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基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

ドリフトグラス (未来の文学) by サミュエル・R・ディレイニー

ヘビィな短篇集だ。初出は何十年も前のものが多いが、たぶんどれを読んでもその初出の古さに驚くはず。それぐらい鮮明に今の時代にあっても輝いている。表現としてはギリギリまで切り詰められた洗練された、浸かっているだけで心地の良い文体、SFをメタファーたっぷりにして出してみましたという感じで特異的。考えたこともない世界を指向し、そしてそれを抽象化し普遍化していくヴィジョンの先鋭さにしびれる。

50ページ以上の長くて、しっかりとしたプロットが組み込まれているものもあれば何かが起こっている現場のほんの一瞬を切り取ったかのような、鮮明なイメージを残しつつもその全体像は想像するしかないという掌編もあり、バラエティ豊か。同時にディレイニーはメタファーたっぷりに果てしない宇宙を描き、我々の感覚を果てしなく拡張してくれるが常にその根本にある感情の表現を忘れてはいない。言葉は感情そのものではないから、その時々の感覚を言葉にするのは不可能ではある。だがディレイニーはそれをほとんど言葉で置き換えることに成功しているように思う。

言葉のセンスも独特で、それが特に発揮されている短編といえば最後に収録されている『エンパイア・スター』だろうか。造語のハマり具合と、その表現とプロットの盛り上がりがぴたりと一致していて最後は相乗効果的に盛り上がっていく。これは個人的にはこの短篇集の中ではベストな出来栄えで、文章が、小説が持つ可能性を拡張するような短編。地球とはまた違う星で18年も地下で暮らし、農場の作業に従事していた男が、突如死にかけている相手と出会い「……メッセージを──帝国の星へ(ルビ;エンパイア・スターへ)」とだけ告げられるところから始まるこの物語。鬱屈した男は、メッセージをと言われてもメッセージの内容すらわからないままエンパイア・スターへ旅に出る……。

現代ではなく宇宙中へ生物が広がっている世界だがこの話で面白いのは単観的(シンプレックス)、複観的(コンプレックス)、多観的(マルチプレックス)と3つの領域に認識形態が分かれているように描かれていることだ。物語の開始時点で、メッセージの中身すらわからない、ただメッセージを預かったという事実だけある何者でもない主人公は単観的な存在として扱われる。単観的であるとはどういうことか、どのようにしてその認識の階層はあがるのか。そうしたことはごくごく迂遠な表現でしか伝えられない。3次元空間で暮らす我々が5次元空間で暮らす人間と正常なルートでは交流を結べないであろうのと同じレベルで、単観的であることと多観的であることは隔たっている。

そしてだからこそ、主人公はメッセージの内容がわからない。まだその意味を理解できる認識を手に入れていないのだ。物事を単観的にしか見れない存在が、しかし多観的な視点を有する存在と交流をし、その視点の在り方をメタファーを重ね実施を重ね獲得していくという「言葉で表現できないことを習得していく過程を言葉で描く」というえらくCOMPLEXなことをやっているのがこのエンパイア・スターという短編だともいえる。ただ複雑なことをやっていながらもお話的には一人の男が、何者でもない自分から少なくとも自分の役割を真に自覚した一人の男へと変化していくシンプルな過程を描いていくお話なので、ちゃんと読めばわかりやすいんだけどね。

「準備万端さ。これ以上はないくらいにな」
「では、ひとつ複観的な宣言をしてほしい。これはのちに多観的に評価しなおす必要があるだろうがね。いかなる社会においても、ほんとうに重要な要素といえるのは芸術家と犯罪者だけだ。なぜなら、彼らは当該社会から浮いていても、その社会の価値を問うことによって、その社会にむりやり変化をもたらしうるからだよ」
「ほんとうか、それ?」
「断言はできない。いまだかつて多観的に評価したことはないものでね。しかし、これだけはいわせてもらおう。のちにきみは社会を変革することになる。だが、そのための訓練をまだ受けていない。ナイ・タイが変革を行うとすれば、芸術家として臨むことになるだろうが、きみの場合、それはむりだ」

話の端々に単観的、複観的、多観的という表現が使われ、さまざまな角度からこの世界の出来事が描かれていく。この短編の面白い部分はそれを語っているのが実は主人公ではなく、主人公と同行している宝石──ジュエルであり、こいつがまた多観(マルチプレックス)な意識であるというところだ。中心として描かれていく主人公に寄り添って単観的に読むか……はたまた描写の端々から未来を予測し書かれていることを多角的に捉えられる多観的な読者として読むかで小説の様相は激変してみえるだろう。

多観的な視点から世界を眺めるということは、ある意味では事実の先取りを意味するのだから、語りは綿密に計算され構築されているのである。そして男がついに自分の多観的な物の見方を使いこなし自分が伝えるべきメッセージ、伝えるべき相手を見出した時──本作はそれを「いかにすごいか」と描くのではなくただその視点を我々に体験させることで表現してみせる。

小説の可能性を感じさせる短篇集であった。

ドリフトグラス (未来の文学)

ドリフトグラス (未来の文学)

  • 作者: サミュエル・R・ディレイニー,浅倉久志,伊藤典夫,小野田和子,酒井昭伸,深町眞理子
  • 出版社/メーカー: 国書刊行会
  • 発売日: 2014/12/29
  • メディア: 単行本
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