基本読書

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ラブスター博士の最後の発見 (創元SF文庫) by アンドリ・S・マグナソン

いやあなシステムが世界を支配しているこことは別の世界、あるいは未来を描いた一種のディストピアSFと分類できるのだろう。だが本書に通底しているのはディストピア系のSFに共通しているように思える陰鬱な空気というよりかはどこかコミカルで優しげでふっくらしていて、やわらかな雰囲気だ。ハーモニーのあとにfkd特別賞を取った作品だけど、特別賞もなんというか納得してしまうようなへんてこさだなと。決してSFの王道というわけではないけれども、かといってそこまで大きく離れているわけではなく、むしろハードなSF要素をふっくりとした膜(寓話)で包み込んでまるで別物として提示してきたような感じか。表紙の波戸恵さんのイラストがよく合っている。

いつまでも抽象的でわかりにくい説明を続けるのもあれだから多少具体的な設定的な部分やあらすじのところに入っていこう。本書の中心となっているのは基本的には発明品だ。ラブスターと呼ばれるアイディアマン・発明家・研究者の男が作ってきた数々の発明品が、我々のよく知る世界を一変させてしまっている。その発明品は多岐に渡るが、一定の方向性としては「人間の自由意志の否定」を担当してくれることがあげられるだろう。現代でも全ての選択肢の豊富さを与えるよりかはパターナリズムといって、ある程度進路を限定し環境的な面からより最適な選択肢をとれるようにする、ようは「人間の選択はそれ程万能ではない」ことを前提とした考え方もあるけれど、それを極端に推し進めたSF的な帰結の一つだ。

たとえば自由恋愛。『はじめから失敗が見えているシステムがあるとすれば、自由恋愛というアイデアがまさにそうだった。その実験は百五十年ほど続いた末に、大失敗に終わった。』とラブスターはインタビューで語っている。事実彼は、そうした考えから「インラブ」と呼ばれる最高の相性を持つ相手を自動で計算してくれるシステムを創りあげ世界はそれを受け入れている。本書の主軸のうちの一人、その人生が語られるのはラブスター博士という人物であるが、もうひとつは彼の創りあげたシステムの中で翻弄されている男女の二人組だ。彼らは自由恋愛によって二人の愛を確信しているが、インラブのシステムは別の空いてを提示してきて、彼らの関係は危機を迎えることになる。

選択の肩代わりをしてくれるシステムといえば、「後悔」というのもその一つだ。それは莫大な情報を持っていて過去の条件を挿入すれば計算でその後何が起こったのかをはじきだしてくれるシステムで、過去に自分がとらなかった選択肢をとっていたら自分がどうなっていたか教えてくれる。だがこのシステムは殆どの場合(というか作中では決して)「そっちの選択肢のほうがよかったよ」という計算結果は出さない。ほとんどの場合「よかったね、その選択をしていたら悲惨な目にあって死んでだよ」とか「障害が残って悲惨な最後を迎える」とかばかりで、それを聞いた人間は「ああ、私のとった選択肢は間違ってなかったんだ」と安心して生きることができるようになる。本書を読んでいると「選択する」という「自由」に基づく行為は、実はけっこう大変なもので、ストレスのかかるものだよなあと振り返ってしまう。

誰もがシステムを信じている。自由恋愛で付き合っている二人は、システムが別の相手を提示する以前からその関係を危ぶまれている。何しろ自由意志なんてものを行使しているんだから。お互いがお互いにのぼせ上がっている二人がそれを聞き入れるはずがない。『「統計よシグリット」母親は首を振りながらいった。「統計に勝つことはできないわ」』でも彼らは統計に勝つつもりなのだ。この世界にはこうしたシステムはいくつもあって、その一つ一つが特徴的でそれが存在している社会のことを読んでいくだけでずいぶんと楽しい。たとえばシークレット・ホストという立場の人間は、その持ち前のカッコよさや物腰によって女性たちの情報を引き出し、あるいはさりげなく映画を薦めたり物を薦めたりして購買意欲を増加させる。まあ一種のステマだな。

