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フルサトをつくる: 帰れば食うに困らない場所を持つ暮らし方 by 伊藤 洋志,pha

 うん、これは面白かった。車にしろパソコンにしろ、普及が進んでいくと一家に一台から一人に一台になり、一人が何台も所有する、といったように一人が多様性を抱え込むように成るものだが、家もその流れをたどるんじゃないかな。つまり家族か、一人でも家を複数の場所に持つようになること。都会に2つも家を持つ意味はあまりないが、都会に一つ、田舎に一つ、といったような形で分散させるようになるのではないかと、もともと考えていたのだ。

 本書『フルサトをつくる: 帰れば食うに困らない場所を持つ暮らし方』は、タイトルだけだとわかりづらいが田舎と都会で複数の住居を持って、その時々で都合の良いところで毎日を過ごそうとする試みのルポノンフィクションだ。家の探し方、都会と田舎の往復をするときのもろもろの注意、良い所などの紹介になっている。『ニートの歩き方』のphaさんと『ナリワイをつくる』の伊藤さんとの共著で、スタイルとしては二人が交互に章を書き継いでいく形式になっている。

東京か田舎か

 都会と田舎といえば、最近イケダハヤトさんなんかがイケダハヤトは高知県に移住します。ブログタイトルを変えました→ : まだ東京で消耗してるの? こんなことをいって東京から去って行ったりしたけれども、人の集まる都会には都会でいいところがあり、田舎には田舎でいいところがあり、つらいところもあるのだからそれぞれ使い分けていけばいいじゃん、という『フルサトをつくる』の立ち位置の方が合理的だと思う。

 ちょっとだけ余談。イケダハヤトさんの書く記事は殆ど読んだことがないし、著書も読んだことがないので単なる傍から見ていての想像でしかないのだが、彼のスタイルというのは「大勢がなんとなく溜め込んでいること、抑圧させている欲求」を実際にやってみて、「お前らもやってみろよ」と猛烈に煽りを入れることで客にするものだと思う。最初の金になるフレーズだった「いつまで会社勤めなんかしているの?」という煽りではだんだん客数に限界が出てきたので、今度はもっとマスにアプローチできる「東京住まい」を対象に選んだのだろう。

 しかし煽るマスがなくなってしまったらこの方はどうなってしまうんだろうなあとちょっと思ったりもする。そしたら国外に住居を移したりして対象を「日本」にまで拡大するだけか。いつまで「日本」で消耗しているの? とかなんとか。もちろんこんなことは推測に推測を重ねて勝手に心配をしているだけで、誰にとってもどうでもいい話ではある。

共著者の相性

 どうでもいいことに文字数を使ってしまったので軌道を戻そう。共著者の伊藤さんとphaさんは共に熊野に家を借りて、2ヶ月に1回ぐらい、10〜20日ぐらい滞在するような生活を送っているようだ。そこでは大抵の場合仲間たちでいって、現地の人達との交流をかねて、中高生に勉強を教える会や、家を修繕することをイベントのようにして過ごしているみたいで、そうした実体験ベースで語られていく田舎暮らしの描写は読んでいて素直に楽しそうだなあと思う。

 なかなかいいな、と思ったのが共著者である二人の文章のスタイルが似ていないところだった。伊藤さんは理屈っぽいというか、事実をベースにしていろいろと教訓だったり、ノウハウを述べていくような、わかりやすく役に立つような文章を書く。一方phaさんは理屈っぽくないわけでは全然ないのだが、だるいとか、なんだか寂しい、みたいな感覚的な部分を明快に表現するのが優れていて、理屈よりも感覚的な部分で同意してしまう。

良い点と悪い点

 田舎と都会の往復生活について、本書は基本的にはもちろん肯定ベースの意見なのだが、やっぱり田舎と都会を行き来するのはそうそう簡単にうまくいくものではない。たとえば移動に時間がかかると単純に面倒くさい。熊野だと東京から車で11時間もかかってしまうし、それだけ金もかかる。家賃はほとんどかからないにしても移動に金がかかるならあまり意味がない。しかも借りても面倒くさくていかなかったらただの企画倒れだ。

 家も人伝手じゃないとなかなか見つからない。なにしろ家賃が数千円とやすかったりすると、そんな金額のために仲介をする人間がいるはずもないし、そもそも貸し出そうなんて気が無い人ばかりの土地だった場合借りるためにも目星をつけて持ち主を探して交渉しなければならん。少子化ゆえにこれから先家が足りないという状況にはならないだろうが、それを貸し出そうという意欲が在るかどうかという問題とはまたべつである。

 さらには娯楽文化、そもそも同年代があまりいなかったりする為に遊ぶ場所、金のつかいどころがないという問題があったり、車がないとなんにもできなかったり、そうそういいことばかりではない。こういった問題一つ一つについて、対応策を考え実際に実行していっている(なにしろ現在も彼らは実践中なのだから)ので、説得力はあるのだが、いかんせんふたりとも自由業であり交友関係もひろく、なかなか参考にするのも難しそうなところが多い。

 まずほとんど前提となっていることとして、同年代で自身らの試みに賛同してくれる直接の知人コミュニティが数十人単位で存在しているため、大勢でわいわいと、それこそDASH村のように田舎を楽しんでいる様が書かれる。でも普通そんな交友関係は持っていないだろう。元々あるコミュニティに入るにしても、土地が大幅に制限されてしまうことは間違いない。

 また移動の問題、滞在期間の問題についても、二人とも自由業であるため、場所を自由にある程度移動しても問題ないか、まとまった休みをとれる職業の人間に限られてしまっている。そもそも職についておらず田舎でもどこでもフットワーク軽くいける人間ならば申し分ないかもしれないが、会社に勤めながらだとちょっと試しに週末に、程度しかできないだろう。もちろんそれで感触をつかみ、次に繋げていくことはありえるけれども。

 とまあいろいろと問題は多い。問題は多いが、それでも楽しそうなのは確かなんだよね。場所を移すことでものの考え方や捉え方も変わってくるし、何よりリフレッシュできる。家を自分たちで改修したり、都会のごみごみと車がそこらじゅうを走り回り人がギュウギュウ詰めの中から逃れられるのは気持ちがよさそうだ。パンを作ってもいいし、畑をやってもいいし、本屋を作ってもいいし子供たちの面倒をみたっていい(田舎には都会を経験している働き盛りの年齢の男が少ない)。都会だと空間的な問題や、そもそも必要がなくてやらないことが必要に駆られてやることができる。

 こういう流れは今後加速していくんだろうか。それとも人口減少の勢いがずっと凄くて、フルサトとか言ってられないぐらいに荒廃してしまうんだろうか。いろんな可能性が考えられる。それでもいつまでも同じ場所に住むという考えをいったん脇にやって、いろんなところに住んでみたらどうなるかな? と考えてみるだけでも、人生の可能性はいろいろ広がっていくことだろう。なかなか面白い一冊だった。

フルサトをつくる: 帰れば食うに困らない場所を持つ暮らし方

フルサトをつくる: 帰れば食うに困らない場所を持つ暮らし方