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基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

He's a clever son of a bitch『The Martian』 by AndyWeir

いやあ、これは抜群に面白かった。元は著者のAndyWeirによってkdpで個人出版されたものの人気が爆発して最近ちゃんとした出版社から再出版された作品。シンプルながらそのオリジナリティは他の比するものがなく、先がわからないどきどき感と「今自分はかつてないものを読んでいるんだ」という興奮がある。

あらすじを簡単に説明するならば火星有人探査中に強烈な嵐にあって通信断絶、他の乗組員はコンタクトがとれずに軌道上に退避し、火星に一人取り残された植物学者兼エンジニアの男が、火星でSurvivalを実行する「ハードSF」。この「ハードSF」という部分が肝だ。作中では自分が生き延びるために必要なカロリー計算と、それに見合うだけのポテトの栽培、それに必要な水をなんとかして得なければならぬ、と次から次へと難題が降ってきてその科学的解決が「生存戦略ー!!」とばかりに必死に行われていく様はまさに「知的格闘技」だ。圧倒的な現実の不利を知識と思考によって強引にねじふせていく。

369ページの本作だがその中で何度も主人公のMark Watneyは死にかけることになる。当たり前だ。大気は希薄、あってもほとんど二酸化炭素。土壌は食物を育てられる環境ではない、使えるエネルギーといえば太陽があるぐらい。人間は火星で生きていくようにはできていない。環境のありとあらゆる場面がMarkにとっては致死的なダメージとなりえる。もちろん生存に絶対不可欠な酸素ジェネレーターや当面の食料などの生存に不可欠な物がひと通りは揃っているわけだが、本作においてほとんど唯一の御都合主義はそこにしかない(なきゃ即死だ)。

しかも火星に一人取り残された彼を生きているとは地球の誰も思っておらず、次に火星探査が行われるのは予定では4年後、Markが一人取り残された場所から3200㎞も離れたところで──。絶対☆絶命というほかない状況だが、Mark Watneyは状況を一つ一つ確認していって、このままじゃ間違いなく俺は死ぬが、かといってやれることがないわけではない。植物学者としての意地をみせてやろう、火星で生き延びてみせる……といって覚悟をきめてみせる。

そうやって「いかにして生き延びるか」の思考を開始するときの「きたーーーー」感はなかなか味わえるものではない。それは「主人公の決めた覚悟の凄さ」だけに盛り上がるのではなく、火星で一人の人間を生き延びさせる科学的な道理を考えてみせようと宣言してみせた「作者」の覚悟に、メタ的な盛り上がりが追加されているのである。だって、普通ありえないでしょう、火星で人が一人、しかも人類生存環境に整えられてもいない荒野で生きていく覚悟を決めるって。

その後は問題を科学的に解決し、地球へ帰還するその日に向かって歩みを進めていくが、この科学的な努力がそのままプロット、物語の原動力になっていく。

ハードSF

そう、この作品、ハードSFなのだ。ハードSFとは何かといえば、大雑把にいってしまえば架空の出来事を、出来る限り科学的に理屈を持ったこととして書くような形式のことだ。つまり火星で、Mark Watneyはなんとかして生き延びようとするが、地球から支援を送ろうにも時と場合によるのだが200日程度どうしてもかかってしまう。人間は飲まず食わずでは200日は生きられないから、まず食料を生産しなければならない。そうした不可能的な状況をあくまでも科学的に解決していこうとするのが、「火星でのSurvival」というある意味使い古されたテーマを現代に刷新させている大きな要素だ。

面白かったのが、現実とさえリンクさせて、全力で解決をはかっていくところ。とにかくどんな手段を使っても、存在するものはいくらでもつかって生存を目指す。火星にいまだ人類は足を踏み入れていないけれど、無人探査機なら何度も送り込んでいる。過去にたいした活躍もせぬまま行動を停止してしまった無人探査機などもいて、場所もわかっている。本作はそうした無人探査機までも物語に取り込んでみせる。たとえば、マーズ・パスファインダー - Wikipediaとか。パスファインダーの話が出てきた時にまず思うのは「そこまでやるのか」ということであり、当然そこまで徹底して「火星で生き延びる」ことを行ったのがこの作品なのだ。

そしてその書き方が、また丁寧。クリティカルな生命維持装置ひとつとったって、酸素ジェネレーターと大気から水を生成する装置と複数にわかれているが、その説明が「そういうもんです」で終わらずにどういう仕組で成り立っているのかということを化学の授業か、ってぐらいちゃんと一から機構を説明してくれる。「普段私はSFを読みませんが……」から始まる、しかしあなたの作品は楽しく読めましたというメールをたくさん受け取ったと著者はInterviewで語っているが、コアなファン以外に忌避されることの少なくないハードSFなのに一般まで行き渡っているのはそうした丁寧さからくるものだろう。