叫び屋

で、本書が今読むと面白いのが「【解決法アリ】「レイバンのサングラス」スパムがTwitterで蔓延中!【乗っ取り警報】 - NAVER まとめ」と同じようなことが起こっていること。レイバンのサングラス乗っ取りは他人にアカウントをハックされて起こっていることだけれども、叫び屋は自分のシステムを他者に意図的に明け渡し、適当なタイミングで商品の宣伝を叫んだり、あるいは道行く若者の身につけているものを褒めたりさせて商品の流行を促すような仕組み。破産したものやお金のないものは自身の身体と発言権を一時的に明け渡して宣伝に使ってもらい、金をもらうようになる。「広告用の人間がいる」のではなくて「普段は普通の人間が普通の生活を送っているのに突然広告人間に変貌する」あたりが、レイバンのサングラス現象とよく似ている。

本書を読もうと思ったのも実はこのレイバンのサングラス現象とあわせてこの作品について妹尾ゆふ子さんが呟かれていたのを読んだからだった⇒うさぎ屋@妹尾ゆふ子さんはTwitterを使っています: "自分の仕事終わったので、こつこつとラブスター博士のつづきを読んでますが、これ「すぐそこにある危機」どころか、「今ここにある危機」だよなぁ。「叫び屋」なんて、ついったーで乗っ取られて突如広告をリプライしだすアカウントを連想するし。広告、広告、広告!" こういうシンクロ現象が起こるのもSFの面白いところといえるのかな。

ラブスター博士

そうした社会に存在する様々なシステムは、もちろん仕組みとして完璧なものではない。というか、「こんな社会になるかも!」とありありと想像させるようなものではない。「きっちり」していないというか、神話的な要素やファンタジィっぽさが混在しているわりとがばがばな世界観ではある。でもどこかほっこりとした、やわらかさを感じさせるのはその為かもしれない。本書のもう一つの肝、面白さは、こうした世界を一変させてしまった発明を次々と考案していったラブスター博士とはどのような人間で、どのような人生をおくってきて、この世界に対してどのような考えを抱いているのかという部分だ。彼がまたいい感じに狂っていて、それでいて筋が通っている部分もあり、魅力的な人物だ。

たとえば彼はアイデアについて語る部分において、アイデアは独裁者だ、と語る。アイデアを思いつくのではなく、アイデアのほうが彼を捕まえるのだと。

アイデアに感染した人間には、その行動に対する責任はない。彼の頭にあるのは、それを世に出すことだけだ。アイデアは反対や疑念をいっさい認めない。彼に責任がないのは、そのアイデアを所有していないからだ。アイデアはすでに存在していた。原子爆弾は、それが考え出されて製造される前から存在していたのだ。(〜冬木糸一による中略〜)アイデアに取りつかれたものは、善悪を超越している。そういう尺度で彼の考えを測ることはできない。アイデアは制御不能な飢えであり、長く抑圧された渇望だ。そうしたアイデアを思いついた人々が世界でもっとも危険な存在なのは、いつでも危険を冒す覚悟でいるからだ。彼らはただ、なにが起こるかみたいだけで、それより先のことは考えない。

ラブスターはアイデアに冒されていた。そしてほとんど自由意志を奪われた人間のように彼はそのアイデアの実現に迫られ、働き続けていた。彼の父親が死ぬ時であってさえ、彼はそれを後回しにした。『「これでわたしのいってることがわかる? あなたは生をあとまわしにして、死に身を捧げてる。死は待ってくれるわ。でも生は待ってくれない」』とか凄く印象的な台詞だ。「統計に勝つことはできないわ」なんかもそうだけど、シンプルながらも身体の底まで響いてくるような台詞ばかり。

アイデアに突き動かされてきた男が目指すのは何なのだろう? それは本書を駆動させる一つのエンジンでもある。ラブスターが求めるのはどこか世界の終着点、希望の「なにか」といったようにとらえどころがなく、神話的なものだ。世界でもっとも大きな影響力を有した男の考えと、彼の創りあげた強固なシステムによって翻弄される男女の両面から物語をおっていくうちに、世界は見栄えとしては幻想的ではあるが内実としてはひどく俗っぽく、ゾッとさせる終結へと至ることになる。どのような作品であったのかと、語り難い作品だ。だが、その読んだことのない特異性に強く惹きつけられる。

ラブスター博士の最後の発見 (創元SF文庫)

ラブスター博士の最後の発見 (創元SF文庫)