基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

レイヤー化する世界 (NHK出版新書 410)

これは無責任すぎるのでは……と読み終えて思った。現状を大雑把にまとめあげただけで未来への提案は無内容極まりなく評価は高くない。佐々木俊尚さんによる最新の著作で、歴史観点からみて民主主義というのが必然的な結果として生まれたシステムなのではなく、テクノロジーの進歩により成り立たなくなってきている、今後なにが起こるんでしょうといった内容で、前半が民主主義の歴史的な成り立ちを捉え、後半はITを中心とした未来の世界システムはどうあるのかを論じていく。

歴史にはあまり明るくないので前半部はふむふむと思いながら読んだ。あまりにもラフな世界史で正直言ってまったく信用していないが、中世までの世界にひとつの民族がつくった国家はほとんどなく、帝国というあやふやな枠の中でごちゃごちゃと人々が生きていたのであって、国民国家およびその後に起こる民主主義というのはヨーロッパという特殊な地域のちょっと変わったシステムとして出てきたにすぎないとする見方はおもしろい。

ヨーロッパは「ひとつの民族がひとつの国」という国民国家を土台にして、内側の結束を固めて強い軍事力を持ち、外側を原料の調達地や市場としてうまく活用し、内側の民主主義を育ててきました。

強い軍事力という内的な要因と外側へと進行していくシステム、ウチとソトを明確にわけることからくる恩恵によって民主主義と国民国家は成り立ち、そして反映してきた……のかね。よくわからないけれど、まあそうだと仮に仮定していまではこれが終わろうとしていると佐々木俊尚さんは3つの理由をおっしゃられます。

第一にそもそも国民国家は先に述べたように歴史の必然で生まれたものではなかったこと。第二に経済成長は未来永劫に続くものではないという点。※民主主義の根っこの概念を本書では「国の内側の全員をできるだけ幸福にすること」と捉えていて、国民国家であるウチは常にソトから富を奪って繁栄し幸福にしていくシステムなのだ。そこで富が増えていかなければこの理念にひびがはいってしまうからだと言っているのだと思うが、まったく意味がわからない。)

第三に、これまで先進国がウチで回していた仕事が新興国に分散されてしまっていること。Appleが作業員をほとんど中国で雇っていたり、自動車の組み立てを中国でやったりといったことをお手軽に出来るように成った結果「ウチとソトを分けることでウチが反映する」という原理を、破壊しようとしています。*1 ここはわりあい理解できる。

ようは今世界はどんどんフラット化しているというわけですねー。ウチもソトもなくなっていく。絵の仕事はたとえばアフリカに出せば凄いやすくやってくれるかもしれないし、ITはインドに〜といった感じでお給料まで含めてこの世はどんどんフラット化していくよねーあははは。でもそんなことはもう何年も前から言われていることであっていまさらな話ではある。⇒Amazon.co.jp: フラット化する世界(上): トーマス・フリードマン, 伏見 威蕃: 本

そしてここから先は未来の話になるわけだが、その前に……。物事をシンプルに説明しようとしすぎて情報が抜け落ちすぎているように、知っている部分の情報の抜け落ち方をみると思う。たとえばリーマン・ショックがなぜ起きたのか、なんて問題は本を一冊通してようやく全体像がみえてくる話であるにも関わらず本書ではアメリカのマイホーム政策により貧乏な家庭への貸出を命じ、バブルになり、それが崩壊したとしか理由が書かれていない。

もちろん起こっている事象を抽象化して本質だけを抜き出すのは大いに結構なのだがこういう無意味な単純化に何か意味があるのだろうか。けっきょくレイヤー化とかいう考え方になにひとつ寄与しておらず、「先進国の政治はこんなふうに混迷を深めている」事例として扱われているが物事はもっと複雑であって政治だけに原因が求められるものではない。

たとえば民主主義がもう終わりかけているのはたしかに誰もが思うところだと思うが要因が3つなわけないだろっていうこともある。意思決定がクソほど遅くて参加する人間が多くなればなるほど決まるものも決まらなくなるのが民主主義の弱点でもあると思うし、そもそもシステムとして欠陥だらけなのだがそうした観点もまるでない。

まあいい。本書で本当にがっかりしたのは、この後の未来の話だ。世界はフラット化し、次に力を持つのは<場>だという。AppleのiTunesStore、Windows、インターネットだって立派な<場>のひとつだ。ウチとソトがなくなりただ<場>だけがある。ユーチューブという場があり、さらにその中に無料で学校の授業を行う<場>がありとレイヤーが重なっていく世界がこれからの未来なのだ……。

そして……だからどうしたんだ。僕はそうした無料の授業や情報が無料で提供されて当然とする流れは危険な徴候だと思っている。今では一流大学の授業も無料で聴講できる時代だが、一流大学の授業が無料で見られるとしたら誰が三流私大なんかで勉強を目的に通う? 一流大学の授業だけでいいじゃないか。みんなそこで学べばいい。情報のフリー化は一部の巨大なパワーを持ったところに人々が集中する。

そしてそれ以外はみんな滅ぶか極少数の人間でほそぼそとやっていかなければいけないが、そもそもフリーで恩恵を得られるのは大勢の人間を得られるところだけだ。広告も、寄付も、そもそも人が有料の時より多くくることが前提になっている。Googleは二社同時に存在することはできない。今後3Dプリンターなどの流れなどにのって、ギターがご家庭で自由に無料でプリントできるように成ったら? 物質にまでこの一部の勝者総取りの暗黒世界がやってくるのでは?

