基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

The Visioneers by W.PatrickMcCray

表題のVisioneerとは著者が創りだした造語で、「明確なヴィジョンのある」を指す"visionary"と”engineer”をかけあわせた言葉。発音がどうなっているのかよくわからない。そのまま読むとヴィジニアーみたいな感じでひどく語呂が悪い気がする。読んでいてずっとこの言葉には違和感があったが、たぶん流行らないだろうな。つまるところ言葉の意味は明確で、ヴィジョンと行動力を持った技術者のことを指す。

本書では中心としてこのvisioneerな2人を中心として展開していく。1人は物理学者であり宇宙開発における第一人者であるジェラード・K・オニール。スペースコロニーの提唱者で衛星の周回軌道上に効率よく物資を放り込むマスドライバーの研究もしている。何百万人もの人間が宇宙空間で暮らす未来を想像し、その為の技術的なアイディア、計算とその為のプロモーションをの2つを大々的に行った。現代ならまだしも1969年に、現実的計算や循環可能な環境システムを紙の上でとはいえ構築したその力はまさに筋金入りの「夢見るエンジニア」である。

実際スペースコロニーは未だ現実のものになっていないとはいえフィクションの世界では存在感を放っている。最近ではハリウッド映画のエリジウムで、スペースコロニーが重要な役割を果たした。国立宇宙協会はエリジウムで描かれたスペースコロニーに対して、スペースコロニーは人間の希望であるとか、このように一般的な文化の中でスペースコロニーが現れるようになって嬉しいとか、映画中のコロニーの回転描写等映画技術に賞賛を贈っている。最後に、作中のスペースコロニーで1%の富裕層が専制君主的に牛耳っているのは我々とは関係がないよという謎の弁護が入っているのがちょっと面白い。誰もそんなこと疑わないだろう。Space Settlements Represent Hope for Humankind

オニールが提唱した当時はアポロ13号の月着陸成功により宇宙開発の大ブームな時でもあった。カーソンによる沈黙の春が出版されたり、人口増加が盛んにヤバイと言われたり、資源が枯渇するといって恐慌になったり、地球がヤバくて宇宙に夢を見た時代だったのである。だからこそスペースコロニーの初期も「地球からの脱出手段」としての熱狂に支えられた。

人口増加? おK! 宇宙に送り出せ! 資源がない? OK! 宇宙に行こう! そうはいっても人口増加分を宇宙に送り出そうとすればとんでもない人数を出さないといけないし、宇宙に費やした分の資源がプラスになるほど実りがあるとも思えない。今でこそ軌道エレベータなんかが少なくとも理論的には可能性として出てきているけれど(後述するが軌道エレベータに必須なカーボンナノチューブナノテクノロジーが必要なのである)当時はおかしな熱狂ではある。

1970年代前半から後半にかけての勢いは凄かったようだ。1975年にはオニールのアイディアをサポートするL5協会(名称はラグランジェポイント(月と地球の引力がつりあう場所で、つまるところ燃料を使わずにずっと同じ場所で静止したまま回っていられる)からとられている。)を設立したが1980年初頭にもなると、実際問題コストやその他もろもろの問題がわかってきたようで、その勢いは衰えていった。

L5協会も米国宇宙研究所と合併し先ほどエリジウムの件で引用した国立宇宙協会と名前を変えている。

本書一冊が丸々スペースコロニーとオニールの話なわけではない。もう一人の主役は分子テクノロジーを提唱したキム・エリック・ドレクスラーだ。彼も又同様にアメリカ合衆国の工学者でオニールとも長い親交と、仕事での協力がある。L5協会の会員としてもずいぶん活躍して、アイディアの提供なども行っているがその名を知られているのは分子ナノテクノロジーの開拓者としての役割である。ナノテクノロジーとは分子や原子サイズの物を自由に制御する技術のことで発想の大本はリチャード・ファインマンにさかのぼる。

ナノテクノロジーには主に2つの方式があって、大きな物質から削っていって小さくするトップダウン方式と、ゼロから新しい機能を持った仕組みを構築するボトムアップ式の物がある。ドレクスラーがナノテクという時はこの後者を指している。問題点としては分子レベルのナノマシンを作るための方法が存在しないことがある。ドレクスラーはナノマシン自身に自分を創らせれば自己複製させることができると考えた。しかし最初のそれをどうやって作るのかという問題に答えは現在にいたるもまだ出ていない(おいおい)。

メインがこの二人なので「おいおい、Visioneersってのは「壮大過ぎる夢を抱いて結局何も達成できなかったやつら」ってのも定義の1つにしなきゃいけないのか??」と思うがそれは違う。たしかにスペースコロニーも実現していないし(フィクションの中では元気よくくるくるまわってるけど)ドレクスラーが夢見たような自己複製するナノロボットも実現していない。しかしそうした今でも実現困難な目標に向かっていった途中で、技術的にも思想的にも多くの副産物を残している。

オニールが提唱した宇宙空間は政府の物であってはならないという思想など、いま起業家たちが商業としての宇宙開発を目指している所などに影響を見ることが出来ると本書にはある。それはどうだろうか……しかし実際Amazonジェフ・ベゾスが設立したブルーオリジンという航空宇宙企業もあるし、影響があるかどうかはわからないが流れとしては間違いではない。これはあまり触れられていないが、フィクションの中での影響も大きい。ガンダムスペースコロニーだってWikipediaによればオニールの本が元になってるし。

「想像」しないものは何一つ生まれないのだから、最初に想像しそこまでの道筋をつけたという点で彼らは確かに偉大だったのだろう。昨今SFも気を抜くとすぐに現実に追いぬかれてしまうというけれど、未だに追い抜かれないヴィジョンを当時から確固として持っていたのだから。もっともその発想の大本になっているのがそもそもハインランやクラークなどの著名なSF作品だったりして、「SFの底力」というべきかもしれないが。

Visioneerの定義が結局あまりまとまりのよくないものだったからか、2人しか紹介されなかったせいか、内容的にばらばらの印象を受ける。が、オニールの……というよりかはスペースコロニーの伝記として楽しく読んだ。オニールが学生に聞いたとされる『Is the surface of a planet the right place for an expanding technological civilization?』というオニールの問いは、きっといつかスペースコロニーが大きな躍進を遂げた時に再度大注目されることになるだろうな。

The Visioneers: How a Group of Elite Scientists Pursued Space Colonies, Nanotechnologies, and a Limitless Future

The Visioneers: How a Group of Elite Scientists Pursued Space Colonies, Nanotechnologies, and a Limitless Future