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基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

セラピスト by 最相葉月

記事を書くかどうか結構悩んだ本(内的なブログに載せる基準に達しているか否かの判断)だったけれども、やっぱり面白かったから書くことにした。内容としては河合隼雄と中井久夫のカウンセリング界隈では有名な二人を主軸にして、箱庭療法やカウンセリングの歴史などを問いなおしていきましょうという感じ。著者自身も精神医学講座を受講し、中井久夫の風景構成法を直接受け、また中井にそれを試すという実地の体験談を合間合間に挟みながら、河合隼雄関係者へのインタビュー、箱庭療法の実施例、カウンセリングの歴史なども同時におっていく。

記事を書くかどうか迷ったのはやはり僕がこの分野について無知だからというのもある。一読して信頼できるかどうかがある程度わかる分野と違って、やはり精神医学系は難しい。僕がこれまで受けたことがないから実体験での点検ができないし、何より箱庭療法や風景構成法、一般的なカウンセリングがどのように患者に影響をあたえるのか(プラスであれマイナスであれ)が対照実験の方法などで明らかにされていくようなものでもないので、本書に出てくる言質がどの程度正しいのかさっぱりわからない。

一方で面白かったのはどこかといえば、それはやはり河合隼雄と中井久夫という二人の人間がどのようにして精神医学に向き合ってきたのか、手法(箱庭療法、風景構成法)もそこに至るに至った話も面白いところにある。ただこれも他の要素との兼ね合いで、面白さは出切っておらず、中途半端だ。カウンセリング全体の歴史や箱庭療法関係者へのインタビューは、必要な時に最低限必要な情報を義務的に入れましたといった感じでそこまで面白いものでもない。逐語録といった形で挿入される最相葉月さんと中井久夫さんとのカウンセリングのやりとりは最後に一応オチが待っていて、実際に風景構成法のカウンセリングがどうやって行われるのかもわかってなかなか面白い。こうして俯瞰してみると、構成としては歪な形である、

本書でメイントピックの一つとして扱われる箱庭療法がある。単純化していってしまえば部屋の中で自由におもちゃや区切りを使ってそこに自分なりの空間をつくりあげることを通じてセラピーに役立てられるもののことで、本書で紹介される河合隼雄の姿勢はクライエントが一人で作るのではなく、見守るカウンセラーがいて、そしてそこには基本的に「ここに山を置いたのは○○という意味だね」と内容を言語化して解釈しないことを常としている。夢分析などと比べると、夢のイメージを相手に伝えるときに言葉にしないと語れないが、一方で箱庭だと言葉にする必要がない分言葉にした時に削ぎ落とされるものが表現されるだろう的なことを言っている箱庭びいきの人間の話などもある。

まあ、読んでいてそれはそういうもんなのかもしれないなと思った。精神障害にも根本的に脳に障害のある人もいるわけで、一律に何でも治せるとかそんなご立派な技術であるはずがないが、とにかく数あるアプローチの一つではあるんだろう。もし自分が話せないほどの精神疾患になってしまった時にでもやってみたいと思ったが、そんな状態の時に主体的にそれを選択できるとはとても思えないな……。一方風景構成法は絵画療法の一つであり、画用紙とサインペンをわたして川、山のように特定のアイテムを順番に書いていってもらって心象風景を絵として表現していくプロセスになる。こっちも基本的には言葉で表現できない部分をなんとかして表現してもらおうという意図があるのだと思う。

こういった治療法の一つ一つが本当に何か効果を与えているのか、たとえば箱庭療法を試してよくなった事例でも「ただ話を聞いているだけでも効果としては変わらないんじゃないのか」みたいな疑問への解答は与えられない。そもそもそんな疑問を実験でどうにかできるのかもわからないが、本書が注目するのはいかにしてそれが実施され、現場の人間がどのように箱庭療法を捉えているかのインタビュー、また実例としての被験者エピソードの数々だ。僕自身は懐疑的に読んでいるが、でも河合隼雄さんの語りなどは(本からも講演からもたくさん引用される。)どこを切り取っても面白い。

河合 本当は、こういうのをつくった後でいろいろ話し合いをするとおもしろいんですが、それはものすごくむずかしいんです。あまり突っ込んであれこれ尋ねると、それがサジェスチョンになるわけです。そうすると、その人が次につくるときに、ぼくの意図が入りすぎてだめになるんです。だから、原則的にはぼくらはなるべく介入しないんです。その人が一回で終わる場合は別として、ずっと治療的に続いていくだろうと思う場合は、ほとんど何も言わないですね。
 よく学生たちにもいうんですけれども、われわれに一番大事なのは感心する才能ですね。「はあー」とか「うわー」とか、ともかく感心するんです。そうするとつくる気が出てきますから。それを、「これは何ですか」とか、「ここがあいてますね」なんて言うのは一番下手なやり方です。

