基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

狼少女たちの聖ルーシー寮 by カレンラッセル

大人になったとしても、みな子供の時の原初的な恐怖みたいなものを覚えているものではないだろうか。僕の場合は両親が喧嘩をしているのを見る度に「この二人は離婚するのではないか」「その場合自分はどうしたらいいのか」とずっと考えていたことを覚えているし、もっと小さい頃でいえば絵本の「おしいれのぼうけん」という、押入れにとじこめられてその中で恐ろしいことがいろいろ起こる話(それ以上のことを思い出せない)が異常に怖くて、自分の家の押入れが開けられなくなったことを覚えている。

いまこうして思い返してみると押入れにとじこめられてしまうことの何がそんなに怖かったのかよくわからないが(今よりもっといろんなファンタジックなことが現実に存在していると信じている、想像力豊かだったというのはあれど)、結局いろいろな恐怖の根源は「自分はとても弱っちい存在である」というところからくるようなものだったように思う。

弱っちい、自分ひとりだけでは生きていけない存在だから庇護者である両親の意向を常に気遣っていたし、外部からの攻撃によって自分の自由が奪われることを極端に恐れていた。今でこそ押入れに入れられそうになったら、暴れまわって抵抗すればいいだけだが、小さく力弱い時はそんなことすらできないし、自分で金が稼げるように慣れば親にどう思われようが反抗して生きていくことができるが子供の時は親に捨てられたら生きていくことができない。他者にコントロール権を奪われた状態がずっと怖かった。

これはまあ僕の場合だが、人それぞれ子供時代の恐怖を抱えているものではないだろうか。何も無駄話的に自分語りをしていたわけではなく、カレン・ラッセルが書く少年少女たちは僕が子供の頃に抱いていたような原初的な不安や恐れを常に感じており、そうした不安はただありのままに描写されるのではなく、イェティの母親、狼人間として生まれた少女たち、父親が老年のミノタウロスの少年といったファンタジックな世界観でメタファーとしてより強調され、わかりやすく寄り添って描かれていく。

無力で弱く、他者に嫌われたくない、否定されたくない、捨てられたくない、友人コミュニティから仲間はずれにされないか不安で、わけもよくわからず焦っている、自分にはどうしようもできない外部の力がけによって自分の世界がいともたやすく砕け散ってしまう──。本作は明確でわかりやすいオチに到達する短編はあまりない(たとえば遭難する話があったとして、どこかにたどり着くみたいなオチ)。それは幼少時の不安感が突如なくなるものではなく、だんだんとまるで吸着力のなくなっていくテープのように消え去っていくものだからかもしれない。

加えて特徴的なのはその描写で、比喩表現の多い非常に高カロリーな、ただしサクっと食べれてしまうチョコレートのような文章だと思う。比喩が多いだけならまだしも、そうした状況自体比喩的に形作られているので、余計にそう思う。最初読み慣れないと驚いたり、読みにくかったりするかもしれない。ただ我慢しなくてもいいから、適当に読み飛ばしてでも読んでいくと次第にそうした文体になじんでくると思う。そしていったん馴染んだら、この文体が癖になってくるはずだ。そうはいってもどんな文章なのか? 

下記に引用するのは巨大な巻き貝、それこそ家ぐらいある巻き貝もある世界の短編。家ぐらいデカイので当然中に入っていけるのだが観覧時間が終わった後にもうなんか人間関係はうまくいかないしいろんなことがうまくいかないしー!! と忍び込んだ女子生徒が入り込んでしまって出られなくなっているところに巻き貝園バイトの少年がたまたま見つけてくれるのだが一緒に閉じ込められて……。

 ビッグ・レッドが目を開けると、影の長いあごがすでに貝殻を覆っていた。外では、潮が満ちてきている。目に見えない海水の泡だった流れが少女の耳に打ち寄せる。ビッグ・レッドは左右の肩を揺らしながら踊るように巻き貝の後ろまでいくと、こぶし大の隙間から望遠鏡みたいに覗いた。目に見える空は紫色で、星星が無数に打ちつけられている。稲妻がヤシの葉を舐める。巻き貝全体が雨の予感でハミングしていた。

こうした文章が一球入魂の必殺技のように書かれているのではなく、これがカレン・ラッセルの通常攻撃なのだ。

濃密な描写、それによって喚起される不安感や理不尽さに対するいらつきは自分の子供時代を思い起こす人もいるだろうし、いま息子や娘がいる人はそうした心情を今自分のものとして追体験することができるんじゃないだろうか。いやあ、ほんとおとなになるまで生き延びられてよかったと実感したなあ。訳者解説を読むと思春期の少年少女を主人公にした物語を書く理由は「思春期は、私にとってまだ生い茂った緑の土地であり、常に戻りたいと思っていた場所だからかもしれません」と話しているらしいが、思春期は僕にとってはもう二度と戻りたくない場所でもある。

子供は自由だとかいうけど、大人って、自分の命は自分で守らないといけないし働くことだって必要になってくるが、でもその為の判断は基本的に自分でできるんだから、ずっと自由だと思う。こうやって物語を読んで過去を思い返すとほっとするもんな。

狼少女たちの聖ルーシー寮

狼少女たちの聖ルーシー寮