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人びとのための資本主義―市場と自由を取り戻す by ルイジ・ジンガレス

この前詰替え用のシャンプーをボトルに詰め替えていて、何年か前まではこの入れ替えがうまくいかずに手間だったのが、今はさらさらの粘性になっていてスムーズに入れ替えられるようになっていることに気がついて、資本主義ってすごいなあとおもったものだった。こんな効率よく様々な物事を進化させ回り続ける素晴らしいシステムだが完璧なシステムでもなく、残念ながらそこら中に歪みがある。

ファンドマネージャーは大金を賭けて勝てば自分の利益になるが、負けたところで殺されるわけではない(ひょっとしたら殺されることもあるかもしれないが)。こうしたウォール街特有のインセンティブは当然ながらファンドマネージャーに対して過大なリスクをとるように仕向ける。もちろん雇っている側の人間がそれに規制をかければいいのだが、雇っている側もどこかから金を借りて業務を遂行している場合これも機能しない。

負けても貸し手が損をするだけだからだ。それならば損をさせないように一番がんばるのは貸し手になるが、これは借り手が大手銀行の場合は機能しない。大手銀行は「巨大すぎて潰せない」と政府が考え、仮に破綻しても巨額の資金が注入されて助けられるからだ。金融危機の時に毎度それが明らかになる。国は銀行を助けるのだ。だったら投資先はもともと大きくて絶対に潰せない企業にした方が安全だ。破綻しても助けてもらえるんだから。

また企業が政治にたいして金を使えば自分たちに有利な法案を通過させることもできる。それも至極もっともらしい理屈を伴ってやれば議員にとっては寄付金だけでなく、票にさえつながる。ある企業にとって有利な契約規則の期間延長を決定すれば、その企業の下請けで働く数万人の人間は引き続き保証されるだろう。一気に数万の票が手に入るのと同じことだ。

ルールの元での競争のはずが、行き過ぎたロビー活動によってルールの書き換え合戦になる。「問題は、選挙運動で使われる総額が賞金の大きさに到底及ばないことだ。二〇〇八年、大統領選、上院・下院議員の選挙戦に使われた総額は五十三億ドルだった。この金額で八兆ドルを管理する権利を買ったわけだ。つまり賞金の大きさは、くじの総価格の一〇〇〇倍以上である」もちろんこれは極端な譬え話だが、動かせる影響力が五十三億より大きいのは間違いないだろう。

こうして氏の問題点の指摘は政治の経済問題までに渡り、どれもごもっともで大変面白かったがそれに対する「これから」はどうなんだろうね。

まあそりゃすごく具体的な指摘をしてもらわないと困るというわけでもなく、本質的に重要なのはより抽象的な議論の場合もある。が、本書で示される結論、社会全体にとって不利益となることは人民の規範によってまずは制限されるべきであり、ロビイストの公平性を保つためにデータ開示、内部告発保護、集団代表訴訟による人民の為の弁護、そして規制はできるかぎりシンプルに、は、そのまったくごもっともな内容にたいして意味が感じられないのが不思議だ。

まあ「そんなんわかってるが、問題はそうした規範の形成をどう創るのかとか、集団代表訴訟がどのようにシステムとして有効に機能するのかとか、データ開示による影響への根拠とか」といった細かい実現へのプロセスへの疑問がいちいち「どうなんだろうな」と読んでいると思ってしまう。明快な結論は面白いがそこには都度都度実現性に対する根拠が欠けている。ようするに、まるで空虚な空論を読んでいるよろしくない気分になってくる。

もちろん著者もそのあたりのことはわかっていて、そうした細部をつめていくのは困難だと認めている。そこで出てくるのがさっきも書いた社会規範の形成による(たとえばタバコを吸っている人間はかっこ悪いというイメージをみんなが共通して持つと、タバコを吸う人が少なくなるように)改善だが……これもまた規範の形成過程が描かれているわけではないのでちょっと拍子抜け。経済学者にそんなもの求めるなよ、という話ではあるけれど。

人びとのための資本主義―市場と自由を取り戻す

人びとのための資本主義―市場と自由を取り戻す