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〔少女庭国〕 (ハヤカワSFシリーズJコレクション) by 矢部嵩

位置付けるのが非常に困難な小説で、その新機軸っぷりが楽しく、唯一無二であっという間に見たこともない場所へ連れて行ってくれる怪作が、この『〔少女庭国〕』だ。

なんとしてこのお話を、読んでいない人間に面白く伝えたものかと、今画面の前で途方にくれているところだが、まあそのような伝えがたき作品であるということでまずは話をはじめてみよう。ヒーローが出てきて悪を倒すという話ではないということはひとまず伝わっただろうと思う。実際には女子中学生しか出てこない。

漠然とした第一印象を与えたところで、いくつかとっかかりを与えていくこととする。まず類似ジャンルとしては、クローズドサークル物ということになる。クローズドサークルとは基本的に密室ものを指す、冬で人間の行き来が途絶えた山荘や孤島もの、なんらかの理由で部屋・家などから出られなくなってしまうもの全般のもののことだと捉えておけば、まず間違いはない。

そしてそこに加えて「デス・ゲーム」ジャンルというものがある。このジャンルでは、人は大抵の場合限られた空間の中でお互いがお互いを殺しあうことを強いられる。ソードアート・オンラインなどはある意味これであるし、広義で言えばバトルロワイヤル、極々本作と親しいものをあげれば『悪の教典』や『インシテミル』といった作品群があげられるだろう。

卒業式会場の講堂へと続く狭い通路を歩いていた中3の仁科羊歯子は、気づくと暗い部屋に寝ていた。隣に続くドアには、こんな貼り紙が。卒業生各位。下記の通り卒業試験を実施する。“ドアの開けられた部屋の数をnとし死んだ卒業生の人数をmとする時、n‐m=1とせよ。時間は無制限とする”羊歯子がドアを開けると、同じく寝ていた中3女子が目覚める。またたく間に人数は13人に。脱出条件“卒業条件”に対して彼女たちがとった行動は…。扉を開けるたび、中3女子が目覚める。扉を開けるたび、中3女子が無限に増えてゆく。果てることのない少女たちの“長く短い脱出の物語”。

そう、つまりは狭い所に監禁され、少女たちがまあ、殺し合いを強いられる、一人しか脱出できないから、と普通にルールを解釈するとそうなる。少女がいっぱい、そんで、監禁されてデスゲーム、というのが本作の基本コンセプトになる。なんだ、それなら「どう説明したらいいものか途方にくれる」ことなんてないじゃないか、ちゃんと説明できているよ、君ぃと思うかもしれない。

そう、そこまではいい。非常にシンプル。ところが、こうしてこれまで創りあげられてきた「クローズドサークルデスゲームジャンル」という土台を忠実に踏襲しながら、出来上がったものは「ルールしか踏襲してねえ」という異様な代物なのだ。そこから説明が途端に難しくなってくる。つまり「なるほどね。インシテミルみたいな話なのね」と思った時点で圧倒的に間違っているのである。

何が間違っているのか? 本作はルール自体はたしかにクローズドサークルやデスゲームそのものといえる。そこで事件が起こるのも、まあそのとおりだ。しかし実際はそれをさらに厳格化、推し進めた結果そこで何が起こるんでしょうね、といった思考実験、シュミレーション的な内容に踏み込んで、誰も見たことがないような風景へと突き進んでいく。

インシテミル悪の教典的な物語が閉鎖環境下での恐怖に怯え、時には勇気を発露させる人間精神のストレス負荷テストのようなものだとしよう。物語は通常、死を前にした葛藤をドラマにし中に押し込められた人間たちによりそって描かれていく。それと対比すれば本作はそうした負荷テストを「繰り返し」行うことで人間行動にいかなパターン性が見出だせるのか、どんな事態が起こりえるのかを「トライアンドエラー」的に見ていく物語だといえる。

ようは観察者視点にうつるのである。しかもその状況が「中3女子」がドアを開けるだけ無限に増えていく世界だったとしたら──、それらは単なる「女子中学生同士がみんなで殺しあって死んだり話し合って自死する人間を決めたり脱出の手段をがんばって探ろうとしました」という物語群だけでは終わらなくなってくる。それ故に「ルールの厳格化」を「推し進めた結果」のはてにある「誰も見たことがないような風景」へと繋がっていくのだが……。

と、ここらで一段回目のレビューは終えよう。僕が考えるところのあまりネタバレしない範囲でのレビューはここで終わり。此処から先はある程度ネタに踏み込んでいく。ここまでで伝えたかったことは、いってみれば次の2つだけだ。

1.本作が、クローズドサークルデス・ゲーム物の、ルールを厳格化しまるで別方向へ全力で舵を切った作品であること。
2.それを実験者の観点から淡々と観察していく作品であること。

この時点で興味が湧いたのであればすぐに読んだ方がいいが、特にピンと来ない場合はやむなしなので一段階踏み込んだレビューに続く。特に「ルールを厳格化した結果何が起こるのか」という部分が本作の肝となるべきところ、面白いところであるのだがこれはネタバレせずには書けないのだ。

