の欲求とは何なのかといったことを一度考えなおしてみるといいと思う。自分の欲求を直視するのってあんまり良いもんじゃないけどね。

あと当たり前だけど、基本的に本書では「自分の見たいものだけで構成することができるネット」は現実で生きていくためには不適切である、とする立場だ。僕は今のインターネットでパーソナライズされていく状況が拡張されて、最終的に誰もが自分の見たい世界だけをみて、欲しい反応だけを得て生きていく世界になっても、生きていけるんだったらそのほうが幸せでいいじゃないかと思っている。今は当然まだ無理なんだけどね。

*1:本書では一貫して「自己愛」と表現されております

*2:例外はどんな時にでもあるものだが