基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

世界を回せ by コラム・マッキャン

『世界を回せ』とは印象的なタイトルだ。書店で見かけた時にすっかり惚れ込んでしまった。ただしなんであれそうだが、つまらない本に使う金と時間は持ち合わせていない。衝動買いを容易く出来るほど経済的に豊かではないので念のためぱらぱらと冒頭をめくってみる。大勢の人が一人の男をみて息をのんでいる。その男はかの二頭だてのワールド・トレード・センターの間にワイヤーをはり、棒を持った男が今まさに歩きださんとしている。

あらゆるところから街の住人はその光景を観ている。地上を離れたところにいるのだから、男の居場所はよく見える。行くのか? 行かないのか? とはらはらしながらその状況を見守っている。パトカーが集まりサイレンが鳴る。今か今かと待ち望んでいると、男はついに空へと踏み出す──。印象的な冒頭だ。そしてこれはどこかで聞いたことがあるぞ、と思っていたがすぐに思い出す。

こいつはフィリップ・プティだ。Philippe Petit - Wikipedia, the free encyclopedia 1974年に実際にワールド・トレード・センターのツインタワー間で綱渡りをやってみせた男で、その模様は『マン・オン・ワイヤー』というタイトルで映画にもなっている。まさに嘘みたいな本当の話だったわけだが、本作ではそれを嘘の中に取り込んでしまった。

しかし──「じゃあこれはそのマン・オン・ワイヤーの小説版なんだな!」と早合点してしまうと(書店で冒頭を立ち読んで、そう確信して買ってきたのだが)あれ、ぜんぜん違うぞ! と驚くことになる。プティの綱渡りはもちろん話の中心だ。彼の綱渡りをみてニューヨークの住人は色めき立ち、彼を見た人、彼を捌いた人、彼を見ていないが、その端で運命的な出会いに翻弄されている人──、そうした奇跡的なことが起こった一日に存在する、ニューヨークという街に存在している様々な人々が、この作品の主役なのだ。

あらゆる人々が本作には登場する。ダブリンに住む兄弟、弟は若い頃から街の飲んだくれと飲み歩き、なぜか修道士となりニューヨークで売春婦たちの世話をするようになる。若い男が世話をするには、その売春婦たちはちょっと落ちぶれすぎている。未成年にも関わらず子どもが何人もいる。当然収入なんてあってないようなものだ。あきらかにキャパシティオーバの状況で何が彼を支える?

そんな彼の周りには黒人で気のいい売春婦にグアマテラの看護師、戦争で子どもを失った主婦たちの集いの面々、そしてプティ、とさまざまな人種が集まってきて、物語はそうした多重の視点から語られる。ある時は兄弟の兄が語り、ある時は子どもをなくした母親が、ある時は男を轢き殺してしまった車に乗り合わせた女が──。

彼ら彼女らの視点は異なる視点から一連の事件をみていくことになる。でもそれは何か凄まじい事件ではない。わりとそのへんにありふれているような、それでも聞くとほっこりしてしまうような、そんな美談だ。でもそこに関わっている人たちにはそこまでの人生がある。道でほんのすれ違ったりするみたいに、ほんの一瞬人生が交錯するような関係でも、そこには膨大な過去が含まれていて、ある時それは直感として突然吹き出すことがある。

本作では幾人もの人生が語られていく──。そしてある時、ある場所で、ある人物が交錯したときに、その「直感」のようなものが訪れる。それは、その直感を得た当人からしてみれば啓示のようなものだった。その一瞬はこうやって語られる。

 ほとんど一瞬で分かった。あのふたりの子を世話する人間が必要だと。はるかな昔からやってきたに違いない、心の根っこの感覚だった。昔のことを思い返すのは自尊心から生じたあやまちの場合もあるけれども、何年にもわたってある瞬間の中に生き、その瞬間と常に動きを共にし、その瞬間がしだいに大きくなってゆくのを感じているうちに、そこから生えた根は周囲のあらゆるものに触れるようになるのだ。

読者だけは、この両者の間にいったいどんな人生があって、どれだけの出来事があって「いま・ここ」にたどり着いたのかがわかる。だからこそこの一瞬で「分かった」彼女のその直感がとてつもなく正しいことが、そして彼女を幸せにするであろうことがわかる。さまざまな人間がいて、さまざまなイベントがあった。そしてそれは、次のイベントにつながっていく。

しかし凄いのは立場も知能も人生もまったく異なる雑多な人間を見事に書き分けて、しかもそれを読み物として成立させるために文体を変え、イベントがちょっとずつ関連するように配置させ、まるでレゴのブロックか何かみたいにまったく異なるピースがいつのまにやら荘厳な建造物に変転していくようなところだ。

とりわけびっくりしたのは売春婦の視点のところで、言葉は足りずにぶっきらぼうで、意味もつながりがよくわからず無茶苦茶だ。ぶっちゃけかなり読みにくい。でもその文体は起こったこと、感じたことをそのまま描写していくばかりか途中から詩か歌のように表現が変化していく。最後なんてまるで歌詞だ。でもその変化していく運動が素晴らしい。

またニューヨークという街についての物語でもある。当時のニューヨークが今では想像できないぐらい危険だったことも描写される。たとえば一般的な女性が、その生涯で七度も強盗に出会うぐらいには。『ありふれていない一日のひとつ。ニューヨークは、そんな一日を作り出すコツを知っている。ときおり、この街は魂をぶちまけてみせるのだ。理解の枠を超えた強烈なイメージやとんでもない一日、犯罪や恐怖や美が人に襲いかかり、信じられない思いで首を降らせる。*1

「ニューヨーク」と彼女は溜息をついた。「こんな人たちがいっぱいの街。わたしたち、どうしてこんなところで生きていけるのか不思議に思わない?」

嗚呼ニューヨーク! これはニューヨークにおちた非現実的な一日と、そしてその周囲で右往左往するニューヨーク市民たちの物語だ。その街は常に情報が刷新される。イベントは連続して物事は過ぎ、忘れ去られていく。でも、常に続いていくのだ──という、それだけのことを、地位も立場も境遇も異なる幾人もの人生を交錯させることによって見事に描いていく。素晴らしかった。あまり読んだことがないタイプの作品だ。

世界を回せ 上

世界を回せ 上

世界を回せ 下

世界を回せ 下

*1:下巻、P116