河合隼雄さんは自分の講演の中で「真っ直ぐにきちんと逃げずに話を聞く」ということ、これがなかなか社会の中、家庭の中、会社の中、友人同士でも行われていないと言っている部分があるが、たしかに人の話をぐっと聞くことってあんまりないなーと。会社では会社の、家庭では家庭の、友人間でも、それぞれにそれぞれのロールがあるのであって、友人といるときの面は他の人間関係の中にいるときでは見せないし、また友人のカテゴライズでも変わってくる。関わる人間が多いばっかりに、他人に見せない面をコントロールすることが増えて、話せない部分などが分裂していくものなのかもしれない。

ただ僕なんかは特にそうだけど、考えていることのほとんどはブログに書いてしまっている。同じようにブログに書いている人だっているだろうし、Twitterに吐き出している人もいるだろう。それらは「仮想の聞いてくれる人」に向けているのであって、ある意味ではカウンセリングのようなものなのだと思う。それは結局言葉にして吐き出しているわけだから、箱庭療法的な効果は期待できないにしても、精神はそれで少しでもマシな方向を向くのだろうか。たとえばブログなんかでも「仮想の読者」を想定していればいいだけなのにアクセス解析を見て落ち込んで、読者を求めるばっかりに突飛な手段に出るとか極度に落ち込んで逆にうつ状態になったりとなれば、逆効果しかない。いろいろと難しいところだ。

本書をなんとかして紹介したいと思ったのは、本書が良い本だからというよりかはこれを読むことで本当の意味でカウンセリングの方向へ目を向けるきっかけになったということがある。学生時代も社会人時代も、僕の身の回りにも何人も精神疾患を患っていた人間がおり、対応に悩むというわけではないのだが、自分の態度をどこに置いたらいいのかを考えることも多い。僕は別に精神科医でもなんでもないが、しかし現実に身の回りに精神疾患の人間が多く存在し、またこれから鬱病などを発症するかもしれない人達と一緒に仕事をしたり、遊んだりする以上何らかの方針を立てたいとも思う。できれば悪化させずに、食い止められるのならば食い止めたいものだと。

著者が受けた精神医学講座は働きながら受講でき、単位取得も可能な制度だが、同じ講座にいたのは本職を塾と翻訳に持つ三十代の男性だったという。このきっかけが、塾よりもカウンセリングに行ったほうがいいのではないかと思うような子供が増えてきたことからだというし、研究科長も「今年から明らかに学生が変わった。みんながみんな、カウンセラーにならなくてもいい。それぞれの場所に戻って活かしてもらえればいいと思う」と語っているそうだ。何が言いたいのかというと、カウンセリング的な要素が必要なのは今や専門家としての「精神科医」から枠を超えて広がっている。「ただ話を聞く」っていっても、それが極端に難しいんだけどね。積極的にみんながお互いを「治療しよう」というわけではなく、どんな行動や言動が精神的な負担になるかを理解し、また病気そのものへの理解を深めることが第一歩なのだろう。「病は気から」なんていって鬱を気力の問題にしてしまったり、単純に薬漬けを批判している環境に置かれて精神状況が上向くはずもない。

しかも本職の精神科医にしても、話をよく聞く、話しながら問題を整理し筋道をつけていくといったやり方は、現代のような精神疾患患者が急増していくような時代にあっては現実的にとりにくいものになってきている。まあ患者が次から次へとくるのに話をじっくりと一人一人聞くのは現実的に考えて不可能な部分もあるんだろうが、また精神の状態が十年二十年前とは大きく変わってきていることも関係があるのではとこれは河合隼雄さんの息子さんで同じく精神医学専門の河合俊雄さんから語られる。

「そうです。今は、全部が表面の世界なんです。たとえば、ツイッターにぽーんと書き込むとみんなが知っている。しかも、RTというかたちで他人の言葉が引用されて広がっていくので、どこからどこまでが自分の言葉かという区別もない。秘密とか、内と外の区別がない世界なので、自分にキープしておくことがなかなかできなくなっているんですね。心理療法というのは主体性があって自分の内面と向き合える人を前提としていますから、内と外の区別のない場合は、相談に来ても、自分を振り返ることが非常にむずかしいんです。」

時がうつるにつれ、人の精神のありかた、問題の抱え方もどんどん変質していくものなのだろう。現代の精神のあり方とは何なのか、我々はどのように他者に接するべきなのか、ブログ文化やTwitter文化のような、ネットが日常的にある状態での精神はどんな状況なんだろう。あまりこの分野の本を読んでいない、最初の衝撃というのかもしれないが、考えさせられるところの多い一冊だった。

本書が残念なところは、歴史の記述としてはよく、河合中井両名の記述としても面白く読めるのだが、現代の精神医学がどうなっているのか、こうした現状に対して両名以外の主流のアプローチがどこにあるのかについてがあまり触れられていない点にある。が、それはコンセプトの時点から大きくズレるだろうから、「そういう要素はありませんよ」という指摘に留めておく。また本書の記述は個人の発言に沿ったものが多いので、やはりこれもまた精神医学界隈でどの程度認められている意見なのかといえば大きく疑問が残る。

精神を扱う以上必然ともいうべきだろうが、読む場合は注意深く読んでもらいたいと思う。

セラピスト

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