基本読書

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木材、石炭、シェールガス 文明史が語るエネルギーの未来 (PHP新書) by 石井彰

震災以後僕の中でエネルギー問題をどう考えればいいのかというのは一貫したテーマになって残っている。

脱原発が容易でないのは確かで、かといって再生可能エネルギーは巷でいうほど万能なんだろうか? はたまた最近台頭してきたシュールガスはどの程度使えるものなのか? 震災以後雨後の筍のように湧き出てくる胡散臭いエネルギー関連本の中に混じってエネルギー源を比較検討し最適なバランスを探ろうとするきっちりとした質のいい新書を書いていたのが石井彰さんの『エネルギー論争の盲点』だった。⇒エネルギー論争の盲点―天然ガスと分散化が日本を救う - 基本読書

本書『木材、石炭、シェールガス 文明史が語るエネルギーの未来 』はその石井彰さんの最新刊になる。書名からは伺いしれないが、実に強い調子で再生可能エネルギーマンセー議論について反論しており爽快な気分になる。再生可能エネルギーと呼ばれる太陽光、風力発電水力発電などは石油や石炭とくらべてコストがあまりにもかかりすぎる。そしてそれ故に「凄まじい生態系破壊」が生じることになる。

再生可能エネルギーオワコンなのか?

たとえば現在一番高い最新型の天然ガス・コンバインド・サイクル発電所と地表面積当たりのエネルギー密度で比べると2000倍から3000倍もの差になって現れてくる。太陽光エネルギーで電力を本気で賄おうと思ったら日本から使える国土がどれだけ残るのだろうか。人のいなくなった田舎につくれというのはひとつの回答かもしれないが、電力を蓄える、輸送経路をつくるバックアップコストの問題も出てくる。

太陽光発電は夜はまったく発電できないわ、雨や曇りになっただけで出力が非常に少なくなり、カタログどおりの性能を発揮できるはずがなく実質的には瞬間発電能力にたいして11〜12%しかない。エネルギー効率だけでなく、コスト面だけみても火力発電や原子力発電(事故のコストは含んでいないが)5倍ほどもかかっていて、さらにこの5倍という数字にはバックアップ電源の価格が含まれていない(これがまた高コストだ)。

あからさまに効率の悪いものを使って経済競争に勝てるはずもない。しかし、たとえばドイツでは太陽光発電の買い取り政策が成功しているではないかと思うかもしれないが、そんな簡単なものではない。メルケル首相は13年9月に議会で「再生可能エネルギーによるコスト上昇が、これほどとは思わなかった」と敗北宣言ともとれることを言っているし、まあまずはここでも読んでみるといい。⇒ドイツの再生可能エネルギー法は失敗だったのか? 科学的視点に欠けた脱原発推進がもたらす矛盾が次々表面化

「ドイツの気候とエネルギー政策の核心的な道具としての再生可能エネルギー法は、失敗に終わった。電力生産における再生可能エネルギーの割合は、2000年に同法が施行されて以来、7%から23%に伸びたが、そのため巨額なコストが掛かった。同法で保証されている助成金の額は、2000年には8億8300万ユーロであったが、2013年は230億ユーロに膨れ上がっている。今では、消費者の支払う電気代の5分の1がこの助成金に充てられている。同法が気候変動の防止に役立つということが根拠とされ、消費者負担の増大が強いられてきたが、実はその実態がないというところが、EFIが同法を批判する最大の理由である」

ドイツの高い再生可能エネルギー割合は国民の電気料金の大幅な値上げによって賄われている。その実態は日本と比較しても3〜5割程度、アメリカと比較すると3〜4倍になる(IEA統計の12年実績比較)。風力や太陽光は安定した電気が得られないとはいっても、洋上なら常に風が吹いているから問題無いという考えもある。がしかしこれもドイツでは微妙な結果になっているところだ。

風況のよい北部海岸に大規模風力発電設備をつくったものの、周辺には大きな電力需要、エネルギー需要がないため大規模エネルギー需要地まで数百㎞の大送電線網を敷設する必要に迫られている。が、この敷設に要する膨大なコスト、建設予定地の住民の反対運動で、建設はほとんど進んでいないという。いくら洋上に風力発電施設を多数つくったとしてもそれを運ぶ過程がうまくいかなければどうしようもない。

