基本読書

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坂口恭平 躁鬱日記 (シリーズ ケアをひらく)

まさにそのまんま、日記だ。ただし思考都市 坂口恭平 Drawings 1999-2012 by 坂口恭平 - 基本読書 や独立国家のつくり方 - 基本読書突然失業してもこれさえ持っていれば生きていける!!──『ゼロから始める都市型狩猟採集生活/坂口恭平』 - 基本読書 でその特殊な才能を存分に発揮してきた坂口恭平さんの、日記。

僕は日記が好きなので楽しく読んだ。もちろん普通の、文を金に変換するような魔法を使わない普通の人たちの日記はなんにも面白くはない。しかし日常生活を送る上で視線をあえてズラし、人と異なった価値を発見することの出来る日記は、エッセイとしてすごく面白い分野だ。たとえば森博嗣さんの一連の日記シリーズのように。森博嗣ファンだけど初期の日記シリーズを読んでいない人にお勧めする - 基本読書 ただ近所を散歩したこと、木々が日々の中で成長していくこと、子供との何気ない会話の中からの気が付き、そういったことすべてが発見に満ちている。

坂口恭平さんの視点はまた独特で、道端でひげをそっているひとをみかけたらたとえ4歳の子供を連れていても「外でひげそりをしているおっちゃんがいたら、たいてい面白い人だから俺は話しかけるんだ」といって果敢に攻めこんでいく。視点が違うということもあるが、自分から求めにいく行動力が違う面もあるのだろう。ほとんどの人がとらない行動をとった場合の結果は当然ながら、殆どの人が観たことのない結果になる。だからこそそうした結果は面白いのだ。

また彼の視点をズラしているのは、タイトルにも現れているように躁鬱的な気質が原因だろう。僕は精神疾患について詳しくないので一般的な症状がどのようなものなのかわからないが、坂口恭平さんの場合は鬱期と躁期は割合毎月期日どおりにくるらしい。躁状態のときは仕事もうまくいって家族もみな元気で不自由なく暮らしていることに感謝し、仕事も娘の送り迎えもできるのだが鬱状態になると何もできなくなってしまう。

それどころか万事絶好調な自分がいると理性では判断できても、それを実感のレベルにまで落とし込めずにその乖離に突然苦しんでいる様子がずっと日記として描かれていく。理性ではわかっていても、自分が幸福であると納得出来ないその葛藤が読んでいてつらい。そのまるで異なった二人の筆致で日記が進んでいくのでまるで二人の人間が書いているように錯覚する。それぐらい鬱状態と躁状態の筆致が違うのだ。でもそれが別々の視点となって現実を交互に捉えていく。

本書は2013年4月から7月の期間の日記であり、ごくごく短い瞬間を切り取ったものだ。毎日のように子供を幼稚園へと自転車で送り届けていく。そして娘が幼稚園に行っている間に、原稿をがりがりと書く。ほとんど変わらない日常なのだが、子供とのふれあいの仕方、自分のさらけ出し方、子供からの学び方、嫁からの学び方をたくさん吸い上げていく。子育て記としても読めるし、嫁といかにして付き合っていくのかといった記録としても読める。そして何より不安定な自分を制御しつつ現実を生き抜いていく記録として。

言動はしょっちゅう破綻しており、絶対に近くにはいたくないと思うようなタイプの人間なのだが、その彼のまわりを支えている人たちはみな優しい。いやあ、運がよかったねえ坂口恭平さん、と肩を叩きたくなってしまうようなかんじだ。躁鬱が交互にやってきて、すぐに死にたい絶望だと書いたり未来に希望が溢れているかのように書いたりする破綻っぷりだが、ぐらぐらとあやういラインを揺れ動きながら前へと進んでいく日々が、読んでいてとても楽しかった。

もっともほとんど同じことの繰り返しで7割ぐらい読んだところで飽きちゃったけど。でも本としては満足。

坂口恭平 躁鬱日記 (シリーズ ケアをひらく)

坂口恭平 躁鬱日記 (シリーズ ケアをひらく)