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基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

Zシリーズ by 森博嗣

森博嗣全シリーズレビュー

通称Zシリーズの名で呼ばれているのは森博嗣さんによる『ZOKU』『ZOKUDAM』『ZOKURANGER』の3冊の総称。シリーズ物ではあるが、登場人物の名前とある程度の設定が共通しているだけで、3冊にお話的なつながりはない。そして内容はアンチ・ミステリならぬアンチ・子供の憧れというかなんというか。ZOKUDAMはまんま某ガ○ダムがモチーフだし、ZOKURANGERもそうくると、いうまでもなく戦隊ヒーロー物に対するアンチである。

作家の作品ごとに通底するものはその文体や、変化の方向性といったものの他に「リアリティ」があると思う。架空の世界を構築する上でどこにリアリティを置くのか。森博嗣さんの場合で言えばたとえ現代を舞台にした小説でなかったとしても(未来だったり、あるいは現実には存在しないような設定を持った世界だったり)そこには科学を基本とした(物理学とか工学とかすべてひっくるめた)リアリティが通底しているのである。

そうした森博嗣・リアリティで巨大ロボット物や、ヒーロー物を再構築したらどのような作品になるか──という実験みたいなものがこのシリーズ最大の特徴であると思う。巨大ロボットは当たり前のように飛んできたりしないし、敵とのサイズの差を心配するし、整備にかかる金や時間や設計段階での悩みなどの描写が必然的に出てくる。

メジャな作品では誰もそこには深く突っ込まない。つまりメジャに真っ向から反抗している、随分マイナな小説であるといっていいだろう。でも僕はもともとロボットとか怪獣といった男の子が好きそうなものが、リアリティがなくて楽しめない口であったので受け取る側としてはベストである。

ロボットとかって、人型であることの理由付けがまったくないか、アホすぎる理屈しかついていないもんなあ。ガンダムだって、なんか大層な話をやってるけど実際に戦っているのがアホくさい人型ロボットでしょう? もう人型ロボットが出てきた時点でリアリティも何もあったもんじゃなく、どんなに真面目に話を展開させようとしても画面が馬鹿馬鹿しくなっちゃう。

もちろんそうした点に目をつぶって、多くの人が楽しんでいるのはわかる。僕だって人型ロボットや怪獣のような部分以外については美味しい部分を享受するために多少のリアリティのなさを観なかったことにすることもある。特定の要素に、自発的に鈍感になることが、何もかもを楽しむひとつの秘訣であるといえる。

そうした中で我慢できない、それは譲れない部分というのがあるとしたら、そこがやっぱり個性だし相容れない部分であるといえる。だれにでも譲れない部分はあるだろう。

と、話がZシリーズからそれたが。たとえばどのあたりがアンチ・ヒーロー、ロボット物なのか。一作目ZOKUでは科学力と大量の資金でもって悪戯ばかり行うZOKUと、彼らの悪戯を阻止しようとするTAIという2つの組織が話の主軸になる。もちろんよくある正義の組織、悪の組織とは違う。悪の組織はおおっぴらな犯罪などしない。そんなことしたら、あっという間に警察に叩きのめされてしまうだろう。だからこそ彼らの犯罪は超・みみっちいのだ。

だから悪の組織は、非常にせせこましい、些細なことなので誰も告訴しないような、あるいは誰かの悪戯だとも考えないような悪戯を行うのである。たとえば、通常の半額の色えんぴつ、絵の具などを作って文房具店に売り込み、実は書かれている色名と実際の色が異なる製品をばらまく。気づかないほどの振動を発生させて多少不愉快な気持ちにさせてやる。ステレオ効果によって笑い声をひそかに、あらゆる場所で発生させる。

どれもせこい悪戯だ。映画館などで、通常笑うところではないところで笑い声が聞こえてきたらちょっといらっとするかもしれない。肌色と書いてあっても塗ってみたら茶色だったらいらっとするかもしれないけれど、まあそんなもんかと流してしまうかもしれない。ま、その程度のことだ。

