基本読書

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昆虫はすごい (光文社新書) by 丸山宗利

昆虫はすごい。

昆虫がいなけりゃあ繁殖できない植物がいっぱいある。生態系のかなめだ。昆虫自身の繁殖方法も多様で、繁殖が終わった瞬間にメスの餌になってしまったり、遺伝子を混合させずに自分と同じ遺伝子を持った子孫を残す種がいたり、自分の種を別の種族のやつらに育てさせるよう偽装を施したり、せこいけどすごいやり方がある。狩りをする方法も待ちぶせ戦法から相手の体内に入って自在に行動を操って内側から食い破ったりひどい。逆に身を守る方法は葉っぱそっくりに擬態したり体内で化学反応を発生させて相手に熱をぶち当てて撃退したりする。すごい。

僕は虫を採集する趣味は今のところないけれど好きなのはアリやハチなどの群れで生息する昆虫たちだ。こいつらの魅力的なところはなんといってもあのちっこい身体で、一体一体はカスのような存在なのに集合体となると知性のようなものを感じさせることだろう。群体として効率の良い餌発見システム、地面と樹木など存在している場所は異なるものの機能的な巣の建築能力。外敵や餌となる生物への攻撃方法。どれも群体としての特性を活かした機能的なものだ。

なかでも日本のミツバチが独自に到達した驚異の天敵スズメバチに対向する手段は僕に格別な感動を覚えさせる。何十何百匹といった数でスズメバチに向かっていって身体を振動させ、その熱でスズメバチを熱死させる。その成立に至ったであろう時間と多数の犠牲を出すながらも相手を無理やり消滅さしめる強引さ。どれをとりあげても凄い。

つまるところ昆虫はいろいろと凄い特徴を持っている。本作は言ってみればそうした「昆虫すごいエピソード集」みたいなもので、それ以上でもそれ以下でもない。別に仕事に役に立つわけでもないし、ここに書いてあることを知っていたからといって、何か人生に役に立つことがあるとはなかなか思えないだろう。でも昆虫、すごい! と拍手喝采してどきどきするのは純粋に面白いし、読書というのは小説だろうがノンフィクションだろうが、基本的には面白ければ勝ちである。しかし一方で、昆虫は身体が小さいし、使えるエネルギーは多くないし、知性があるわけでもないが、その分生存戦略は極限まで研ぎ澄まされたシンプルさを抱えていて、故に一種のこの世の真理を体現しているようにも思えるのである。

それは僕が昆虫について書かれた物を読むのが好きな理由の一つでもある。たとえば本書には似たような種類の巣に侵入し、女王を殺し、新しく女王に成り代わって自分の産んだ卵をそこにいた働きアリに育てさせるような寄生型の昆虫紹介も幾種類か出てくる。しかしこういう乗っ取り型は逆に「乗っ取る相手」がいなければ成立しないのであって、必然的に乗っ取る側は乗っ取られ側よりも増えず、少数にとどまる傾向がある。あまりにもその勢力を伸ばしてしまったら、共倒れになって人間に観察される前に絶滅してしまうことだろう。

似たものとしては別の自衛手段を持っている昆虫そっくりに擬態する昆虫の存在だろう。これもそうした「自衛手段を持っている昆虫」が他の昆虫に広く知れ渡っているからこそ擬態するのであって、擬態する昆虫の方が多数派になったら擬態の効果が薄れてしまう。こうした一つ一つの現象は、アリが考えた結果そういう均衡になっているわけではなく、「結果的に最適なバランスがとれた種が残ったから」そういうことになっているのである(もちろんすべてが一定のバランスに収束していくわけではないけれど)。そこにアリの知性によってくだされた決断は存在しないが、その代わりに世界におけるエネルギー交換の収支原理が明確に現れている。

個人的に好きだった特徴を持つ昆虫はやっぱりアリで、クロナガ族のアリは草食のアリで、秋に活動して種子を集めて巣へと持ち帰って冬は巣で暮らす引きこもり体質が気に入った。こいつら、夏もあまりでてこないで地下数メートルまで掘り進めた巣で暮らすようだ。外に出て働くのは晩秋と早春だけ。うらやましいものである。しかも、地面に持ち込んだ種子が勝手に発芽しないよう管理しているのだという。頭の良い怠け者だ。

昆虫はすごい (光文社新書)

昆虫はすごい (光文社新書)