読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

Invisible Beasts by Sharona Muir

洋書 SF

いんびじぶるびーすつ。目に見えない獣が人類を襲う──! 的なパニックサスペンスSFかとおもいきや見えない動物を見ることのできる目をもった女性が、生物学的な分析というよりかは、自分が観察してわかったことなどを体験談を交えて語っていくスタイルだった。分類や名前も語り手の女性が勝手につけたものが大半で、順繰りに「その辺によくいるいんびじぶるびーすつ」、「絶滅した、もしくは絶滅しかかっているいんびじぶるびーすつ」、「凄くレアないんびじぶるびーすつ」のように、基本的には珍しさによって章分けされ、一種ずつ語られていく。

これが世間一般的な感覚かどうかわからないのだが、僕はこういう架空生物史みたいなのが大好きだ(もちろん架空じゃない生物史も好きなんだけど)。「この動物はこういう生態を持っていて、こういう面白い特性があって、こんなことをするんですよ」とか語られるとキタキタキター!! オモシレー!! と興奮してしまう。架空生物とはいっても、「こいつは本当にいるかもしれないぞ」と思わせてくれるのが重要で、現実と地続きのところに存在していそうな感覚があるからこそこんなやつがいたらどうしようと想像が広がっていくのだ。

imaginary animalの語られ方

本作に出てくる動物は蜂にワニ、人類に蝶、輪虫に犬に蝙蝠とばらっばらな顔ぶれだが、それぞれの生態はほぼ現実の類似生物と共通しているか、それをほんのちょこっとアレンジされてイマジネーションをふくらませた形になっている。現実的な観察結果からはじまって、だんだんとこの世に存在しないオリジナリーな部分に空想が広がっていく、そのバランスが、かけはなれて非現実的なわけでもなく、面白みが失われてしまうほど現実的なわけでもなく、非常に面白いし技術的にウマいと思った。

たとえば蝶の説明なんかは、最初は3000マイルもの長距離航行をするGrand tour Butterflyとして紹介されるのだが、これはまったくオリジナルな設定ではなく現実にもオオカバマダラはカナダからメキシコまで4000キロ飛行したりするし、存在しない設定ではない。で、「なんだよ、そんなの現実にもいるぞ」と思いながら読んでいると、その蝶達は編隊時、外的に襲われないように三次元のイメージを描くようにして飛ぶなどという一歩想像を飛躍させるような話が出てきてうおおおおすげえええと読みながら興奮する。さっき書いた「あれそんなの現実にいるよなあ」から「うおおお確かにそんなやつがいてもおかしくないかもーーー」と思わせるこのちょっとした飛躍が素晴らしいのだ。

You can thank their unusual scaling. All butterflies have scales consisting of the flat, hard ends of tiny fibers, arranged like a mosaic. On Grand Tours, instead of a flat mosaic, the fiber ends stack up in a three- dimensional pattern, much like the patterns that produce the 3- D image in the corner of your credit card. Grand Tours, essentially, are flying holograms. This variety depends on aposematic patterning, i.e., colorful patterns that warn predators away. Most butterflies’ colors tell the predator, “You can’t eat me because I taste awful, may be poisonous, and you’re really not that desperate.” The Grand Tour’s travel pictures tell predators, “You can’t eat me because I’m far away in a foreign country.”

面白いのがこうしたBeastsの特性がただ紹介されるだけじゃなくて、語り手の体験談と紹介がシンクロしていくところだ。たとえば正直に話をする人の近くによってくるTruth Batと名付けられたこうもりがいるのだが、語り手の女性が妹に対して嘘をついた時に彼女の側からTruth batが消え去っていってしまう場面が、ショックと共に語られていく。特殊なこうもりの特性とドラマ的な部分が同時的に語られていて効率がいいというところもあるし、そもそも僕が、こういう個人の視点が感じられるエッセイ、体験記、観察記が大好きなのだ。

これについては読書原初体験、初めて自分で文字を積極的に摂取し始めたのが、シートン動物記やファーブル昆虫記だったことも関係しているような気がする。ファーブル昆虫記の面白さは、さすがに読んだ記憶が曖昧になっているけれども「身近なものを観察してそこから意味を引きずり出していく」ところにあったんじゃないかと思う。それは図鑑のようにデータ的ではなく、学術的な定義や文章で覆われているわけでもなく、ファーブル自身が昆虫をみて、観察していくある種の体験記になっている。

幼き日の自分が、昆虫がどのような機能と特性を持っているのかについて、わくわくして読んでいたことは間違いない。間違いないが、同時にファーブル自身の目線がそこには表現されていて、「どこに目を向け、どうやって情報を引き出すのか」、そして何より「わくわくして昆虫を観察するファーブル自身の興奮」にシンクロするように楽しんでいたんだと思う。本書の語り手は生物の専門家としてではなく、自分が動物たちとどのように関わってきて、自分がどのようにその特性を知ったかを中心に語っていく。そこにはやっぱりファーブルの時のような、「世界の真理を確かめていく」生々しい興奮が表現されていて、そこがまた面白かった。

本書一冊を通して、時系列的に何かの物語が進行していくというわけではない。あくまでもInvisible Beastsを通して、語り手の女性のエピソードがばらばらに語られていくだけだ。ただ一応、「Invisible Beasts」は結局何なのかといった部分の謎についてはちょっとずつ明かされていって、それがパズルのように組み上がっていって後半に盛り上がりを演出していくところはある。たとえばInvisible sharkの説明のところでは、誰にでも見える鮫と、見えない鮫が実は海では共生関係として一緒に存在していることが語られていく。

