読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

「思考」を育てる100の講義 by 森博嗣

作家・森博嗣さんによる新作。こことか(常識にとらわれない100の講義 - 基本読書) こことか(つぶやきのクリーム the cream of the notes - 基本読書)で片っ端から何か書いてきたのでさすがにもう書くこともない‥‥だったら書くなよ‥‥と自問自答してしまう昨今だが、勝手に芽生えた使命感によって勝手に何か書いてしまう。

前二作と同様、100の発想を元に、1つの発想につき2ページをつかって書かれていく。つまりだいたい200ページ、まえがきや目次を加えて223ページ。小説作品ではなく、エッセイになる。講義とついてはいるものの、かなり抽象的で、前二作と比べて違うところを探すのならば、より日記的というか、身近な話から展開しているものが多い印象がある(読み返して調べたわけではないので違うかもしれない)。

かつて日記を書かれていたのだが、もうここ数年書かれていないので、そうした近況的なところがわかるだけでもちょっと嬉しかったりする。

しかしよくもまあ、これだけ身の回りのことから発想の種を拾ってこれるものだと思う。僕等本を出汁にしてしか、なかなか文章が書けない(このブログは日記のつもりなのだけど、毎日なにか読んでいるから結局本のことを書いている。)。恥ずかしい、恥ずかしい、と思いながら、それでも書いていることが恥ずかしさを上回っているので書いているが、そのうちこんなことすっぱりとやめようと思っている(もう別の場所で書いているから、ここを放棄するということ)。

故に──というわけでもないけれど、この本は、「発想はどこからくるものなのか」を探ろうと思って読んだ。たぶん、秘訣は「よく観察する」ことなんだろうなと思う。自然でも、人間でも、犬でも、猫でも、社会、組織でも。起こっていることをよくみて、そこで何が起こっているのか、なぜ起こっているのかを考える。それから想像すること。仮設をたてること。検証できるものは検証すること。そしてよく観察したものから、本質を抽出して見ること。

そもそも、「うん、これは不思議だな」と思って目を向けることがなかったら、観察なんかできないわけで、そもそもの「視点をどこに向けるのか、ズームするのか」といったところから重要なのかもしれない。『人工よりも自然を観察する方が、オリジナルが得られる』というエッセイが本書にはあるけれど、確かに過去のエッセイなどでもネタが犬の行動や、植物、落ち葉などからきていることが多々あった。

森博嗣さんの初期の日記本である幻冬舎から出ているシリーズを読むとわかるのだが、その後のエッセイ、たとえば仕事、科学、音楽、などなどのうちほとんどの発想が既にあの本のなかに収められていることに気がつく。ようはそれぐらい本質的(再現性や、論理がある)な思考というものは、他の部分への転用が効く、ということなのだろう。

どんな本でも、読者は試されているものだ。容量でいえばテキストなんて、一冊ほんの数十キロバイトでしかない。マンガや音楽なら、あっという間に何Mバイトの世界で、情報量としてはごく少ないのだ。それでも文字は脳のトリガーとなって情報を引き出す、あるいは展開するわけであって、ほんの僅かな情報から何かを得るのは主に読み手の力にかかっている。発想の根っこがぽんと置かれている本書は本一倍(人一倍の本VERの言葉を考えてみたがこれでいいのだろうか)読み手の力を必要とする一冊だと思う。

僕が何度も何度も森博嗣さんの本(小説も、エッセイも)を読んでしまうのはそこに書かれていることが知りたいという気持ちもあるけれど、特にエッセイではこの人がどんな変化をしているのか、そうした変化の運動が知りたい、という気持ちが強い。たとえばこのエッセイは同じ形式でついに3作目に書かれたものだけれども、その間にさらに新しいものを取り込まれて、発想として盛り込まれている。小説作品では、赤目姫の潮解 LADY SCARLET EYES AND HER DELIQUESCENCE by 森博嗣 - 基本読書はほんとにすごい飛びっぷりで、唖然としたものだ。

その変化の一瞬一瞬を切り取ったところに著者の本質があるわけではなく、その変化の連続の中にこそ、本質があるのだと感じる。

やはり、変化が面白い。

「思考」を育てる100の講義

「思考」を育てる100の講義