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旋舞の千年都市(創元海外SF叢書) by イアンマクドナルド

うーむこいつは凄いぜ。『旋舞の千年都市』は紙の本にして上下巻640ページの大著。しかもその中身はといえば、幻惑的な文章表現で彩られた6つの主要人物群を一つの都市の中にぶちこみ、それぞれの視点からイスタンブールを描き切り、科学と宗教性がないまぜになった近未来を描く超弩級の混沌、混沌、混沌。膨大に詰め込まれたイスタンブールへのディティールに加えアイディアの壮大さ、そして演出まで含めたあらゆる面での豊富さ。ぎょっとするような大作だ。

ちょっとどうしちゃったのこれと言いたくなるような気合の入った描写がデフォルトの文章として延々と続くのは「すげえ、けど話が進まねえ」と思わずやきもきさせるし、最初のうちは立場も年齢も関わりも少ないグループが6つもあり、しかもみな相互に関連性が薄くそれぞれの目的を持って動き回っているので名前も覚えられないし話もよくわからないまま、随分とフラストレーションを貯めこむことになるだろう。

文化、宗教、科学、経済といった要素を登場人物が演説か何かのように理路整然と、しかし比喩表現をたっぷりと使いながら1ページをまるまる使って論じ上げていくところなど、とても常人では書けないような密度でイスタンブールという街がまとめあげられていくのも、プロット的な意味からいえば冗長というほかない。それでもノリにノッた文章なので読んでいてぞくぞくしてくる。

そうした描写に気をとられながら読み続けていくうちに、カオスな状態はカオスのまま、だんだんと物語の構造が浮かび上がってくる。登場していたまるで関係のなかった6グループが次第に相互に関連性を持ち、物語が大きく蹴りだされ、動き始めるその瞬間の面白さ、科学と宗教と神秘の結合、曖昧模糊としたものの中から立ち上がってくる構造体、そして冒頭から圧倒的な情報量で読者を煙にまくような描写をしたことの意味もここまでくるとだんだん明らかになってくる。

中でも素晴らしいのはイスタンブールという都市への執拗な描写、そしてその捉え方だ。魔術と科学の出会う街イスタンブールとでもいったところか。都市というものは実際そこで住んでみないとわからない、極々マイナな情報から成り立っているものだ。本作の冒頭は白い鳥がイスタンブールの街の上に舞い上がり、そうして上空から見おろしたような視点で都市の全景を見渡すところからはじまる。

それはつまるところ「これは都市の物語だ」というひとつの宣言だろう。上空からの視点が終われば、あとはそこで暮らしていく様々な立場の人間たちの物語だ。べったりと地面からみていくイスタンブールという混沌。長年そこに住んだ人間が書いたとしか思えないようなべったりとした描写が続く。これほどの熱量のある小説にはなかなかお目にかかれるものではない、という一例を示すために一部印象的な場面を引用してみよう。

彼女のやっていることは、歩く修養といえる。逍遥派の修道僧たちによる実践のようなものだ。進展は、人の歩みの速度でなされる。人の歩みの速度は歴史の速度であり、その速度で長い距離を逍遥するのが、この学のやり方なのだ。そうしている間に、繋がりと対応が現れる。奇妙な対称性が、離れた建物の間に現れる。まるで、都市においてなんらかの大陸移動が起こったかのように。通りというものは、いにしえの需要に沿って走っている。現在の需要よりも、むしろそちらに合わせていることさえある。トラムの線路はその昔の水路をなぞり、神々や皇帝たちの言葉は石によって語られている。人間の地政学、心の地図。海から遠く離れた鮮魚市場。すっかり時代遅れになっても商いが続いている地域、ある時代では死に絶えたが数十年五に復興する地域。微妙な境界区分。レストランは出す料理によって奇妙な移り変わりをする。エーゲ海料理はこの交差点に、東方風はその小道を行った先に。二軒隣は繁盛しているのに、商売が決してうまくいかない呪われた場所がある。通りのこっち側に住むと、反対側より十倍も泥棒に入られる確率が高くなる住所もある。

こんなテンションで文章が全編語られていくのだから、読む方も胃もたれがする。どうか、一気に読むなどというチャレンジングなことをするよりかは、電子書籍ででも買ってゆっくりと読むか、紙で買って持ち歩かずに家でちょびっとずつ読むのがいいだろう。物語は月曜日から始まり、その週の金曜日に終わる。たったの5日間に6グループ600ページ以上描かれていくわけで、それだけ凝縮されている。

簡単なあらすじ

時、2027年、トルコがEUに加盟し、ナノテク産業がホットであるというような状況が次第にわかってくる。犠牲者のでない自爆テロがあった後に、テロ以降ジンが見えるようになったという謎の男や、テロ現場で不審なロボットを見つけた少年、老いぼれた経済学者に、伝説のお宝を狙う美術賞、ナノテク企業で一発当てようとしている研究者とマーケター、とそれぞれ目的が全く異なるグループがこの自爆テロを中心とした騒動に巻き込まれて(あるいは自発的に関わって)いく。

