基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

戦争における「人殺し」の心理学 (ちくま学芸文庫) by デーヴグロスマン

本の中には何度も何度も繰り返し、様々な場所で引き合いに出されるものがあってこの『戦争における「人殺し」の心理学』もそうした中の一冊になる。もちろん全編まるまる引用されるわけではないが、それぞれの場面に応じて断片化された情報が集まってくるので読んでいないのに内容を知っているのと同じような状態になる。

そうしたものを「読んでいない」のかはたまた内容を知っているのだから「読んだ」といっていいのかどうかわからないが、とにかく本書は各所で引用されて散らばっていく力を持った「基本的な」一冊になる。ほとんど読んだ気になっていたのだけど、ディティールが気になって読んでみたらやはり面白かった。やっぱり戦場心理学における名著だねえ。

明らかにしていくのは戦争、人が人を殺すといった一連の行為の中でいったいどのような心理的抵抗がうまれ、どのように克服され、あるいは克服されなかった時に何が起こるのかの実態だ。だから戦争はいけないという内容でもなく、何が起こっているかを明らかにすることに主眼は置かれている。戦場における兵士の心理的なエピソードなども豊富で、架空物書き的にとっては必携の本かもしれない。

特に本書が初めて明らかにしたというわけではないが、興味深い事実がいくつも手に入ることだろう。

1.平均的な人間には人間を殺すことへの抵抗感が存在するということ。その為いくら手軽に敵を殺傷できる手段が得られたとしても(銃とか)発砲率は10%程度と極端に低く、かつ威嚇のための示威行動がほとんどで命中率は高くなかったこと。つまりほとんどの兵士は人を殺そうとしていなかった。
2.人を殺すことへの精神的重圧は凄まじく、将校や衛生兵、斥候といった直接相手を撃ち殺す必要のない立場の人間は同じリスクを背負った環境にいながらにして精神的戦闘犠牲者になる割合は有意に低い。
3.距離と攻撃性には関連があること。近ければ近いほど抵抗感はまし、距離が離れ相手のことがわからなくなるほど抵抗感は薄くなる。といっても抵抗感がなくなるわけではない。第二次大戦中に撃墜された敵機の四〇%近くは、アメリカの戦闘機乗りのわずか一%によって撃墜されたものだった。

などなど。次にそうした人を殺すことへの抵抗感をいかにして薄れさせていくのかという話が続いていく。抵抗感のある事業を人間にやらせる手練手管は、別にこの本に書かれているような内容を実際に自分の生活に活かす必要なんかないのだが、少し対象範囲を広めてみると「極限状態に陥った人間のコントロール方法」として読むこともできる。あるいは自分が精神的に追い詰められている時の教師としても。

軍隊では発砲時の抵抗感を薄れさせないことにはどうしようもないので、本書で書かれているような様々な策が用意されている。実際、日本企業の新人研修とか眺めているとここに書かれていることと共通している要素が多すぎて笑ってしまう。従順な兵士を創りあげるという意味では似通ってきてしまうのだろう。

1.まず重要なのは権威者の要求だ。二次大戦の兵士は指揮官が見ていて激励しているあいだはほぼ全員が発砲するが、指揮官がその場を離れると十五〜二〇%に低下してしまう。兵士が発砲する理由を調査した結果、戦闘経験者が最大の理由としてあげたのは「撃てと命令されるから」だった。
2.集団免責。ひとりでは殺せないが、集団なら殺せる。集団であることで義務(仲間に対する)と匿名性(殺人への個人的な責任の消失)が結びつき、殺人を可能にする上で重要な役割を果たしている。集団の人数が多く、集団の心理的な結びつきが強いほど、一般に殺人は容易になっていく。
3.心理的な距離。先ほどは物理的な距離の話だったが心理的な距離は「あいつは自分たちとは違う」と人種的、文化的な差異を際立たせ「違うもの」として扱うことに寄って心理的な抵抗感は薄れていく。大義の設定、相手は殺されてしかるべき相手なのだという最初の規定もまた同様の効果をもたらす。

また中には殺人にたいしてそこまで多くの抵抗感をもたない例外的な人達も存在する。本書で紹介されている研究によると戦闘中の兵士の二パーセントが「攻撃的精神病質者」の素因を持っているのだという。五十人のクラスがあったとしたらその中に一人か。あんまり多くないね。

上記のような抵抗感を減らす環境的な要素に加え、ベトナム戦争では明確に心理的な克服を目指したのかどうかは別としても「瞬時に狙いをつけて的を撃たねばならない訓練」を通して反射的に人を殺す条件付け訓練を行ったことが語られる。「出てきたら、即撃て!」を身体に覚え込ませることによって抵抗感のキャンセル効果があったと思われる。これによりベトナム戦争の発砲率は九〇パーセントを超えたのだから効果も絶大だったのだろう。

人が生物的にみて同族殺しに嫌悪感を抱くのは確かなようだ。人類の歴史はそれでも戦いが繰り広げられたことの証明でもあるし、今はそうした抵抗感さえ失わせる手法を見つけ出している。しかしそうした「本来あったはずの抵抗感」を無理矢理彫刻させるとPTSDのように無理をさせた結果が起こる。戦争という巨大な現象について考察するにあたって、欠かすことの出来ない一冊だ。

戦争における「人殺し」の心理学 (ちくま学芸文庫)

戦争における「人殺し」の心理学 (ちくま学芸文庫)