そして何よりドイツやデンマーク、スペインといった国の再生可能エネルギー導入事例は近隣の欧州、EU全体の大送電線網に頼っている状況であり、不安定な電力供給を周辺諸国に吸収させてきた、バックアップ能力にだだ甘えしている状況が背景にある。島国である日本では同じ方法はとることはできない。コスト的にもバックアップ能力的にも、「それだけに頼る」にははなからお話にならない案件なのである。

本書のざっくりとした構成説明

ただ注意したいのはこれはなにも「再生可能エネルギーなど使う必要はない」と言っているのではなく、極端に効率の悪い再生可能エネルギーをメインでこれからのエネルギーをまかなっていこうという無知さへの警鐘であることだ。本書ではその構成として、最初の一章と二章では産業革命や石油危機、かつて長い期間あった「風車や水車といった自然エネルギーしかそもそもなかった時代」がいかに環境を破壊してきたのか、それがいかに「効率の悪いエネルギー生成」で、石炭や石油の登場によって革命的に置き換えられてきたかを辿っていく。

第三章、第四章、第五章で「エネルギーの反革命」として再生可能エネルギーの高コスト体質から必然的に環境に与える悪影響についてや、今石油に変わるあらたな資源として注目されているシェールガスについて、そして石油の需要が天上を打ち「石油の世紀」が終わった状況についてと、エネルギー論争の主要論点をそれぞれみていく。六章七章では温暖化、エコだと唱えられるものが実はエコじゃなかったり、そもそも地球が温暖化していなかったりという「エコの迷宮」的な残念な状況の説明と、今後のエネルギーの未来についてこれまでの話を総括的に述べている。

中でも注目すべきは先ほどのべた再生可能エネルギーがいかに非効率的かについての話と、シェールガス革命だろう。

シェールガス革命

英語でいうところのシェールとは日本語にすれば頁岩である。ケツガン。シダや藻などの植物の死骸が流され海底や湖の底に埋もれて堆積し、数百万年もの時間をかけて土砂重量によって圧縮され、硬い緻密な薄片状になった岩石のこと。それが数千メートルの深度になると圧力と地球の深部からの高温で泥の中の有機物が天然ガスや石油に化学変化する。長年こうした地下深いところにある資源はコスト的にとても見合わないと思われていたが、過去5年ほどの間に技術革新が起こり通常型とそう変わらないコストで大量生産できるようになったという。

 このシェールガス革命をはじめとした非在来型天然ガス生産技術の大革新の結果、世界の天然ガス資源量は爆発的に拡大した。例えば、国際エネルギー機関IEAは、左表にあるように2011年に、将来に人類が利用可能な天然ガス資源量を、現在の需要量を前提として、少なくとも250年分以上と評価した。在来型天然ガスの確認可採埋蔵量(いわゆる埋蔵量)では、世界の3分の2を占める中等と旧ソ連など、いくつかの地域の非在来型天然ガス資源をほとんど評価外としたために、少なくとも250年以上という表現になっている。もし、これを評価し、追加したならば、おそらくは400年分程度にはなるであろう。

とまあシェールガス革命はふってわいた幸運というか、おそらくは思うように進まないであろう再生可能エネルギー路線に代わり、同時に原発の代替手段となり得る存在であることが窺える。もっとも欠点としては現在の輸入価格が石炭の4倍以上という高価格にあることで、これも神の一手のようなスーパーヒーローではない。

3.11は起こってしまったのであり、もはや当初の原発ガンガン建てようぜの既定路線には戻れないのだとしたら、せめて再生可能エネルギーを推し進めていくような夢物語をみるのではなく、利用できるものはどれも最大限利用するという「総動員政策」をとらなければ維持が不可能な状況になっている。

 エネルギーの問題は奥深くて複雑で、一筋縄ではいかない。各エネルギー源は、全てそれぞれ独自の大きな欠点・問題を抱えており、魔法の杖、救世主のスーパースターはどこにもない。それは現代社会の人口が巨大すぎ、必要エネルギー量が巨大すぎて、言わば「猫の手も借りなければ、やりすごすことができない」からだ。

再生可能エネルギーは考えるのであれば二十年後三十年後を見据えた、今よりもっとエネルギー変換効率が高くなったときまでかんがえた「未来への投資」としての側面もあるはずで、そうした面への考慮は本書ではみられないが、それでも「再生可能エネルギー技術」に関わっている専門家でもなく、原発関係者でもなく、エネルギーアナリストとしてエネルギー問題を広い視野で捉えてきた著者の、真摯な一冊だと思う。