基本読書

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マリアビートル (角川文庫) by 伊坂幸太郎

「あのさ」真莉亜がほとほと呆れた声を出した。「何がどうなっているのか分からないけどさ、どういう新幹線なの。トラブルばっかりじゃない。」

これは…………素晴らしかった!! いろんなところで偶然が左右し、プロット的にもサービスなのかなんなのか、おさまりが悪い部分がある。どうにも納得出来ないところだってある。といろいろ気に食わないところがあるにもかかわらず、そうした不満がすべてぶっ飛ぶぐらい楽しい。プロットのおさまりのわるさは人物と場面ごとのディティールの面白さで完全に消え去ってしまうし、偶然の要素が強すぎるのはその後に訪れる最高の場面によって帳消しどころかプラスになって返ってくる。

なんてったって、「殺し屋」が「新幹線」という密室に乗りあわせて、そいつらがお互いにお互いの目的のために潰し合う物語なのだ。狭い閉鎖環境下での殺し屋同士のバトル! リアリティなんかぜんぜんない! 理想を新幹線の中に詰め込んだ一冊で、緊迫感みなぎる、あらゆる場面がは極上のご褒美のようにさえ思える。エンターテイメント性という意味では、いままで読んだ伊坂幸太郎作品の中で最大級に楽しませてもらった!

あらすじについて

元殺し屋。人殺しをなんとも思わない、頭だけはよくまわり、自分の年齢を利用し他人をコントロールすることが生き甲斐の腐れ中学生。ベテランで妙なこだわりを持っている腕利きの殺し屋二人組。極端に運が悪く、さりとて追い詰められたときに飛ぶてんとう虫のように能力を突如発揮させる主人公気質な殺し屋、そしてその相棒でありおちゃらけた仲介屋である真莉亜。業界ではもっとも畏れられている裏稼業のドン。顔どころか性別、人数すらも知られていない「スズメバチ」という名の殺し屋──。

そんなやつらが一同に新幹線で介していて、しかもこれは新幹線からまったく出ずに進行する。そんなやつらが集まっているのにも、当然ながらそれなりの理由がある。全員が同じ理由で集まっているわけではない。二人組の殺し屋はドンの息子と身代金のトランクをドンに運ぶのが目的で新幹線に乗っている。運の悪い男とその相棒は、中身も経緯も知らずに金の入ったトランクを持ってとっとと新幹線からの脱出を狙っている。

中学生は元殺し屋を脅しつけ、自身の目的のために新幹線にのっている。スズメバチはなにもかも不明だ。乗っているのかどうかすら、実在しているのかどうかすらわからない。各々の思惑はまったくもって異なるが、一組が動けば別の組に影響を与え、その影響がどんどん雪だるま式にふくれあがっていき、問題はカオスへの一途をたどる。状況はどんどん複雑化し、こんがらがり、絶望的になっていくがそれと比例して生き残りの数も減っていく。

凝縮されたエンタメ性

相手の思惑も能力も目的もわからない密室環境下。この新幹線の中に「どんな危険なやつがいるのか」をまず知らなければいけないし、「なぜ」いるのかを思考する必要がある。それを把握したら自分の目的を有利にするための「騙し合い」「読み合い」がはじまり、いよいよ避けがたいとなれば「戦闘」がはじまり、そして最終的には生きて「脱出」するための脱出劇であり、ありとあらゆるエンターテイメントの要素が「新幹線」の中にぶちこまれている。

その少し前の時間、王子のいる七号車に来る手前でのことだ。五号車を出たところで檸檬が、「仙台まであと三十分しかないぜ」と腕時計を見た。デッキのところで立ち止まる。
「眼鏡君は、三十分もある、と言っていたけどな」蜜柑は言う。

同じ列車の中で、同じ時間を過ごしているのに、立場と目的が違えば時間の感覚も異なってくる。追う者、追われる物の立場はめまぐるしく入れ替わり、敵だと思っていた奴と共闘し、味方だと思っていたら狂い出し、目的はころころとうつりかわっていく。新幹線といえども時々はとまる。そのたびごとにあらたな殺し屋の登場、状況を一変させるような外部からの圧力が加わり、刻一刻と移り変わっていく状況が混沌を加速させていく。

まさに冒頭で引用した真莉亜の言葉通り、「トラブルばっかり」だ。それでも渦中にいる「プロフェッショナルな」殺し屋たちはまったく引くことなく自分の目的に突き進んでいく。その衝突が最高にエキサイティングなのだ!