つまるところ我々の生活の中で、よくわからない現象は、実はInvisible Beastsの存在によって説明できるのでは? という仮説がその情報が明かされた時点でいろいろ浮かんでくる。たとえば人間が「魂」と呼称している部分、我々が意識と読んでいる部分もまた、Invisible Beastsとの共生関係によって、見えないもののそいつらが働いて我々を一緒に構成しているのではないか? 我々は目の前にあるコップをとろうとするときに、腕をどの角度で差し出してニューロンをどのように発火させて……などと考えない。Consciousnessは自分自身にあると感じているが、そこに至るThoughtを担当している存在がいるのでは? 

現に我々の身体は大量の微生物が巣食っており、すでにして共生関係にあるのだからInvisible Beastsがそうした共生関係に絡んでいたとしても不思議ではない。のちに紹介される「紙に印刷されたインクを食う輪虫」、こいつらがいるせいでインクがかすれていくんだよ! なんて話もあるし、こういう我々の生活に非常に身近な部分にInvisible Beastsが関わって、そしてそこら中に見えない生態系が我々の世界には存在しているかもしれない、と想像をふくらまされていくので、書かれている事以上に情報として広がっていく。

技術的にも文章としてかなりウマいし、構成として変則的な作品でもあるのでベテランが繰り出してきた一作かとおもいきや、著者のSharona Muirはこれが二作目(しかも純粋な小説作品としては一作絵)のほぼ新人作家だ。でもまあアマゾンの経歴を見る限りでは、彼女は今大学のクリエイティブライティングの授業を受け持っているProfessorだから、ウマさについてはある意味納得だったけど。『She is currently Professor of Creative Writing and English at Bowling Green State University.』*1

見えない動物を扱うことについて

そもそもなんでこんな「見えない動物」を現実に導入して作品にしようと思うのかといった発想部分が謎ではあったけど(それこそ現実に起こる不可解な事実を全部妖怪のせいとして回収した妖怪ウォッチ的な)、作中で語り手がいうところの“we need to see the beasts that we don’t see.” 私達は見ることの出来ない動物を見る必要がある。という言葉に象徴されているのかもしれない。

たとえば現実の生態系は直接的には見ることがほとんどない。蜂が花粉をせっせと運んで受粉の媒介になっているから様々な植物が育つわけだけど、そうした「関係性」として、広い視野ではなかなかみれないものだ。そして生態系がなくなったあとであそこはクリティカルな部分だったんだと事後的に気がつく。つまり、目に見えない生態系の比喩的な存在として、Invisible Beastsが設定されているところはあるのかもしれない……とかなんとか「俺の読みはすげえぜ」的に書いたがこれ、単にインタビュー記事を読んで書いてあったことを汲み取って書いただけだったりする *2

この他にもいろいろと面白いことを語っており、たとえば現実との地続き感については現実の生物学者と話して、インターネットで漁ってきた奇妙な事実を元に考えてイマジナリーアニマルを考えて言ってみると、大抵の場合「それはいるよ!」と返ってきたという話などもおもしろい。

Invisible Beasts began as a game played with some biologist friends. I would glean a few odd facts from the Internet, and then invent an imaginary animal based on them. I would then describe the imaginary animals to the biologists. Typically, they would reply, “Oh yes, there’s a creature that does that.”

うーんそうなんだよね。現実の動物ってそれ自体すでに「嘘だろ」と言いたくなるような不可思議な性質を持ったヤツがいっぱいいる。だからこそ不可思議な架空生物をつくるのはバランスの面で難しい(あまりに突飛すぎると現実感がないし、現実的にすると似たようなのが既に存在しているし)けど本作のバランス感覚は生物学者の協力あってのものだったのか。

まとめ

長くなってきてしまったのでそろそろまとめに入るか。紹介しきれていないのだけど他にもいろいろと面白い要素がある。たとえば伝説上の生き物であるクラーケンも、本作ではInvisible Beastsとして紹介される。それは直接的に見れるわけではなく、死体の残骸などから存在していたと推測されるだけなのだが、そうした「この世にはすげえものがいるんだなあ」と思わせるわくわく感が本作最大の魅力だったと思う。そして嬉しいのは語り手の女性が、自分と一緒にそのわくわく感やドキドキ感を共有してくれることだ。

この世の摂理みたいなものに近づいていく時、ものすごい興奮を覚える。それは昆虫や動物の仕組みについて知った時も同様だけど、なんだろうな、シートン動物記やファーブル昆虫記を読んだ時の興奮は歳を経るごとにどんどん薄れていってしまったような気がする。それは自分自身に知識がついてきて、そうそう簡単には驚かなくなったということもあるだろうし、そこまでの想像力がなくなってしまった、衰えたこともあるのだと思う。

しかし本作において久しぶりにあの時の純粋に「動物って、昆虫ってすげー!」と目を輝かせて読んでいた時の楽しさが蘇ってきた。本作は現実の動物からのイマジネーションを飛躍させることでその興奮を達成させてくれている。久しぶりのSF良書であった。

Invisible Beasts

Invisible Beasts