逆に言えばハードSFであってもこうした説明の丁寧さと題材に(この題材の時点で革命的なアイディアなのだけど)気を使えばハードSFだとしてもここまでいけるということだろう。

新たなヒーロー観

読んでいて信じられないような盛り上がり方をみせるのが、たったひとりで孤軍奮闘を続けるMark Watneyに、地球側が気がついた視点が入るところからだ。最初ほとんどの部分、Mark Watneyが「自分の苦闘を百年後でもいいから誰かが発見してくれるように」という悲観的な心情からとっているlogの体裁で進んでいく。ところが、途中から地球側の視点が入るのだ。彼らは廃棄されたはずのミッションの跡地で、動くはずがないものが動いていることに気がつく。

当然、騒然となる。NASAはあっけにとられているし、もう三度も人類が火星の土を踏んでいる程度に進展している世界でも、一人の宇宙飛行士の命が失われたことは大きな話題になって、悲しみと共に受け入れられていた。そんな男が実は生きていて、しかも生きるために孤軍奮闘しているというのだから、世界中のメディアがこのネタに飛びつかないはずがない。Mark Watneyの方に交信環境がないため、地球側が気がついたとしても何かの合図を送ることもできない。ただ火星におかれている軌道衛星から取得されてくる情報を元に、彼の状況を計算し、推定し、いかにして彼を助けるのかという国家がかりの対策がとられることになる。世界中のメディアは熱狂し、科学者は全力を尽くす。

何か問題を起こすときに、登場人物を馬鹿にすることで簡単になる。たとえばチェックを怠ったとか、知らなかったでも検討していなかったでもいい。でもこの場合登場人物は宇宙飛行士であり、それを支えるエンジニアである。彼らは世界中でそうした「人間が本来持っているはずのどうしようもなくおこってしまうミス」から最も遠い場所で戦っている人達だ。だからこの人達はミスを絶対に起こさないような仕組みを考える。そんな「プロフェッショナル」の物語でもある。

ちなみにfilm rights(映画化権)も既に買われているようなので(Twentieth Century Fox optioned film rights in 2013*1、数年以内に大画面でみられるようになるかもしれない。映画における観客とは物語に一切関与できない存在であって、火星でサバイバルする男とそれに熱狂する世界人類という構造は映画とその観客に、実によくシンクロすると思う。その構造はもちろん読者と主人公のものでもある。つまり我々はこの作中で書かれる「火星でたったひとり生き延びようと奮闘する男」に心情をシンクロさせるのと同時に(その孤軍奮闘は読者である我々しか知らないのだから)、そこに対して読者の側から働きかけることの出来ない地球側にも強く心情をシンクロさせていくのだ。

解説的背景情報

著者のAndy Weirは本書が商業ではデビュー作。先ほど書いたように元々KDP(KindleDirectPublishing)で出されたもので、KDPで出す前は個人サイトで無料の連載小説として公開していたという。著者自身もInterviewで語っているように、Mark Watneyが一つ一つ思考を推し進めて、「よし、これでもまた少し生き延びられるぞ……」と歩みを進めていく様は先がわからないはらはらどきどき感がある。著者自身この主人公がどういう理屈で生き延びるのか、連載開始の時点では考えていなかった。連載を続けていくと同時に、どんな理屈でなら彼が生き延びることができるのかを発見していく。

And the deeper into the book I got, the more excited I became, because I found that I was arriving at that place writers dream of: I was coming up with plot twists that genuinely surprised me, yet felt totally organic to the situation I’d dreamed up. This allowed me to do what writers treasure more than anything else: *2

著者は元々趣味の小説書きであり、職業は15歳の頃よりプログラマーであり、趣味として軌道力学をやっていますというとんでもない親父だ。これは本作とはあんまり関係がないが、『オービタル・クラウド』の藤井太洋さんもどこから得た知識なのかさっぱりわからないがエンジニア出身であんなテクニカルな物語を産み出すし、プログラマは宇宙に精通しているのかと錯覚してしまいそうになる。

まあ、映画化もされるようだし売れてもいるようだから、しばらく待てば日本語訳されるでしょう。出たらオススメ。※2014年8月28日時点で既に翻訳版がでています。また全く関係ありませんがちなみにこんなようなレビューをたくさん載せている僕のKDP本もあるのでよかったら読んでね。

The Martian: A Novel

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