ネタバレに踏み込んだレビュー

さあ、此処から先は滅多にやらないが「ネタバレ」の度合いを一段階引き上げることにしよう。そうしなければ書けないからだ。まず「ルールを厳格化」の「ルール」に当たるものは何かというところから始めよう。ルールとはもちろんあらすじで触れている『“ドアの開けられた部屋の数をnとし死んだ卒業生の人数をmとする時、n‐m=1とせよ。時間は無制限とする”』の部分だ。

最初の一人が目覚め、その一人が張り紙を読み、ドアを開けるとそこにはまたひとりの女子中学生が眠っている。ドアを開けることで女子中学生は眼を覚ます。女子中学生と彼女が身につけているもの、ドアと部屋の他は何も存在しない。その代わりにドアを開ければ開けるだけ、みな同じく卒業式へ向かう途中だったという卒業生が何人でも出てくる。

問に対する一番簡単な解は、目が覚めた最初の一人が次の部屋にいる女子を有無をいわさずぶっ殺すことだろう。もしくはぶっ殺されることか。そうするとドアの開けられた部屋が2,死んだ卒業生の人数が1なので=1になり脱出できるのかもしれないし、できないのかもしれない(そもそも問題文が抽象的であり解釈がわかれる)。できそうでは、ある。

本作はその最初こそオーソドックスに「デス・ゲームに巻き込まれた女子中学生」を丹念に描いていくが、実はすぐにそれが「多数のパターンのうちの1例」でしかなかたことが明らかになる。簡単な解に辿り着くものもあれ、大勢を起こして出口を求めて進撃していくものあれ、10部屋程を回った後話し合いで自死するもの達あれ──結末はパターン豊かになっていく。そうした量子的繰り返しが本作の世界である。

さて……問題はこのルールを厳格にとらえた場合である。さまざまなパターンに分岐していくというが、どんなパターンがありえるのか? 女子中学生は部屋を開ければ開けただけ無限に出てくる。そしてどうやらこの実験のような謎の現象は一度で終わるものではなく量子ゲーム的に様々にスタート地点を変えながらさながら無限かの如く繰り返されているようでもある。そうすると起こりやすいパターンというものも出てくる。

ルールを厳密に適用すると女子中学生は無限に沸かすことができるのだから、極論すれば脱出をせずそこで生きていくことも可能だ。人間が生きていくためには究極、ご飯と水分があればよい。ご飯は自然には出てこないが女子中学生は無限に湧くのである。となれば「閉鎖環境下で生きる」ためには答えはひとつしか無い。

ドアを開けはっきりと意識を取り戻す前に殺し人肉を喰う。いったん生命を生きながらえさせることができて、一週間以上の生存が可能になったらさまざまなことが可能になる。たとえば女子中学生の中には硬貨を持っているものがありそれがあれば石で出来た壁を削り取れるかもしれない。がりがりと削る。あるいは地下からの脱出手段をさぐって地面を掘ってもいい。

開拓民の出現である。「出られない」「次の部屋には女子中学生がいる」「女子中学生が持っているもの以外はその部屋部屋には何もない」というこの単純なルールから人肉をためらわない集団とそれを基準とした新たな人類文化が生まれてしまう──。もちろん淡々と合理的な「それしか生きる残る方法がないから」という理由で歴史の説明調で少女たちが人肉食を推し進めていくことを描写されても、まるでリアリティなどない。が、これはそういう物語なのだという妙な納得感はある。

それは「単にそうなりました」というだけではなく、人肉食が選択されたある意味「どうしようもない事情」から人肉食が選択され脱出不可能な少女たちが作り上げていく社会そのものが描かれていく描写のせいかもしれない。新たな秩序下におけるルールについての描写が乾いた文体で描かれていき、事実のみを絶対的観察者の視点から描いていく様子はぞっとするような面白さがある。

人肉食によって食糧問題、栄養問題は飛躍的に改善された。タンパク質及び脂肪は安定して摂取することが出来、ビタミンなども内臓から補給された。三大栄養素の内乏しいと思われていた炭水化物については死体の胃の中に朝食べたと思われる朝食が未消化のまま多く残っており、一人分の朝食を数人で分ける案配になるが米やパンなど穀物由来の栄養分を口にすることが可能と判った。朝食をよく食べている死体はとりわけ喜ばれ、朝が米だった者、あまり噛まずに飲む者、単純に肉付きのよい者なども高い価値で分配のやりとりをされた。

この観察者の視点よ! 観察者がいることは明らかなのだが──。とまあネタバレもそれぐらいにしておこう。200ページ弱のこぶりな作品だが、ぎゅっと後味の悪さと誰も書かなかったし、これからも誰も書かないであろうビーンボールが制御されストライクゾーンに戻ってきた、奇跡のような200ページなので耐えられるのなら読むべし。

こんなようなレビューをたくさん載せている本を出しました。
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