プロフェッショナル同士の物語

僕は「プロフェッショナル」の物語が好きだ。素人でも考えつきそうなミスをおかして死んでいく殺し屋や、明白な弱点がありそこをつかれてやられていく奴らなんかみたくない。

僕はプロフェッショナル同士がぶつかりあう物語が大好きだ。どちらも最善の手を打ち続ける。お互いがお互いに考えうる最高の手を打って、ポカなどでどちらかが負けるようなことがあってはならない。それでこそ、両者が出会った時に、いったいどんなことが起こるのかという興奮につながるんだ。本作に出てくる殺し屋たちは慌てず騒がず、ピンチにあっても冷静さを崩すことはない。生き残りをかけて常に最善手を放ち、準備を怠らない。まさにその「プロフェッショナル」な殺し屋としての流儀をみせてくれる。

そして実際に殺し屋なんかを見たことがないからこそ、物語の中で殺し屋が出てくるんだったら、どんなことにこだわっているのか、どんなふうに準備するのか、どんなふうに予備の手を打っていくのか、逃走手段を用意するのか、そういった詳細な手順が読みたいのだ。そうした詳細な点をいかにして構築していくのか、といった点で伊坂幸太郎の人物造形にはいつも驚かされる。普通じゃ考えつかないような癖を描写してみせたりするのだ。でもそれが妙にありそうな癖のようにも思えて、うそ臭い人間が一挙に本物らしさを帯びる。

「蜜柑」と「檸檬」と果物の名前をもった二人組の殺し屋が特に素晴らしかった。もうこの二人のディティールだけで興奮がとまらない。檸檬はなんでも機関車トーマスにたとえて話す。機関車トーマスのことならなんでも知っている。『「蜜柑、前にも教えただろうが。ドナルドとダグラスは、双子の黒い蒸気機関車だ。丁寧な言葉で喋るんだぜ。おやおや、これはヘンリーではありませんか、とか言ってな。あの口調は好感が持てる。ぐっと来るよな」』

一方蜜柑は文学を愛する男だが、普段から引用の多い男だ。特に感情がたかぶってくると過去に読んだ名作から手当たり次第に引用をしはじめる。『「ウルフの、『灯台へ』に、スズメバチスプーンで殺したって文章が出てくる」「スプーンで? どうやったんだよ」「俺も毎回、読む度にその一文がきになるんだ。いったい、どうやって殺したんだろうな」』トーマス含めて、どちらもなんでもないような会話だ。でもこのやりとり、なかなか発想できそうにない、実に細かいところをついてくる。

この二人が暗号について交わすやりとりが素晴らしい。誰だっていつかは死ぬ、その時はヒントを残せ、という会話のあとのやりとりだ。

「分かった。もし、万が一俺が殺されそうになったらな、おまえにはちゃんとメッセージを残すように、努力する」
「犯人の名前を血で書く時は、ずばり、分かりやすく、書けよ。イニシャルとかなぞなぞみてえなやつじゃなくてな」
「血で書いたりはしない。そうだな、もし、その犯人と喋る余裕があったら、伝言を頼んでおく。というのはどうだ」蜜柑は少し考えた後に言った。
「伝言?」
「その犯人が気になるようなことを、言い残すんだ。たとえば、『檸檬に伝えてくれ。おまえの探していた鍵は、東京駅の荷物預かり所にある、と』とかな」
「俺は鍵なんて捜していない」
「なんでもいいんだ。その伝言を頼まれた奴が、興味を持ちそうなことを、言う。もしかするとそいつがいずれ、おまえに素知らぬ顔をして、こう言うかもしれない。『鍵を探していますか?』もしくは、東京駅の荷物預かり所に、ぶらりと現れるかもしれない」

もちろんこれは伏線のひとつである。それがどう機能するかはここには書かない。しかし本作にはそういう「もし万が一こうなったらこうしよう」あるいは「こうなってくれたらラッキーだからこうしよう」という殺し屋たちの細かい知恵がたくさん含まれている。たとえば狭い新幹線内だ。仮に追っかけあいになったときに、逃れる場所なんてトイレぐらいしかないと思うかもしれない。しかしその可能性を、傘を広げたり飲むかもしれないペットボトルに睡眠薬を入れたり、寝ている男の顔に雑誌をかぶせてみたり、足元に紐を張ってみたりとあらゆる手管で拡張しようと試みる。

実によく練りこまれていて楽しい。そういう意味で言うと、タイトルの元にもなっている運の悪いてんとう虫君がやはりこの「用意周到さ」でもトップだろう。運が悪い男だ。様々な不運が彼にはふりかかる。でもだからこそ彼は、自分の不運に備えて最善の準備をする。これは抽象論だけれども、プロほど確実、絶対安全な、失敗の少ない手段でやろうとするものだ。あらゆる不安要素があったらできるだけ潰しておく。アマチュアほど技巧にこったり、あるいは「予測される事態」への対処がおざなりになる。「長く続けられる人間」と「長く続けられない人間」の違いは、たぶんそうした地道なところにあるのだと思う。

まとめ

新幹線という密室環境下で繰り広げられる心理戦、推理合戦、殺し合い、騙し合い、脱出劇のエンタメ要素極盛小説である。プロフェッショナル同士の衝突は、どっちが勝つか、誰が目的を遂げるのかがまったくわからない不確実性に満ちていて、めちゃくちゃ刺激的だ。プロフェッショナルな殺し屋同士の物語という意味で、ジョジョ第五部を新幹線の中に凝縮させたような感じ。「え、殺し屋の話? ばかじゃないの?」なんて思わない人に対してなら、ちょっとこれ以上のエンタメ小説は思いつかないので、オススメいたします。