基本読書

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旅のラゴス (新潮文庫) by 筒井康隆

 単純に筆者の力不足ゆえ内容に触れずにレビューすることが不可能だった為、下記の記述では内容に随分と遠慮なく、結末に至るまで触れています。注意してください。

 うまく言葉にできないが、まるでひとつの人生を終えたようだ……というのが読み終えた人間が共通して持つ実感ではないだろうか。『旅のラゴス』は筒井康隆によるSF/ファンタジー小説。わずか250ページの中で、ラゴスは地球とよく似ているけれども転移だったり、壁抜けなどの超能力がある不思議な成り立ちを持つ世界を旅をし、知識を求め、時には奴隷に身を落とし、時には王となり、多数の女性と関係を持ち、数奇な人生をまっとうしていくことになる。

 話が進んでいくと、どうやらこの星はむかしむかし、ずっと進んだ科学力を持った人類が宇宙船で飛び出した、成れの果ての惑星であることが明かされていくことになる。しかしその知識の大半は失われており、世界は産業発展以前の文明レベルにまで落ち込んでしまっている。しかし古代知識の集積場所である本の園があるという伝説にしたがってラゴスは最初にそこを目指している。

 空間を転移し、得体のしれない能力を持った人間に会い、時には殺人事件に巻き込まれ、妬まれたり惚れられたり、奴隷に貶められたりしながらも、古代人類が残した本を目当てに旅を続ける。知識さえ得ることができれば、それは文明を一息に発展させあらゆる物事をショートカットさせることができるようになるだろう。

圧縮された、産業発展。圧縮された、人生。

 知識を求め、旅を続け、特別な女を見つける青年時代。知識を得て、それを血肉化し、大事業を成し遂げていく壮年期。大きな仕事をやり遂げ、少年時代を暮らした都市へと戻り、いくらかのんびりと自分の得てきた能力、知識を後進へと託していく中年期。そして人生のつらいことも楽しかったことも多く経験したあとの、自分に始末をつけるための老年期へ──。

 人間の一生は様々だが、理想的な流れとしてはこのような道筋をたどるのではないだろうか。どうしたって身体が衰え、能力に制限がかかってくる以上、できること、やれることはその時々の年代で異なってくる。特別な人は入れ替わり、悩みも、喜びも変わってくるものだ、ラゴスは旅を続けながら、充実した時間だったり、時にはつらい時間を経験していく。

 決して幸せで、楽なだけの道のりではなく、かといって不幸なわけでも、楽しくないわけでもないその人生。旅を続けていくうちに多くの人間と出会い、別れ、不可思議な目に会い……。そうした個人スケールの人生と並走するようにしてラゴスが経験するのは、自身が書物から組み上げた知識を現実に反映させる、圧縮された産業発展の過程だ。いってみればこの世界自体が、人類文明の旅の途中であるし、個人の旅の舞台でもある。

 ラゴスの手による復活していく農学、建築、医学、工業や鉱業をみていくと、成し遂げたことの大きさに比例するようにして彼自身もまた歳をとっていく。ああ、あんなに壮観だったラゴスが、あっというまに歳をとって、ついには人生の残り時間を考えるようになっていく。圧倒的過ぎる知識は人の妬み、恨みをどうしても買ってしまうものだ。『旅をすることによって人生というもうひとつの旅がはっきりと見えはじめ、そこより立ち去る時期が自覚できるようになったのであろうか。』ラゴスは独白する。

 圧縮された、産業発展。圧縮された、人生。この主要な2点のプロットが、おそらくは読了時にまるでひとつの人生を終えたような、心地良い虚脱感をもたらすのだと思う。

旅の目的は、旅

 物語の最後、ラゴスは一番最初の話で出会ったその頃はまだ少女だったデーデと出会うことを夢見て、また新たな旅に出る。もはや歳をとり、足腰も弱くなっただろうに、彼は最後まで、お供も連れずに危険な旅に出ることをやめなかった。最後、物語はデーデと出会えたのかどうかわからないままに終わる。本書を初めて読んだのは恐らく10年ぐらい前だったと思うが、ラゴスがなぜほんのちょっと会っただけの少女にそこまで執着するのかよくわからなかった。

 確かに印象的な少女ではあるが、彼の人生にはデーデと初めてあったその後も魅力的な女性、時を一緒に長く過ごす女性が幾人もいるのであり、ことさらに執着するようなことでもないように見えた。思えばあの頃の僕はまだ目の前のものしか見えていなかったんだろう。今回の再読で、ようやく実感としてわかったような気がする。求めて、旅を続ける過程で、新たな人と出会い、発見をし、思考をし、目的を達成していく時の高揚感こそが目的なのであって、どこかにたどり着くことそのものよりもずっと大切なことだったのだ。

 最初は知識を求めて旅に出たラゴスも、目的は次第に故郷へ帰ることになり、故郷に帰って自分にできることがひと通り終わった後は、懐かしいデーデに会うことが目的となった。目的は達成されるごとに、次々と移り変わる。だからきっと、もし最後の場面で目的を果たせたとしても、また新たな目的を見つけて、そこに向けて旅を始めるのだろう。終わることのない目的を追い続ける旅、それこそが、人生なのだとも言える。

これはなんだったのだろう。

 読み終えた後に、本作には特に感動的な場面があるわけではないのに、読み終えた時に自然と涙が出て目の前の机にぼたぼたと落ちてきた。「これはなんだったんだろうなあ」とぼんやり考えながら本を横からみたり、手の中でくるくる回転させてみたりする。一つの人生を終えたような爽快感があるのだけど、それがなんなのか、よく掴みきれない。こんな短い本の中に人生そのものの要素がぎゅっと詰まっていることが不思議でしょうがなく、なにか秘訣があるのではないかと考えてしまう。

 ページ数的には短くても、内容的には長い長い人生を歩んだラゴスが、最後の最後で、自分の人生を総括するようにしていつまでもやめられない旅の理由を悟り、そしてあくまでもこの本の中ではそれが「閉じられていない」、未来へ開けていくのが、心地良かったのだろう。ある意味では死に向かって歩いて行くラゴスが、とても満ち足りているように描かれているから。

 喫茶店で読んでいたので涙がぼたぼた落ちてきたのをバレないように顔を隠した。しかしこの何がなんだかよくわからないが途方もないものをぶつけられて自然と涙が出てくる、という経験は、経験したことが無い人にはわからないと思うけれど、とてもいいものなのだよ。得体のしれない概念にぶつかって、消化しきれずに立ち止まる。本を、小説を読む、醍醐味の一つなのだ。

旅のラゴス (新潮文庫)

旅のラゴス (新潮文庫)