基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

英語を読むことについて

コニー・ウィリスによるSFシリーズであるオールクリアの2巻が出た。これにてブラックアウト、オールクリアと続いてきた長大な物語が完結になる。ブラックアウトを読んだ時点でオールクリアを待つのがつらくなり、英語を勉強して洋書で読んだ身としては非常に感慨深い。このふたつがこれだけ期間をあけて出版されなければ僕は未だに洋書を読もうという気は起きていなかったし、日本語の本だけで満足していただろう。間を開けてくれた早川書房および訳者の大森望氏には感謝せねばなるまい。

英語が読めるようになる、英語を読もうとする人間へ変質するということは、ゲームで言えばマップが解放されたような状況に等しい。英語ができるようになるだけで今までアクセスできなかった文化圏にアクセスできるようになるのだ。当たり前のことだろって思うかもしれないけれど、実際問題英語でも情報を収集する、できるようになったときにそのことの意味がまったくわかっていなかったことに気づいて、たいへん驚いた。

洋画をみればまずは英語のreviewを探しに行くし、翻訳された本を読めば同様にreviewや著者インタビューを探しに行く。当たり前だけどいっぱいコンテンツがあってそれらは今まで「ワンクリック先にあるのに」「接続できない場所」だったのだ。

地理的な問題であれば金さえあれば僕たちは身体を別の国に運んでもらえる。言葉が通じなくても観光地なら問題無いだろう。でも文化圏にアクセスするためには言葉を知らなければいけないし、そしてインターネットがあってKindleがある現代では、英語を読もうとするだけで今まで未探査の広大なフィールドが広がっていることに気がつくことができる。

特に洋書については電子書籍が一般化していることもあって、一昔前のものはともかく最近話題になった本で手に入れられないものはほぼないといっていいだろう。かなりマニアックな本でも容易く手に入れることができる。そうすると、非常に滑稽な表現になってしまうんだけど、信じられないぐらいに、世界が広がるんだよね。

あれ、自分のまわりってこんなに広かったんだ、こんなに空間があったのか、と感じて愕然とするというか。英語ができるようになるというのは通行パスを手に入れるということだ。自由になっていくというのは、きっとこういうことをいうんだろうと思う。異なる文化圏へのアクセス権を手に入れるだけではない、それは今まで母国語にとらわれていた価値観やリズム、思考への影響といったものを意識し直すことになる。

自分で想像している以上に書く文章や思考といったものは言語によって規定されている。他言語を学ぶことでそうした規定からある程度の自由を得ることが出来るようになる。おおげさなことを、と思うかもしれないけれど、英語で情報を得ようとする人間への変質は、それぐらいぼくにとっては衝撃的な転換だったのだ。

語学なんてものは、目標がないと続かないものだと思う。目標があっても日常的に使わなければすぐにさびついて能力はすり減っていってしまうだろう。今ほど簡単にKindleで洋書が手に入れられる時代はないのだから(またこれは今度書こうと思っているが、Kindleがあれば単語の意味はすぐに出せるので、単語を覚えていなくても英文法さえある程度おさえておけば洋書が読める)未だかつて無い、読書家にとっては英語を動機面と環境面で学びやすい時代といえる。

思考と行動における言語

思考と行動における言語