しかしそうしたせこい悪戯の影にも、アイディア出し、そして実行のための細かい準備と手間がかかっている。色を変えた絵の具もいちいち文房具屋においてもらうように頼みにいかないといけないし、そもそも一見それっぽく見えるように製品開発の工程をふまなければいけない。

むかしからわかりやすい正義と悪が出てくる物語では、僕も悪のほうに感情移入していたものだ。なにしろ彼らは必死に準備し、作戦を立て、無能な部下に悩まされ、あげくのはてに、あっという間に正義のやつらにけちらされてしまう。

悪いことを考えて、実行する、正義は出てきたそれにただ対向するだけでいい。必死に考え、時にはプロジェクトが思うような効果をあげず、時にはプロジェクト実行前にぽしゃるのはいつも悪の側なのだ。そうした悪の組織の悲哀、作戦立案、遂行上にかかる手間の描写がこのZシリーズには共通して存在している(ZOKURANGERはちょっと違うか)。

ZOKUDAMは一冊まるまる人型ロボット物である。しかし当然ながらガンダム級のロボットがどんぱちしあう世界観ではない。何百億円も費用をかけて人型ロボットをつくり、ZOKUと同じだが関係性をリセットされたキャラクタたちがロボットに乗り込むところまではそれっぽい。巨大ロボット同士が戦うのだ。

しかし整備は大変だし、マニュアルを読むだけで何ヶ月もかかるし、特訓に時間がかかる。自分を傷つけないようにソフト的に解決しなければいけないし、基地は雨漏りする。そしていざ実戦にでたら、一度破損したら直すのに数日はかかる。動作テストもしなければならないだろう。部品の調達、設計のやりなおし、予算の関係、安くない金が動くのだ。関わる人間が多くなれば多くなるほど、仕事はスムーズにいかなくなる。自然の摂理はロボットにも適用される。

だいたい、敵がこっちが持っているのと同じぐらいの大きさのロボットだとどうしてわかる? 移動させるのにも、いったん分解して組み立てなおさなければならない。そして実際に運用を開始するまでのテスト期間は、やっていることは普通の仕事とかわらない。来る日も来る日もマニュアルを読む。疑問点があれば開発部に投げ、対応を検討してもらう。

姿勢制御やトラブル時の対応方法を逐一検討する。これはソフト的に対処可能なのか、はたまたハード的に対処しなければいけないのか。作業環境の改善も考える。毎日の仕事は、たとえ人型ロボットの整備だとしても本当に地道なことの積み重ねで、その地味な事務作業と人型ロボットというアンバランスな比較が笑える。

だいたい敵を倒すという目的があるならば人型である必要なんてまったくないのである。砲を撃つなら砲を撃つで、デザインを目的に特化させたほうが素晴らしい結果を生む。だからこそ本作では人型ロボットが作られる「理由」にまで思考をこらしていく。もちろんそれもバカバカしい理由にしかならないが、しかしぎりぎりのリアリティを保っている。

そうやって入念に入念な準備を重ねた上ではじめての実戦になる。もう、その場面にたどりついただけでZOKUDAMという作品に出会えて感謝! という気持ちにさせてくれた。わあ、ついに現実的にロボットが動き始めたぞ! という感動。あらゆるツッコミを入れ(人型ロボットをロマンで作るのはいいけど、相手もロマンで応答してくれる保証ってどこにあるの?)、あらゆる整備トラブルを乗り越え、資金調達、政治的なやりくりを乗り越えたすえの「巨大人型ロボットが存在している世界」

地道な、本当な地道な描写を積み重ねることで出てくる種類の感動がある。シリーズを通して貫かれるリアリティの引き方が、作家の個性だと思う。無駄の中に実を見る、虚の中に実をつくる、手法冴え渡るシリーズだ。

ZOKU (光文社文庫)

ZOKU (光文社文庫)

ZOKUDAM (光文社文庫)

ZOKUDAM (光文社文庫)

ZOKURANGER (光文社文庫)

ZOKURANGER (光文社文庫)