基本読書

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脳科学は人格を変えられるか? by エレーヌフォックス

原題がRainy Brain, Sunny Brainなのでまた大きく書名を変えたものだが、本書の中心的な主題は「なぜ悲観的な性格と楽観的な性格があるのだろう」「どのような要因でこうした性格が決定づけられているのか」「こうした性質は変更することができるのだろうか」とそれぞれ問いかけを続けていく形式なので、日本語書名もそう間違っているわけではない。既存の一般向け脳科学本の総集編みたいな内容だけど面白い。エピジェネティクスや双子実験等の遺伝子関連の話題や神経科学も説明の中に取り込んでいるところは珍しいか。

自分が自分をどの程度コントロール可能なのかというのは、誰にとっても主要なテーマになり得ると思う。なぜならある問題にぶつかった時に、それが「自分自身でコントロール可能な問題なのか」あるいは「自分ではどうにもならなかった問題なのか」という問題カテゴリの切り分けによって対処法もまた変わってくるからだ。たとえばテストでいい点がとれなかったことを「不運だ」と嘆くのはバカげている。勉強すれば基本的に点数は向上するものであり、不運だと運のせいにしたら永遠に状況は改善されない。逆に宝くじみたいな完全に運でしかないことを「自分の努力次第でなんとかできる」と思い込み幸運アップのお守りを買い漁るといったことも完全に無駄であるから、これも問題の切り分けに失敗しているといえる。

実際にはこうした極端にわかりやすい倒錯の事例はあまりない。たとえば就活に何度も失敗して、単なる相手の企業が欲しい人材とマッチしていないせいで断られていただけなのに、他の部分では適正があることを知らぬまま「自分には価値がないんだ……」と落ち込んだり、と複雑に展開していくものだし、実際どこまでがどうしようもないことで、どこからがコントロール可能だったのかというのはわからない部分が多い。カート・ヴォネガットの小説『スローターハウス5』にはこんな一節が出てくるほどだ。

神よ 願わくばわたしに、変えることのできない物事を受け入れる落ち着きと、変えることのできる物事を変える勇気と、その違いを常に見分ける知恵とをさずけたまえ

たとえば本書でも少しだけ紹介されている双子実験、一卵性双生児で、産まれてすぐに別々の環境で育てられた子供の能力や性格、持病、知能がかなり高いの相関を示す。つまり「環境」以外の遺伝子の面で共通する能力があると予測できる。現代社会は基本的に「努力すれば我々は自分の望む結果を手に入れることができる」という機会平等が前提となっているが、そもそも遺伝子の違いや生育環境により努力できるかどうかといったことまで決定されてしまっているのであれば、産まれた時点で格差が存在していることになる。こうした事実は現代社会においては「認めたくない事実」として扱われるだろう。だって社会の前提がガラガラと壊れちゃうんだもの。

話を最後までつきつめれば、努力できない低IQ傾向のある恵まれない遺伝子を持って産まれた人にはあらかじめ補助金を出しましょうみたいな話にいくしかない。そんなバカなと思うかもしれないが今だって身体的なハンデをおっているひとには税金が投入されているんだから、自然な結論だろう。そう考えていくと我々に真の意味でコントロール可能な領域は多くは残されていないのかもしれない。それでも一卵性双生児の人間がまるっきり同じ人間になるわけではないのと同様、環境要因は確実にあるのであり、問題はそれがどれぐらい存在していて、我々は自分の人生をどれぐらい思い通りにできるのかという話になる。

本書はそうした点を主に「楽観主義」と「悲観主義」にもとづいてみていくことはすでに書いたとおり。注意しておきたいのは別に楽観主義なのが無条件にいいことなのではないし、悲観主義なことが悪いわけではないということ。根拠の無い楽観主義者は何度でも無様に失敗するだろうし、現実を見据えた上で悲観的になるのはまったく正しいことのようにも思える。しかし絶望の中にも希望を見出し、常に明るく振る舞うことのできる利益もあるわけで、本書は基本的には「現実的な楽観主義者」を良いものとして扱おうとしているようだ(過程だけ読むとそうとしか読めないが、結論だけちょっと違う)。しかし、その両者はどのようにして分かれているのだろうか。

たとえばこんな実験結果がある。理由はまだ十分にわかっているわけではないが、美しい夕焼けや美味しそうなチョコレートの画像をみたときに、脳の左半分のニューロンは左半分のニューロンよりずっと活発に発火しはじめる。安静にした状態でも、楽観的な人の脳の左半分は、悲観的な人の脳の左半分よりずっと活動している。左側の活発度が高い人のほうが報奨に進んで接近するか否かの積極度が高い。

こうした状況を踏まえた上で物事を前向きに解釈する訓練を行うと個人の生来の傾向はくつがえっていく、位置記憶の訓練によってタクシーの運転手の海馬が肥大したり、体の細かい動きをつかさどる領域が音楽の訓練によって肥大する、瞑想の訓練時間によって精神の安定度に違いがでるなど訓練次第で変更可能な部分にスポットをあてていく。いくつもの事例が紹介されるが、まだどの実験もほんの入口なんだなあと思わせられる。よくわからないことが多いというか、本書でもちらっと紹介されるエピジェネティクス⇒エピゲノムと生命 (ブルーバックス) by 太田邦史 - 基本読書 を筆頭に、遺伝子以外の部分で決定される人間の可変性の部分についてはちょこちょことした単発の実験、瞑想の話もタクシーの話も実際にはもう何年も前の脳科学本で既出の話だし、既存の知見を元に霧の中を手探りで進んでちょっとずつちょっとずつ脳の仕組みが明らかになっているような感じ。

まだ歴史の浅い分野ということもあるし、人間の根幹部分に関わるので大規模な実験がしづらいということもあるのだろう。何にせよ現時点では非常によくまとまっている事例集といった感じで、「脳科学は人格を変えられるか?」というあおり気味のタイトルに対する明確な答えなど出ようはずもないが、その片鱗ぐらいはわかるような内容になっている。

脳科学は人格を変えられるか?

脳科学は人格を変えられるか?