科学と魔術の融合

面白かったのは宗教、精霊といったものが2027年であるというのにまったく廃れていないどころかむしろその勢力、意味を増しているかのようにさえ見えるところだ。それは元々の場所柄、トルコ人とギリシャ人が同居し、クリスチャンもムスリムも集まる雑多なイスタンブールが持っている力ではあるのだろう。しかし突然ジンが見えるようになった青年や最先端のナノテク企業研究者を同時に描くことで、物語の根幹に宗教性、幻想性と科学が絡み合っていくことになる

こうした科学と魔術の融合については、つまるところ意図的に行われている。そこに込められた意味が一つであるはずがなく、如何様にも解釈することができるだろう。たとえば数千年に及び存続している都市、その都市設計にはコーランからの数字的要素が大きさの比率、空間の使い方にまで反映されている。過去から積み重ねられた思想、自らの体験をベースにした、実証的観察的な手法。

ヨーロッパが啓蒙主義ルネッサンスと資本主義と民主主義とテクノロジーを発明した一方で、イスタンブールはそうした「体験の外側」にあるなにものかがあるという考え方が未だに残っている都市である。何千年にも及ぶ歴史的建造物には当然ながら魔術の要素が取り入れられているし、それは西洋であっても同じはずなのだ。デカルトもガリレオもケプラーニュートンライプニッツもみな占星術錬金術に傾倒した過去がある。

彼らはそうした魔術や宗教が「当たり前にある日常」の中で生き、そしてそれらを信じたまま後世において科学だとか数学だとかいわれる分野を発展させてきた。16世紀ヨーロッパ最大の数学者といわれるカルダノもまた占星術師であったのだ。おそらく着想をそうした宗教や怪しげな術から得たこともあっただろうし、後世からは完全に否定される奇天烈なこともたくさんいってきたが、後世にはその偉大な業績が残されてきた。

そうした混沌の時代からすれば、現代は人間の空想力が制度や秩序に奪われてしまった時代のように見え、だからこそ混沌とした本書で描かれるイスタンブールの街が相対として魅力的に見えるのかもしれない。歴史を忘れるな、そして本来あるべき姿とは、魔術と宗教と科学と幻想が婚前一体となったこういう状況なのだと、イスタンブールを通して描写しているようにも思える。

自爆テロなどというものが2027年にあってもなお日常のこととして存在していることからも明らかだが、「テクノロジーが進化しても人間から宗教は消えない」。そして人間の行動を科学以外の部分が決定づける状況が依然として変わらないとするのならば、未来はやはり幻想とテクノロジーの相互作用で進んでいくのだろう。本書の幻想と宗教とテクノロジーの入り混じったヴィジョンはそうした意味で新しく、また面白いものであった。

読み終えて思うのは、序盤の行きをもつかせぬ展開の数々、登場人物の奔流、モザイク状に浮かび上がってくる都市と事件の実態、そのどれもがイスタンブールという街の再現だったのだろう。文体から演出、それらがひとつの目的にむかってゆき結実するのを読んでくのは、カオスの街を疑似体験していくようで、とても楽しい経験でありました。長いから読む時は注意するように。

余談。インドやトルコ、ブラジルを舞台にすること。

イアン・マクドナルドはインドやトルコ、ブラジルを舞台にする新世界秩序三部作と呼ばれるものを書いている。トルコを舞台にしているのはいうまでもなく本作だが、なぜこんな辺鄙なところばかり舞台にするのか。北アイルランドに住んでいる身からすれば、アメリカもブラジルもトルコもインドも感覚的にそう違いはなかったというのがひとつ。

またアメリカが位置関係的にアジアといえば中国韓国日本と考えるのにたいして、アイルランドからすればアジアといえばIndia/Pakistan/Bangladeshと考えるので、こうした地理的な要因からアメリカのSF圏からは外れているところにマーケットのギャップをみたという。そしてそこから別の場所が使えないかと考え始めたら、今後経済的にメジャーなプレイヤとして参戦してくるであろうブラジル、トルコがあがってきた。*1

特にトルコについていえば、植民地政策といえば白人の物だとみな考えるが、トルコもかつてオスマン帝国として広大な領土を持ち800年もの栄華を痛みと複雑さを抱えながら誇った大英帝国と同様の歴史を持った国であり、これまで完全に明白だと思われてきた西洋至上主義の裏面であることからして面白い題材だった。まだSFとしてのテーマに落としこむところにまではいっていないけれども、という。

たしかに言われてみればトルコやブラジルを舞台にしたSFなんて読んだこと一回もない。アフリカを舞台にしたSFをいくつも読んだことがあることに比べると、たしかにちょっと変なような気もする。トルコもその歴史性からすればいくらでもテーマ的に面白くなりそうな要素を抱えているわけで、いいところに目をつけたというべきか。しかし後続からすればこの一冊で徹底的にあらゆる要素を取り込まれてしまっている分続きにくいだろうな。

旋舞の千年都市 上 (創元海外SF叢書)

旋舞の千年都市 上 (創元海外SF叢書)

旋舞の千年都市 下 (創元海外SF叢書)

旋舞の千年都市 下 (創元海外SF叢書)