基本読書

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SF奇書コレクション (キー・ライブラリー) by 北原尚彦

 世の中にはどうにも理解できない衝動に突き動かされている人がいて、そういう人達の行動は自分にはよく理解できないだけに別の生態系をみているように面白かったりする。本書の著者である北原尚彦さんはSF古書コレクターという点で僕には理解できない情熱を持って行動しているので、その周囲に存在しているコレクターまで含めて生態が面白かった。本書の大部分は北原尚彦さんが本を探しまわる過程と、その探し当てた本が実際どのような本なのかの簡単な紹介で成り立っている。

 僕は本を読むのが好きだし、その中でも特にSFというジャンルに特別な愛着を感じている。それは「SFでなければダメだ」とかいうものでもなく、「SFに好きな物が多い」からにすぎない。だから「珍しいSF」なんてものに興味はないわけだ。「珍しく、伝説的に面白いSF」だったら読みたいが、ただ珍しいだけなら読みたいとは思わない。コレクターなんてみんな「それ自体への価値」がどうこうよりも「揃っていること」「お目当てのものを集めることそれ自体に価値をおく」と一般化もできそうだが、北原尚彦さんは「面白いとかつまらない」といった価値判断でコレクション対象を選んでない。コレクションの判断基準にあるのは「SFかソレ以外か」「珍しいか珍しくないか(奇書か奇書でないか)」であり、ただ単に珍しい古書ではなく、「SFで珍しい本」、通常のルートではてにはいらないような本を探している。

 だからSFで珍しいものであれば自費出版の本も買い漁るし、たとえとてつもなくつまらなそうであっても奇書であれば探しに行く。古本市に出かけていって見たことがなくSFっぽいものがあればとりあえず中身を確認してみたり、長年追い求めていたものが実はSFじゃなかったらがっかりする。「SFであることそれ自体に価値がある」そうか、そういう考え方もあるんだなあ。古書コレクターには、古書コレクターなりの独自な文化と、集める目的と、収集ルールと、コミュニティがあるものだ。

 そうした古書コレクターなりの価値観、持っている文化には普段接近しないので面白いものばかりだ。たとえば古本者をやっていて、されて困る質問があるという。「探求している本があったら教えて下さい」という質問らしい。僕なんかはこれを最初に読んだ時「相手が古本者だったら話が展開しやすそうで、いい質問に思えるけどなあ」と思っていたが、「教えることによって「ああそれなら持ってるけど、北原尚彦が欲しがるような本なら、自分も欲しい」となる場合もあるからだ」ということで困る質問のようだ。

 そうか、そんな展開がありえるのか。でもそう考えるとコレクター同士が会った時にでも気安く今自分が何を探しているのかとか、漏らせないだろう。なかなか気のおける関係性だ。実際第22回では著者自身が横田氏が探している『三代の科学』の話をきいて読みたくてたまらなくなり、古本市で見つけ出して買ってしまっている。「欲しがっている人(しかも情報源)がいるんだから、譲ってやりなさいよ」と思うのだが同じく古書コレクターだけに見つけるのに苦労したし自分も欲しい! と思ってしまうものらしい。おいおい、ひどいな!

 この時は他のレアSF二冊と引き換えに交換、ということになったエピソードがその後語られるが、なんだか恐ろしい、業の深い性分だなと思う次第である。もっとも交換することによって目的を達成できたり、古本市で「やあやあどうも、そういえばあんなものがありましたよ」と情報交換できたり、なんだかとっても楽しそうな側面もある。僕がコレクターになる未来はたぶんこないだろうが、まだ見ぬSFを求めて面白かろうがつまらなかろうが古本市場を駆け巡る彼らは、横から見ている分には楽しそうな人達だ。

 ちょっとだけ残念なのは、奇書のあらすじ紹介をしてくれるのだがそのほとんどはオチまで書いていないことだろうか。「(読者がいつか)読むかもしれないから」といっているが、いや、そんな奇書ばかりなんだからたぶん殆どの人は読まない(読めない)と思います! なんだかオチが気になって仕方がなくなってしまった。

SF奇書コレクション (キー・ライブラリー)

SF奇書コレクション (キー・ライブラリー)