読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

魔術から数学へ by 森毅

森博嗣全シリーズレビュー 科学ノンフィクション

森博嗣さんの『キウイγは時計仕掛け』という作品における引用本。元々は『計算のいらない数学入門』という題名だったそうだが、こちらの題名の方がよりピントがあっていると思う。いわく説明のつけがたい本で、一言でまとめられそうもないのだが数学エッセイ集のようなものとでもいっておこうか。解説では科学思想の歴史の本だ、といっている。ただメインテーマはちゃんとあって、科学と神学が渾然一体となっていた時代から科学(数学)を考えることで、数学とはそもそもいったいなんだったのか、どういうところからうまれ、成長してきたのかといったこを捉え直していく。

まあ、とにかく語り口が軽妙で、かといって語っている内容が薄いのではなくずっしりつまっている。なのにそれが極々手軽に渡される。たとえ意味がよくわからなかったとしても、数学が世界を切り分けていく様が、そして数学が如何に混沌とした場所から生まれてきたのかが感じられるはずだ。文章に詩情すら感じられるので数学なんかまるで興味ない人間でも楽しく読めるだろう。それぐらい文章として、語り口として素晴らしい物がある。

思考は軽妙であっちへ飛びこっちへ飛び、広い見識があらゆる内容から読み取れるのに、おごるどころか「神学には暗い」「ここはわからん」「あそこもよくわからん」とあっさりと「わからない」「よくしらない」と書いてみせる。ある意味無責任な態度といえなくもないのかもしれないが、ほんの200ページ足らずの文庫本なのだが全編を通してその自由さに圧倒された。ああ、なんというか、思考の自由さというのはまさにこんなようなことを言うのだなと、その実例を見せつけられる気分になる。これは名著だ。

森博嗣さんの帯コメントがまた秀逸だった。引用など許されないであろうけれども、この内容が、帯に記載されたまま、いずれ消えてしまうと思うとあまりに惜しいのでひそかにここに残しておく。そう、森毅先生はロマンを語ることができる人というのが一番しっくりくる。ロマンを語ることができる人というのはつまり、「わからない」を語れる人、自分が見ている方を他人にも目を向けさせることが出来る人なのだと思う。

数学者という稀な人種は、例外なくロマンチストだ。そして、そのロマンを人には語らない。多くの人は数学が難しいものだと目を背けている。たぶん、美しすぎて、眩しすぎるからだろう。数学は星空のようなもので、生活からは程遠い。でも、それを眺め、美しいと感じるのは人間だけだ。森毅先生は、そのロマンを語ることが出来る数学者で、それは本当の意味での「数学の先生」だった。先生の講義を聴くことはもうできなくなったけれど、先生の素晴らしい優しさが、これを読めばわかる。

本書で捉え直していくのは、対数や微分積分、運動法則や引力の法則といったものについても、どれも「それが産まれた当時の日常の世界観」の中から生まれてきたのだというある意味当たり前の事実である。宗教的な世界観の中に、対抗勢力として「科学」が出てきたのではない。どんなに素晴らしく進捗的な数学的躍進、発想も、すべては数学者達の日常の世界、魔女も占星術も錬金術も栄華を誇っている中で科学的な考え方が育っていくという混沌とした、猥雑とした日常から生まれてきたものなのだ、ということ。

今の教科書に載っているようなキレイ事もまた、宗教や錬金術といったあやしげなものから発想を経てつくられていただろう。もちろんニュートンやライプニッツやケプラーやガリレオやといっためんめんが、宗教や錬金術から何を学んだのかはわからないことではあるけれども。このように混沌とした17世紀時代への森毅先生の視線が、またすごい。

19世紀以降の専門下大勢の科学者は「真実」を語ることを強制されている。と言ってのける。17世紀の科学者は、むしろ多くの誤りを述べていた、と。9割が虚偽としてあげられる中で1割の真理が姿を現してきたのが17世紀という時代だった。

よくわかっている人間がいると、「ああじゃあその人に聞けばいいや」となってしまう。「制度」が生まれるわけだが、混沌とした時代にはそんな制度なんてものがない。必然わいわいがやがや、あれはどうだこれはどうだと大勢が好き勝手にわめきちらしたり適当なことをやったりする。そこでは多くの失敗がうまれるだろうが、またそうした猥雑な状況だからこそ生まれる活気と発見、発想があるはずである。

 それに、現代の秩序から、たとえばデカルトの世界を嘲笑することは、さらに愚かなことである。<世界>が、高校の教科書にあるようにだけ把握されることが、正しいとはだれも保証できない。事実、現代の物理学者だって、デカルトの<渦>の世界から、なにかの発想を見いだそうとするという。
 <数>にしても、数直線のイメージが絶対によいものかどうか、わからない。ときに、数直線のイメージを否定した<数>を考えなければならないのではないか、と思える場面に出あうこともある。数直線というのは、あの<石と砂>の矛盾、数学用語でいえば離散と連続の矛盾を、うまく解決しすぎているのかもしれない。
 たとえば千年後の人間は、いまとまったく違った数学的世界像を持つかもしれない。それは、だれにもわからない。

もう、この引用部とか、読んでてぶるぶる震えがくるぐらいすごい。発想の飛躍、自由さが桁外れている。時間も、今までの常識も疑うというよりかは、あらゆることを不確定にしてみせる。それでいてその姿勢は単なる回顧ではないのだよね。未来へと続いている。実際そのことがいちばん、森毅先生が見ている先を一瞬感じさせてくれる。

 たしかに、十七世紀という時代は、そうした日常から<数学>を誕生させるほどに、その発想を活性化した。しかし現代だって、十七世紀ほどではないにしても、混沌に向けて心をひらいているかぎり、<数学の青春>の心が、ときにはもどってきてくれないか、ぼくにはそうした思いがあるのだ。

魔術から数学へ (講談社学術文庫)

魔術から数学へ (講談社学術文庫)