正直言ってレイヤー化される世界というのはこのままいくとあんまり楽しい未来にはみえない。給料は均されるだろうし下手をすれば一部の巨大企業だけが利益を総取りし中流階級はこの世から消滅しかねない。ロボットやシステムの登場によりもっとも職が奪われるのは、実は中流層なのだ。現実のレイヤーを把握して行動しなければいけない肉体労働などはロボットにはまだできないのである。

さらにいえばIT時代によって政府はより国民の情報を監視しやすくなっている。今までの歴史の中でいちばん「監視しやすい時代」といえるだろう。パーソナライゼーションをはじめIT技術は市民を制御し、抑圧的な状態に保つのに最適なツールである。ネットは間違いなく支配者側の技術として今後その能力を発揮していくとかんがえられる。

佐々木俊尚さんはそうした未来の不安な側面を若干書いているにも関わらず、その見方、結論はお気楽そのものだ。こんなこと本気で書いているんだろうか? 

 <場>に支配されていることを知っていながら、自由を得るための代償として、支配を受け入れているのです。
 一方で、<場>は圧倒的な支配者でありながら、私たちがいなければ存続することができません。<場>は、私たちの自由な動きからエネルギーを得ているのです。
 私達と<場>は、決して仲のよい友人ではありません。互いが互いを出し抜こうと必死に動き、しかし結果としてそれが互いの関係を深めていき、互いの存在を強くしていくことにつながる。嫌いな者どうしが結束しているような関係にも見えます。
 だからこれは、一種の「共犯」関係なのです。

共犯というにはあまりにも不穏な状況だと僕には思われる。こっちはたしかに<場>から利益を得ることができるだろう。ある程度自分の情報が抜かれているであろうことも想定していると思う。ただしこっちが何を搾取されているのかは、明示的に示されているわけではない。ジャン・ジャック・ルソーは『エミール』の中で教師にこんなアドバイスをしている。

(子供には)いつも自分が主導しているのだと思わせなさい。でも実際には、いつも本当にコントロールしているのはあなた(教師)なのです。自由の外見を保った隷属ほど完璧なものはありません。というのも、これにより人は意志力そのものをとらえられるからです。*2

「共犯関係」でもちつもたれつであるかのようにいうのは、こうした「自由の外見を保った隷属」的な意味をもってくることになるのではないかと心配でならない。問題は「共犯関係」などとまるごと受け入れてしまう態度にある。これはよい結果が得られるのならばそうしたコントロールを否定すべきではないとして、じゃあその線引はどこで行われるべきか、そしてそれは誰が決めるべきなのかという難しい問題に突入していくはずなのだ。でもそんなことは本書では触れられない。

そして本当に最悪なのは<場>の時代を生き延びていく戦略として最終的にあげられているのが、第一に、レイヤーを重ねたプリズムの光の帯として自分をとらえること。第二に、<場>と共犯しながら生きていくということ というのだから笑わせる。プリズムの光の帯(笑) 場の共犯についてはもう散々文句を言った。前者はレイヤー化していく世界で、たとえば僕が仕事があまりに出来ない大変なクズ野郎だとしても「本が好きな冬木糸一」というレイヤーで誰かと繋がってそっちで評価されればいいんだよという優しい話ではある。

優しい話ではあるが、何なんだって話でもある。民主主義システムがおわりかけていて、今後世界はフラット化していって、レイヤー化するとして、そこで出てくる戦略がレイヤーを重ねたプリズムの光の帯として自分をとらえること!! Twitterで10代の若い人たちを対象読者にしていると書かれているのをみたけれど、おっさんにわざわざ言われなくても10代の若い人たちはとっくにそんなこと知っていると思いますけどねえ。小さい時からSNS全盛ですよ。

そして自己を捉え直して場と共犯しても将来中流層が軒並みいなくなっていたらどうするんだって話ですよ。前半から長々と行われてきた歴史解釈にIT俯瞰の結論がレイヤーでつながろう、<場>と共犯しようってその程度の話に縮小されてしまうのだとしたら他に個人を捉え直し今後の方向性について示唆を与えてくれる本はいくらでもあります。私とは何か――「個人」から「分人」へ - 基本読書 とか「やりがいのある仕事」という幻想 (朝日新書) - 基本読書 とか自分探しと楽しさについて - 基本読書とか。ワーク・シフト ― 孤独と貧困から自由になる働き方の未来図〈2025〉 - 基本読書 とか。

それ以外の価値を期待したのですがまるっきり外れでした。こっちは情報を盗られているのを知っているがこっちだってそうしたSNSから利益を得ているんだからこれは共犯関係だ! って言われても何を馬鹿なことを言ってるんだとしか思えないんですが。

最近も国家安全保障局であるNational Security AgencyがFacebook Apple Googleなどを通して何百万ものアメリカ人の通話記録や何億もの外国人のインターネット活動履歴をとっていたことを示すドキュメントをEDWARD SNOWDEN氏にバラされた。

もちろんすべてが開示され、それを国民(外国人の履歴をとるのは当然大きな問題になってくる)が同意の上で受け入れた状況であれば場との共犯も現実的な話ではあるが、現状こちらはただ監視者たちが自分たちに都合のいいように出した情報しか受け手には知らされていない状態でぬけぬけと場との共犯なんていってしまうのは、あまりにも無神経すぎるのではと思ったので批判的に書いた。
Is Edward Snowden a Hero? A Follow-Up : The New Yorker

私とは何か――「個人」から「分人」へ (講談社現代新書)

私とは何か――「個人」から「分人」へ (講談社現代新書)

*1:p150

*2:自由と尊厳を超えて