基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

スロウハイツの神様(講談社文庫) by 辻村深月

昨日こんな記事を書いたら⇒共同生活物の魅力 - 基本読書 共同生活ものということで、この『スロウハイツの神様』を教えてもらった。辻村深月さんによる小説。いやあ適当に書いているといいこともあるもんだなあ。こんないい本を教えてもらえるなんて。共同生活ものの観点からみても、ただ小説として読んでも、最高に面白かった。

共同生活物の魅力としての部分は最初に引いた記事に既に書いているので割愛する。いろいろ現実に起こった事件とのモチーフが重なっていて、素敵だ。スロウハイツに集まって入居するのがみなクリエータであることからトキワ荘がモチーフになっているのはもちろん(何度も言及される)、こちらは直接言及されることはないものの、登場人物の一人のモチーフは筒井康隆のような気もする。

スロウハイツに集まってきたクリエータたちの関係を描いていくのだけど、芽がなかなか出ないクリエータの葛藤の描き込みが素晴らしい。大学に入ってちょっと探せばクリエータ志望とかいって一作も書いてないか遊びみたいなもんをちょろっと書いただけみたいな意味不明な人たちといっぱい出会えるんだけど、本作に出てくるのはみんな20をとうに過ぎたいい大人たちだ。

なかなか夢を追ってもいられない年齢だろう、とも思うもののみんなわりと健気に、というか前向きに頑張っている人ばかりで、そうした「挫折クリエータの闇」を赤裸々に書く、といった話ではない。超有名小説家が一人と、仕事がばんばん入ってくるようになった新進気鋭の脚本家がいて、あとの面子も今は評価されていないだけで、才能自体はあるキャラクタ達だ。ただし運がある、ないはあるにせよ。※才能があるの意味は具体的には下記を参照。

クリエイターが成功するのに必要なのは、才能と努力と運。何かを始めようと思う人間は最初からある程度の才能を持っているに決まっているから、才能面での心配があるわけはなかったし、一度それを自覚して書き始めた人間は練習を練習と思わなくなる。好きな事に没頭することを努力と呼ぶなら、この点でも何も心配はないのだろう。問題は最後、運だ。

辻村深月さんの作品、実は初めて読んだんだけど、そういうキャラクタ間のやり取りがすごく染みこんできてグッと来る。さっぱりとすごく強い人間のように振舞っていながらダメ男とばかり付き合ってしかも実は泣き虫というキャラクタだったり、主人公格のように個性を消して書かれていたキャラクタが実はかなり意図的に制御されたメンバの中で一番の嘘つきであったり、一癖も二癖もある人間たちで素敵だ。

共同生活物で一番重要なのは、何をおいてもそこで暮らす人々である。仲が良いのはもいろん素晴らしいが、クリエータ同士で、しかも男女とくればいろいろある。自分より先にいかれた、と思ったら悔しいに決まってるし、恋愛なんて起これば起こったときはいいかもしれないがわかれた時とかつらいしね。そうした葛藤や衝突が、「すぐに想像できるような単純な形」ではなく複雑な経緯(プロット)の元組み上げられていて、物語が進行していくにつれそのこんがらがった経緯が解かれていくのがミステリのようで心地が良い。

丁寧で、誠実な作家なんだなあと思った。さすが神林長平ファンなだけある!(これはどうでもいいが、僕は何度か神林長平先生の講演会にきている辻村深月さんを見かけたことがある。)

そんな才能のあるもう若いだけではないクリエータたちと、中心になるのは作家にいったい何が出来るのか、っていうテーマであると思う。物語の力とは何か。サルトルは飢えて死ぬ前の子供を前にしては文学は無力であると言ったが、それはまあその通りで無力極まりないと思う。読んだ所で腹がふくれるわけじゃないし。物語なんか読んだって別に頭がよくなるわけではない。同じ時間勉強していたほうがよほど将来の裕福さにつながるだろう。はっきりいって無駄だと思う。

同時に、これもアタリマエのことだが、それでも──、それでもできることがある。物語の力は確かにある。たとえば宗教なんて、完全にフィクションなのだが、あれだけ大勢の人間を動かしているわけである。ただの言葉には凄まじい力がある。でもだからこそそれは邪悪な方面へと使われてはいけない力で、作家は聖なる方へと向かわなければならない──と神林先生がいっていて、ああ、本作はまさにそれだ。辻村深月さんはやっぱり神林チルドレンの一人なのだ(またか)。

テーマは正直どうでもいいのだけど、そのテーマとプロットの絡みが素晴らしい。「作家の責務」を揺るがすような事件が起こり、その事件からの回復というのがひとつのメインプロットではあるんだけど、このプロットがそのまま「作家の責務とは何か」というテーマと連結されているのだよね。そしてその周囲には、トキワ荘手塚治虫が神様だったように「神様に影響を受けた人たち」がいる。

神林チルドレンの話を出すのも、ようは辻村深月さんの根っこにそういう考え方があるのだと思うからだ。ある神様みたいな作家がいて、みながそれに憧れ、追いつきたいと願い、あるいは追い越して抜き去って、叩き伏せてやりたいと願う。あるいはその憧れ、素晴らしいという感情をさまざまな手段で訴えようとする。ミームみたいなもんで、ある作家の衝動は別の作家を産み出すのだ。

スロウハイツというクリエータの家が、そうした状況の表現になっている。作家にできることは何か。まさにその結果がスロウハイツという場なのであって、とても幸せな場だ。大好きな「共同生活物」の一冊に新たに加わった(上下巻だから二冊だけど)

スロウハイツの神様(上) (講談社文庫)

スロウハイツの神様(上) (講談社文庫)

スロウハイツの神様(下) (講談社文庫)

スロウハイツの神様(下) (講談社文庫)